<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



オリンピック女子ボクシングが違和感ありありだ。
性転換した「パスポートに女と記載されている」生物学的には男が女性としてボクシング競技に出場。
対戦した女性選手は「命の危険を感じた」たとの理由で試合を棄権。

そもそも肉体的に男の性転換者が格闘技で女性と対戦すること自体、科学的におかしいのではないかと思う。
生まれてからずっと男性として骨格や筋肉が形成されたが「心は女」とかの理由で手術をして女性と称している。
LGBTがある種の政治的主張になってしまっており、人間が生物としての本来のあり方をイデオロギーで封じ込めてしまおうという動きには危険性を感じてしまう。
今回のオリンピックパリ大会はそういう奇っ怪な側面が少なくない。

などと小むづかしいことを考えたり、ニュースを見て文句を言ってたら、ボクシングの顛末にカミさんが一言。

「女をバカにしてんちゃうん!?」


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いま関西では北陸新幹線の延伸が話題になっている。
東京から福井県の敦賀まで延びてきたけど、新大阪まではどうすんの?ということだ。
先日の保線車両の事故で東海道新幹線が終日不通になっていたときはなおさら、
「なんで北陸新幹線は敦賀なん?」
という疑問があちらこちらで灯り、東海道新幹線の代用で大阪から新快速で敦賀に出て、そこから北陸新幹線で東京へ向かった人たちは、
「ええ加減にせえよ」
と思ったに違いないのだ。
「何がリニアやねん。北陸新幹線のほうが先やろが」
と利用しない私までそう思ってしまった次第なのだ。

ところで、北陸新幹線が取り沙汰されるように日本海側でも北陸方面は重宝がられているのもの山陰地区は蚊帳の外であることに多くの人は気がついていない。
山陰には鳥取や米子、松江、出雲、萩といった大きな街があるにもかかわらず、山陰新幹線どころか山陰本線は一部区間を除いて電化も複線化もされていないローカル本線。
それどころか「山陰本線の不要な部分は廃止してしまおう」という廃止論が立ち上がっているくらいなので、これは大変だ。

同じ中国地方でも瀬戸内側を走る山陽新幹線は開業50年を迎えて数年前から九州新幹線も走るようになり結構な混雑だ。
山陽本線も通勤通学で欠かすことのできない主要路線であり、私は大阪から広島県の福山までしか乗ったことは無いが、その区間で車内がガラガラなところははっきり言ってないくらいなのだ。

なのに山陰本線はローカル線。

米子や松江は北陸方面の金沢や富山と比べても遜色のない街だ。
たまにこのあたりに私も出かけることがあるけれども風光明媚で食事も美味く古代には大陸への玄関口の役割も果たしていたこともあり、神秘的なスポットも少なくない。
なのに主要鉄道は単線ティーゼルの山陰本線。
もっとも米子や松江は電車区間できっちり岡山とつながっていて山陰といえどもインフラ的には瀬戸内圏内な場所でもある。

阪神大震災のときや広島県の豪雨被害の時に山陽本線が不通となっても単線ローカル線の山陰本線はバイパスとしての機能に著しくかけてる。

北陸新幹線を東海道新幹線のバイパスと見るのであれば、山陰本線は山陽本線のバイパスと見るべきで、そういう考えをあまり訊かないところに同じ日本海側でもパワーバランスの微妙な違いを感じざるを得ないのはなぜなのだろう。


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夏真っ盛り。
関西はもともと夏は蒸し暑くて冬は凍えるように寒い。
過ごしやすい季節は年に数度しかない。(トロント出身の元英会話講師のG氏曰く)
今年の夏も奈良、京都は最高気温が38℃超えで、
「こんなところ観光するヤツラの顔がみたい」
と思って京都に出かけたのは今から25年ほど前のこと。
河原町から嵐山までうろちょろしたが観光客の温度に関わる痛点が故障しているのか、暑さなど関係なくどこもかしこも混雑していたのが印象に残っている。

さらに突き詰めれば、
「こんなところに都を作った古人の感覚がよくわからん」
ということにもなる。
奈良、大阪、京都が首都圏という歴史が1400年以上続いた。
半径50kmぐらいをウロチョロしてたのが都の場所だったわけだが、その間、
「ちょっとでも涼しいところに都を移しましょ」
とは誰も思わなかったのか。
そもそも東京ができるまでエアコンの無い時代でもあったのだ。

今日なんぞ、京都も奈良も38℃。
海沿いにある大阪でも36℃。
もし奈良時代や平安時代に熱中症警戒アラートがあったら、どのように対応していたのだろうか。
大河ドラマ「光る君へ」なんぞ、季節感の描写もあまりないので、そのあたり触れられたくない項目の一つなのかもしれない。

で、夏休みの38℃というと思い出すのが小学校5年生の時に母に連れて行ってもらった奈良ドリームランド。
ここは今は存在しない遊園地だ。
奈良市の北側の平城山の上にあって、入口から正面に向かって路面電車の走る大通りがあり、正面にはアルプスに似た山があり、その山の稜線をジェットコースターが走っていた。
近くには潜水艦の航行する池もあったり、公園を周回するような鉄道も走っていたのだった。
で、そこまで書くと伊藤沙莉でなくとも「はて?」と思う人も多いかもしれない。
それって浦安にあるあれでしょ、という具合に。
そう、奈良ドリームランドはディズニーランドのバッチモンなのであった。

バッチモンとは言えTDLは存在せず、こんなところでも人気はそこそこあり、当時(1970年代)宝塚ファミリーランド、エキスポランドと並んでメジャーな大型アミューズメント施設の一つだった。
なので奈良ドリームランドへ行くことは重要で、奈良観光が鹿にせんべいを食わせるだけの時代ではなかったのだことも意味するのだ。

このとき、私は友達も一人伴っていた。
母はそれを連れて行くことを快く許可してくれたと記憶しているのだが、それが誰であったのか今思い出すことができない。
近くの府営住宅に住んでいたSくんかもしれないが、小学校5年生の時にSくんは交通事故に遭遇して長期入院をしていたし、同じ団地に住んでいたIくんかもしれないが、Iくんとはまだ知り合っていなかったような気がする。
ふたりとも現在では付き合いが途切れてしまっており確認する術がない。
幼稚園から現在もなお付き合いのなるMの恐れもあるが、当時も今も遠慮というものをあまり知らないMなので一緒に行っていたら、その行動や言動を強烈に覚えているはずなのでこいつでもない。
誰といったのかはともかくとして、それだけ友人と行って楽しかったという記憶があるのだ。

でもその時の引率の母は「暑い暑い」と言ってて、その暑さに降参という感じだった。
子どもの私は暑いけど、そんなに暑いとはその時は感じなかった。
当時母は40代なので高齢で熱中症の餌食になった、という年齢ではない。
なのに、暑がっていた。
一方私は暑かったもののへばるほどのものでもなく友達とあれこれアトラクションを楽しんでいたのだった。

で、その夜、テレビを見ていた母が一言、
「今日、奈良は38℃やったんやて」

以後、奈良ドリームランドと夏の暑さと38℃という数字がセットで思い出として記憶されるのことになった。
38℃は特別な暑さなんだ、と。
今、その特別な暑さは普通になりつつあるようだ。


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その昔。
ガンジス川でバタフライという映画にもなったノンフィクションの勇気ある作品があった。
あの死体が流れてくる病原菌で汚染された、泥水かなにかわからないもので濁った母なるインドの大河「ガンジス川」で泳いだ日本人女性の話だ。
私はこの本の表紙を書店でみかけたとき、

「汚ったね〜」
「この人は正気ではない。狂っているのだ。」

と声に出してつぶやいてしまったことを鮮明に覚えている。

なんとこのガンジス川でバタフライがフランスで実行された。
フランスなので、そこはガンジス川ではなくセーヌ川。
バタフライではなくオリンピック競技だったのでクロールだったが、やっていることはほとんど変わらぬドブ川の水泳大会なのであった。

このセーヌ川を泳がされた米国の選手はその水を飲み込み競技中に10回ほどゲロを吐いた、ということがニュースに書かれていた。

私は行ったことが無いが、知っている人に訊いてみるとここは決してきれいな川ではないという。
パリ市内の生活排水が流れ込む、いわば下水。
パリ市民の洗い物、食べ残しの汚水はもちろん、う◯こや、お◯っこ、も入り交じる。
そこでネットで調べてみると、かなりのドブ川のようで、例えば大阪の新淀川との清浄度は比べるべきもなく、東京都内を流れる隅田川よりも汚い。
もっといえば大阪の道頓堀川の4〜6倍の汚染度だというのだから、まさしくドブ川。

こういうところでトライアスロンの水泳をさせるのだからフランスの当局は話題作りか画作り以外のなにものでもなく、今回の水泳で感染症的死者でも出たらきっと、

「コロナで死んだんだ」

てなことにして誤魔化すに違いない。

セーヌ川でクロール。
実行した選手たちの違った意味の勇気を称したい。
正露丸飲みや〜。


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