夏真っ盛り。
関西はもともと夏は蒸し暑くて冬は凍えるように寒い。
過ごしやすい季節は年に数度しかない。(トロント出身の元英会話講師のG氏曰く)
今年の夏も奈良、京都は最高気温が38℃超えで、
「こんなところ観光するヤツラの顔がみたい」
と思って京都に出かけたのは今から25年ほど前のこと。
河原町から嵐山までうろちょろしたが観光客の温度に関わる痛点が故障しているのか、暑さなど関係なくどこもかしこも混雑していたのが印象に残っている。
さらに突き詰めれば、
「こんなところに都を作った古人の感覚がよくわからん」
ということにもなる。
奈良、大阪、京都が首都圏という歴史が1400年以上続いた。
半径50kmぐらいをウロチョロしてたのが都の場所だったわけだが、その間、
「ちょっとでも涼しいところに都を移しましょ」
とは誰も思わなかったのか。
そもそも東京ができるまでエアコンの無い時代でもあったのだ。
今日なんぞ、京都も奈良も38℃。
海沿いにある大阪でも36℃。
もし奈良時代や平安時代に熱中症警戒アラートがあったら、どのように対応していたのだろうか。
大河ドラマ「光る君へ」なんぞ、季節感の描写もあまりないので、そのあたり触れられたくない項目の一つなのかもしれない。
で、夏休みの38℃というと思い出すのが小学校5年生の時に母に連れて行ってもらった奈良ドリームランド。
ここは今は存在しない遊園地だ。
奈良市の北側の平城山の上にあって、入口から正面に向かって路面電車の走る大通りがあり、正面にはアルプスに似た山があり、その山の稜線をジェットコースターが走っていた。
近くには潜水艦の航行する池もあったり、公園を周回するような鉄道も走っていたのだった。
で、そこまで書くと伊藤沙莉でなくとも「はて?」と思う人も多いかもしれない。
それって浦安にあるあれでしょ、という具合に。
そう、奈良ドリームランドはディズニーランドのバッチモンなのであった。
バッチモンとは言えTDLは存在せず、こんなところでも人気はそこそこあり、当時(1970年代)宝塚ファミリーランド、エキスポランドと並んでメジャーな大型アミューズメント施設の一つだった。
なので奈良ドリームランドへ行くことは重要で、奈良観光が鹿にせんべいを食わせるだけの時代ではなかったのだことも意味するのだ。
このとき、私は友達も一人伴っていた。
母はそれを連れて行くことを快く許可してくれたと記憶しているのだが、それが誰であったのか今思い出すことができない。
近くの府営住宅に住んでいたSくんかもしれないが、小学校5年生の時にSくんは交通事故に遭遇して長期入院をしていたし、同じ団地に住んでいたIくんかもしれないが、Iくんとはまだ知り合っていなかったような気がする。
ふたりとも現在では付き合いが途切れてしまっており確認する術がない。
幼稚園から現在もなお付き合いのなるMの恐れもあるが、当時も今も遠慮というものをあまり知らないMなので一緒に行っていたら、その行動や言動を強烈に覚えているはずなのでこいつでもない。
誰といったのかはともかくとして、それだけ友人と行って楽しかったという記憶があるのだ。
でもその時の引率の母は「暑い暑い」と言ってて、その暑さに降参という感じだった。
子どもの私は暑いけど、そんなに暑いとはその時は感じなかった。
当時母は40代なので高齢で熱中症の餌食になった、という年齢ではない。
なのに、暑がっていた。
一方私は暑かったもののへばるほどのものでもなく友達とあれこれアトラクションを楽しんでいたのだった。
で、その夜、テレビを見ていた母が一言、
「今日、奈良は38℃やったんやて」
以後、奈良ドリームランドと夏の暑さと38℃という数字がセットで思い出として記憶されるのことになった。
38℃は特別な暑さなんだ、と。
今、その特別な暑さは普通になりつつあるようだ。