夏の木蔭、ひと時の休息を
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第46話 夏蔭act.1―another,side story「陽はまた昇る」
初日が終わり、ほっと息吐いて周太は窓の外を見た。
初任教養と同じ窓際の席は空と緑が見える、いま雲は真白に濃い青の空を流れていく。
深い青色と白がきれいで嬉しい、周太は微笑んだ。
…もう、夏の空…夏みかん、採らないとね?
こんな空になったら、あと2週間くらいで家の夏みかんは熟す。
ひとつずつ捥いで実と皮を分けて、それぞれ菓子に作り上げていく。
それは家の楽しい風物詩、今年は外泊日にきちんと出来るだろう。
良かったな?心裡の独り言と空に微笑んだ横から、懐かしい声が掛けられた。
「久しぶりだな、湯原。元気そうだね、」
「ん、上野、久しぶり、」
卒業式以来に会う同期に周太は笑いかけた。
警察犬の訓練士を目指している上野は、よく初任教養の頃は犬の話を教えてくれた。
周太も動物は好きだから、いつも楽しかった。そんな記憶と見た先で、相変わらず呑気な顔が笑ってくれた。
「俺、さっきね、最初は湯原が誰か、解からなかったよ?」
「ん?そうなの?…どうして?」
どうしてかな?
微笑んで首傾げこんだ周太に、久しぶりの同期は口を開いた。
「きれいになったよ、湯原。明るい優しい雰囲気になった。まあ、男に言うの変かもしれないけど。嫌だったら、ごめん」
これで今日、何人目かな?
今日は朝から顔見るたびに「きれいになった」と言われている。
こんなに言われ続けると気恥ずかしい、でも一々恥ずかしがるのも大人げない。
でも気恥ずかしいな?心で困りながらも周太は、微笑んだ。
「嫌じゃないよ?ありがとう、」
「やっぱり柔らかくなった、湯原。なんか良いよ、自然体な雰囲気だ、」
「ん、そう?…そうだね、」
自然体、その通りだろう。
ずっと「自分を支えてくれる存在がいる」この安心感が、自分の肩から余計な力を抜いている。
こうなれたのは英二に出逢ってから。特に卒業式の夜からは、安堵感が大きくなり続けて自分は変わっていく。
この変化はむしろ「戻っていく」という方が正しいかもしれない。
まだ幸せだった「父がいた」時間、あの頃は父が守ってくれる安堵があった。
あの頃のように今、英二が自分を護り支えてくれる、いつも抱きしめてくれる。この安堵感が優しい。
…みんなに「変わった、」て言われるの、当然だよね?
いま安らいで心凪いでいる。
この今から7ヶ月前はまだ、いつか本当の孤独に立つ恐怖と孤愁に沈みこんでいた。
あの頃の心と今とは、見える世界が違っている。この違いに感謝を想いながら見た先で、英二は他の同期と笑っていた。
その横顔が楽しげに華やいで嬉しい、大好きなひとの笑顔が嬉しくて微笑んだ周太に上野が笑いかけた。
「なあ?宮田ってさ、かっこよくなったよな?」
それはもうその通りだね?
心裡に大きく頷きながら周太は、上野に笑いかけた。
「どんなふうに?」
「背中がすごいカッコいいよ、すっきりしてさ。細いけど肩とか厚いし、筋肉増えてそう。山岳救助隊って、やっぱ体使うから?」
素直に上野は褒めてくれる、こんな言葉たちも嬉しくて気恥ずかしい。
なんだか婚約者が褒められるのは幸せで、けれど気恥ずかしさに少し居た堪れなくなりそう?
すこし内心で困っていると、関根と瀬尾が話しかけてくれた。
「上野も思うんだ?やっぱり宮田、カッコいいよな?」
「うん、俺も思った。11月に会った時より宮田くん、大人の男って雰囲気だね、」
「あ、それそれ。大人の男、って感じの背中。ちょっとさ、同期であんなだと、自分も頑張んなきゃなってなる、」
…よけいに居た堪れなくなりそう、うれしいけど、ね?
婚約者への褒め言葉に包囲されて、周太は幸せと困惑に微笑んだ。
皆の会話を聴きながら鞄に机の中身を仕舞っていると、ぽん、と肩を叩かれた。
「よ、湯原。2月以来だよな、」
人の好い顔で藤岡が笑いかけてくれる。
その元気に浅黒い笑顔に、周太は立ち上がりながら笑いかけた。
「久しぶり、藤岡。穂高に行ってきたんだよね、雪焼け?」
「そうだよ、真黒だろ?でもさ、冬富士に登っても宮田は全然焼けないんだよな、国村もだけど、」
気さくに笑って藤岡は、むこうで話している同僚を見た。
藤岡と英二は同じ青梅署管轄の駐在所に卒配されて、山岳救助隊でも同僚でいる。だから光一とも同僚になる。
いつも周太の大切な2人を近くから見ていられる、すこし羨ましい想いと笑いかけて周太は訊いてみた。
「冬富士は、やっぱり雪焼けとか大変?」
「うん。特に今の時期は雪がガチガチ凍ってさ、鏡みたいなんだよ。それが反射板状態になって、晴れたらスゴイってわけ、」
「鏡みたいだと、登るのも難しいよね?…雪、すごく硬いんだろ?」
鏡みたいに光って綺麗だった、そんなふうに英二は話してくれた。
けれど雪が鏡状になるには硬度も並大抵ではない、本で知った事から訊いた周太に藤岡はからり笑った。
「9合目から上はコンクリートより硬いとこもあるよ。ルート間違えたらアウト、アイゼンも刺さらなくって滑っちゃうんだ。
風も凄くて煽られるし、気圧も標高4,000レベル。あいつらだから簡単に登って帰ってくるけどさ。普通ムリ、俺は9合目で敗退、」
そんな所に英二と光一は登ってきたんだ?
いつも2人は話してくれるけれど、こうして他の人から話を聴くと改めて驚かされる。
やっぱり2人は本当に「山ヤ」で最高峰を目指すだけの資格を持っている、この実感が嬉しい。
…これなら英二、きっと最高峰で笑っていけるね?光一とふたりで、
どうか2人、幸せに笑っていて?
そんな想いと微笑んだとき、深堀も話しに加わってくれた。
「やっぱり宮田、すごいんだね?俺のとこの上司、警視庁山岳会のメンバーだから、よく宮田のこと話してくれるんだ、」
「へえ、新宿署の人にも知られてるんだ?あいつ、有名人だな?」
素直に感心して藤岡は笑っている。
そんな藤岡をみながら、深堀は周太に訊いてくれた。
「あのこと、皆に話しても良いのかな?訊いてる?」
「ん。良いよ、って言ってた。いつか知られることだろうし、って。でも英二、自分では言わないと思う、」
深堀が言う「あのこと」は、クライマー枠での正式任官のこと。
本来なら、この初任総合の研修期間修了と同時に正式任官と本配属になっていく。
けれど英二は特別措置で2月に繰り上げられ、クライマー専門枠での正式任官をした。
『雪山の訓練に行くのにね、クライマーで正式任官したほうが都合良いから』
そう英二は笑って教えてくれた。けれど本当は、この「特別措置」は昇進と幹部の進路を意味している。
そんなふうに英二は現時点で既に、同期の誰より早く一歩先の階梯を昇ってしまった。
けれど実直で真面目な英二は、自分の昇進を自分から言うことはしない。
でも隠すつもりも無いから「話しても別に良いよ?」と教えてくれた。
このことは藤岡も知っているだろうな?
そう見た先で藤岡は、からり笑って言ってくれた。
「うん?宮田の任官のこと?オープンでOKだって、今朝も言ってたよ、」
「そっか、よかった、」
なんだか気が楽になって、ほっと息吐いてしまう。
すこし寛いだまま笑った周太に、関根が訊いてきた。
「なに?なんか宮田の話?」
「ん、英二が正式に任官したことだよ、」
周太の答えに、関根の目がすこし大きくなった。
そしてすぐ快活に笑って、楽しそうに言ってくれた。
「すごいな、宮田?もう決まったってことはさ、それだけ認められたってことだろ?あいつ、やるなあ、」
率直な祝いの言葉が明るい。
相変わらず快活な同期が嬉しくて笑った周太に、瀬尾が優しい笑顔で提案してくれた。
「よかったね、宮田くん。せっかくだから今夜、俺の部屋でお祝いしない?警察学校の寮だから、お酒はダメだけど、」
「お、イイな、それ。4月に呑もうって言ってたけど、延期のままだしな、」
軽やかに関根も頷いてくれる。
こういう提案は英二のために嬉しい、本当はどこか「孤高」を抱えがちな英二を知っているから。
13年間ずっと孤独でいた周太を「孤高」と言った人もいる、けれど自分は単に「籠っていた」だけ。
ほんとうの孤高は、英二の高潔な姿だと自分は知っている。
…北岳、『哲人』と似てるね?英二は、
光一が贈ってくれた英二と『哲人』北岳の写真。
あの写真に見た英二は真直ぐな高潔がまばゆい、それは美しすぎて近寄り難い姿でもあった。
あの雰囲気はモデル「媛」だった英二の写真も同じ、花と戯れる姿は「女神」の不可侵に映される。
だからわかる、あの高潔に美しい「孤高」は英二の本質だろう。
おだやかで美しい笑顔に孤高をくるんだ英二。
その姿はバットレスの岩壁に佇む高潔な『哲人』と映り合う。
そんな英二は本心を開く相手は限られている、それだけ英二は誇り高く潔癖で、その心は深い。
この高潔には惹かれる、けれど1人の青年として気楽な仲間も英二の傍に居てくれたらとも願っている。
ただ気楽に笑い合える、そういう相手が居れば人生はより豊かになるだろうから。
「湯原、それでいいかな?」
瀬尾の言葉に意識を戻されて、周太は同じ班の同期2人を見た。
また自分だけで考え込んでたな?すこし気恥ずかしく思いながらも素直に頷いた。
「ん、瀬尾の部屋で、夜だね?風呂とかの後?」
「うん。全部済ませてから、のんびり気楽に話そう?」
相変わらずの優しい笑顔で瀬尾は言ってくれる。
けれどこの笑顔が本当は、大人の男の強靭に支えられていると今は知っている。
きっと今夜はこの強靭が見つめる「5年」を話すのだろうな?
そんなことを考えた足元に、ノートが滑りこんだ。
どこから来たのだろう?
ノートを拾いながら見た先で、英二が床に散らばった文房具を拾っていた。
その困りながら微笑んでいる横顔に、周太は鞄を持って歩み寄った。
「これ…俺の方にも、飛んで来てたよ。大丈夫?」
笑いかけると白皙の顔はすぐ、こちらを見てくれる。
藤岡が言った通りに日焼けの翳ない顔が、嬉しそうな笑顔を咲かせた。
「うん、大丈夫だよ、周太?寮に戻るよな、一緒に行こう?」
名前で呼んでくれた。
それが嬉しくて気恥ずかしい、だって今ここは教場で同期たち皆が聴いただろう。
どんなふうに皆に思われる?すこし心配にもなってしまう、けれど英二は周太の手を取り立ちあがってくれた。
…いつも英二、堂々と接してくれる
それが嬉しい、うれしくて幸せが温かい。
いま首筋が熱くなってくるのは、気恥ずかしさと幸せの両方?
そう考えている隣から綺麗に笑いかけてくれる、その向こうから内山が英二に尋ねた。
「湯原のこと、名前で呼んでいるんだ?」
訊いた内山は、変わらない精悍な笑顔で笑っている。
何の偏見も無いまま訊いている、そんな雰囲気にすこし心の肩の力が抜けて行く。
いま英二はクライマー専門枠で正式任官したばかりの大切な時期、だから心配にもなってしまう。
この大切な時期に「スキャンダル」と言われたら?そんな危惧に見つめた向こう、英二は綺麗に笑った。
「うん、そのくらい大切なんだ、」
大切だから。
この率直な想いの言葉が、温かい。言葉告げた人は真直ぐ「誇らしい」と笑っている。
そんな英二に松岡が、温かな笑顔で言ってくれた。
「おまえら、初任教養の時から仲良かったもんな?じゃあ、あとで談話室で、」
軽く手を挙げると松岡は、携帯を開きながら教場を出て行った。
その横顔が幸せに和んでいる、きっと奥さんからなのだろう。
とても大切にしているのだろうな?考えながら周太は自分の大切なひとに笑いかけた。
「俺たちも行こう?…英二、」
名前、呼べた。
呼んだ名前に婚約者は、心から幸せな笑顔咲かせてくれる。
この貌を見たらもう、言われなくても自分への気持ちが解かってしまう。
この場所でも名前で呼んで、こんな貌をしてくれる。うれしい想いで見上げた先、英二のこめかみを関根が小突いて笑った。
「久しぶりだな、宮田?相変わらず、湯原には甘い顔しちゃってるんだな、」
あまいかおだなんて恥ずかしくなるよ?
心裡でつい訴えて、首筋が熱くなってくる。
関根は何も言わない、けれど本当は英二と周太のことを気づいているのだろうか?
そう見つめている隣で、素直に英二は関根と瀬尾に謝った。
「うん、相変わらずだよ?あと、飲み会、ごめん。せっかく瀬尾が声かけてくれたのに、」
「大丈夫。今夜、俺の部屋で話そうって今、言っていたところなんだ。宮田くんこそ、休みも無いって聴いたよ?大丈夫?」
「俺の場合、好きで行っている訓練が多くて、休みが無いだけだよ。だから大丈夫、」
笑って話している隣を歩いて廊下へと出た。
こんなふうに皆でまた歩いている、これは普通の光景かもしれない。
けれど自分にとっては得難いことだと解っている。
もし11月、あのラーメン屋の主人に自分一人で会いに行ったら。今、自分はここに居ない。
もし1月、あの弾道実験のとき光一が受けとめてくれなかったら、ここに居られない。
それから2月の御岳山で滑落しかけた瞬間、もし英二が救けてくれなかったら生命すら危うかった。
そして迎える夏の向こう側では、この「普通の光景」はもう、遠くなるだろう。
だから、この「今」の瞬間が幸せで嬉しい、うれしい想いと微笑んだ周太に内山が話しかけてくれた。
「湯原も宮田のこと、名前で呼ぶんだな?ほんと、仲良いんだ。そういうの、ちょっと羨ましいよ、」
「ん、そう?」
こんなふうに言われるの、なんだか嬉しい。
そして気恥ずかしくて、でも幸せなのだなと感謝が温かい。温もりに微笑んだ周太を見て内山が笑った。
「湯原、きれいになったな?男に言うの失礼だったら、すまない、」
謹直、そんな言葉が似合う同期にまで言われるなんて?
すこし驚いてしまう、また首筋が熱くなっていく。
驚いて気恥ずかしくて困りそう、けれど周太は綺麗に笑って内山に応えた。
「ん、ありがとう…最近よく、言われるんだ。恥ずかしいけど、嬉しいよ?」
「そうか、じゃあ良かった、」
精悍な顔がほころんで、急に人懐っこい雰囲気にくるまれる。
いつも真面目な顔をしているけれど、内山は笑うと愛嬌があらわれて優しい。
こういう顔は友達も沢山いそうで「ちょっと羨ましい」と言うことが不思議にも思えてしまう。
「宮田、ちょっと来てくれるか?話がある、」
渋めの声に振向くと、遠野教官が立っていた。
その表情と「英二が呼びだされた」ことに、心臓が大きく撃たれた。
…きっと、履歴書のこと
英二の履歴書は、7ヶ月前と大きく変わっている。
このことで英二は呼ばれるだろうと予想はしていた、けれど現実になれば心は締められる。
あれだけ変化した履歴書を見たら、遠野教官なら当然問い質す。
「はい、解かりました、」
きれいな低い声が隣から答えた。
いつも通り落着いた声は微笑んでいる、このトーンにすこし安心しながら周太は遠野を見た。
その視線に翳りある目が静かに動いて、すこしだけ周太に微笑んだ。
…遠野教官が、笑った?
ゆっくり瞳瞬いた先、微笑は静かに消えていく。
けれど温かい空気が遺されて周太はちいさく微笑んだ。
つい先月に刑事課の佐藤が伝えてくれた遠野の伝言、それから今の短い微笑。どちらからも「信じられる」と思える。
遠野は英二を悪いようにはしない、そんな信頼を思いながらも、それでも心配で周太は英二を見上げた。
―「大丈夫だよ?」
見上げた先、切長い目が穏やかに微笑んでくれた。
そして英二は遠野教官に向き直った。
「すみません、お待たせしました、」
「うむ、」
短く頷いて遠野は廊下を歩きだした。
その隣を歩調に合わせるよう、すっきりと広やかな背中が歩いていく。
遠ざかっていく英二の後姿は、強靭に端正だった。
…きれいな、頼もしい背中
あの背中に幾度も救われ、ここに居る。
そんな想いと見送る隣から、内山が笑いかけてくれた。
「このあと談話室で、松岡と宮田の山岳救助隊の話を聴くことになってるんだ。湯原も来ないか?」
「ん、ありがとう、」
みんなの話の輪に誘ってもらえるのは嬉しい、周太は素直に頷いた。
こういうことも、隣に英二がいてくれたから自然と生まれている。
いま見送った背中への感謝が温かい、微笑んだ隣から関根が声を掛けた。
「それ、俺も混ぜてよ。いま藤岡にちょっと聴いたけど、山岳救助隊すごいな?それで宮田、かなりハイレベルらしいよ、」
「宮田って山は初心者だったろ?」
「藤岡の話だと、あいつ7ヶ月で急成長してる。俺も11月以来、ゆっくり話してないんだけどさ。湯原は聴いてるよな、」
急に話をふられて、ちょっと周太は困った。
しかも話題が自分の婚約者に言及している、こういうのは気恥ずかしくて困ってしまう。
けれど、英二を認めて貰えることは嬉しくて、首筋が熱くなるのを感じながらも周太は口を開いた。
「ん、聴いてるよ?たまにだけど、自主トレにも混ぜて貰うから、」
「その自主トレがまた、すごいんだってな?」
話しながら歩いて、寮の扉を潜った。
それぞれ自室の前「あとで談話室で」と別れて、周太は割り当てられた部屋の扉を開いた。
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ジャージに着替え終わって周太は、窓の外を見た。
窓の向こう、西北の空は晴れている。きっと奥多摩は良い天気だろう。
この遠い西北の空には今、光一は何をしているだろう?その美しい泣き顔が、ふと心に映りこんだ。
「…光一、寂しいよね、きっと、」
光一と英二が出逢って7ヶ月、ずっとふたりは一緒だった。
同じ御岳駐在所に勤務して、毎日一緒に自主トレーニングを積んで、遭難救助はパートナーを組んできた。
峻厳の高峰に登って2人きり静謐を見つめ、酒を呑み、語り、心繋ぎあいながらアンザイレンパートナーの絆を繋ぐ。
そうやって7ヶ月ずっと、山ヤとして生きる喜びも哀しみも、ふたりで見つめ泣いて笑ってきた。
そして最近では光一は毎夜、英二の傍で眠るようになっている。
だから今夜は寂しい想いをするだろう、英二が周太と一緒にいることが尚更に光一は寂しい。
その寂しさは、英二と光一が一緒にいるときに周太が独りでいるよりも、ずっと切ないだろう。
たとえ離れている時でも周太には「認められた婚約者」だという自信が、今はある。
男女の婚姻とはまた違うけれど、同性同士で可能な限りの正式な手続きを英二は、法律上でも周太のために進めてくれる。
この3月には英二の父と姉が周太の家まで挨拶にも来てくれた。そのうちに時期を見て、英二の母も同席で顔合わせする話もある。
そうして法律の上でも家族のなかでも認められ、婚約者として「家族」なのだと互いに受けとめあえる所まで今はなった。
この「家族である」ことは「必ず帰る場所」だということ、この信頼と安心があるから自分の嫉妬は尚更に希薄なのだろう。
光一も英二とは警視庁と山岳会から公認パートナーとして認められている。
けれど婚約者とパートナーでは立場が違う、パートナーは「親友」であっても家族ではないから。
それでも2人の絆は深い、だからこそ尚更に光一は寂しさも、傷み深く感じてしまうだろう。
きっといつか、深い絆のまま2人は体も重ねるだろう。
けれどそれは、けっして公には出来ない秘密のなかに隠されてしまう。
ふたりが「警視庁山岳会の公認パートナー」である以上、弱点は1つもあってはならない。
もし弱点があれば、警視庁山岳会の次期トップとセカンドとしての立場と信頼は揺らぐだろう。
だからこそ3月に起きた英二の遭難事故も秘密裏にされた。
これと同じように、ふたりの私的関係の真実も「秘密」に類してしまうだろう。
だから、2人の繋がりを知って認めているのは、周太と吉村医師だけしかいない。
たしかに英二と周太でも「同性同士」であることから、世間では冷たい視線もあるだろう。
それでも公的立場の束縛が自分達には無い、だからこそ法的な手続きの上で結婚もできる。
光一は公的立場でも常に一緒にいられる、けれどその代償は小さくない。
そして光一にとってこの「代償」は大きく傷み、深い寂しさになっている。
なにより自由で純粋な繋がりを求める光一、だからこそ「立場」に縛られる痛みが深い。
深い絆を繋ぎあう、けれど誰に認められる事も難しい繋がり。
その寂しさが解かるから自分は「2人一緒に帰ってきて」と英二にも光一にも2人に言い続けたい。
けれど今日から2ヶ月間は、それが出来ない。英二は家族である周太の傍に「帰って」いるのに光一は一緒にいられない。
「…今、大丈夫かな?」
ひとりごと微笑んで、周太はポケットから携帯を出した。
開いて、着信履歴から通話を繋いでみる。
ゆっくり5コール響いて、透明なテノールの声に繋がった。
「おつかれさま、周太。もう放課後だね?」
「ん、おつかれさま、光一。今、すこしだけ大丈夫?」
「うん、君の電話なら大歓迎だよね。うれしいよ、周太から電話くれるなんてさ、」
幸せそうにテノールの声が笑ってくれる。
こんな自分の電話を喜んでくれる、嬉しくて微笑ながら周太は尋ねた。
「ね、光一?今夜、電話しても大丈夫?」
「…それは、うれしいけど、」
ちいさな空白が返答にゆれる。
この空白の意味が切なくて、愛しいと思わされてしまう。
このひとの心を大切にしたいな、願いを祈りながら周太は笑いかけた。
「よかった、22時半すぎると思うけど、いいかな?」
「うん、周太の都合の良い時でイイけど…でも周太、せっかく宮田と一緒なんだろ?」
ほら、やっぱり光一は寂しかったね?
空白と「宮田と一緒」に心が傷んでしまう、寂しさが映りこんで伝わってくる。
この寂しさは自分にとっても哀しいから、笑顔にしてあげたい。正直な想いに周太は微笑んだ。
「そうだけど、光一の声も聴きたいよ?こんなのワガママかもしれないけど、好きなんだから、仕方ないでしょ?」
「俺のこと、好きって、まだ言ってくれるの?」
すこし泣きそうなテノールが電話むこう微笑んだ。
そんなこと当然なのに?穏やかな想いのまま周太は笑いかけた。
「だって俺は、光一の山桜の精なんでしょ?山桜は何百年も生きるんだからね、大切な想いも何百年ずっと変わらないよ?
光一は俺の、大切な唯ひとりの初恋相手だよ、大好きだよ、もう2度と忘れないよ?英二を好きな気持と違うけれど、すごく大切、」
かすかな吐息が電話むこうあふれる。
この吐息には涙の気配、その温もりに心がまた1つ繋がっていく。
いま重ねて繋がった心に相手の、透明なテノールが涙と幸せに笑ってくれた。
「ありがとう、周太…俺も、ずっとずっと大切だから。あの雪の森で約束したこと、永遠に変わらない。
ほんとに俺、英二のこと愛してるよ。でも、君は特別なんだ。俺の山桜のドリアード、ずっと大好きだ、ずっと君を護ってみせる、」
電話に繋いだ心ふたつ、幸せな笑顔と涙が温かい。
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(to be continued)
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第46話 夏蔭act.1―another,side story「陽はまた昇る」
初日が終わり、ほっと息吐いて周太は窓の外を見た。
初任教養と同じ窓際の席は空と緑が見える、いま雲は真白に濃い青の空を流れていく。
深い青色と白がきれいで嬉しい、周太は微笑んだ。
…もう、夏の空…夏みかん、採らないとね?
こんな空になったら、あと2週間くらいで家の夏みかんは熟す。
ひとつずつ捥いで実と皮を分けて、それぞれ菓子に作り上げていく。
それは家の楽しい風物詩、今年は外泊日にきちんと出来るだろう。
良かったな?心裡の独り言と空に微笑んだ横から、懐かしい声が掛けられた。
「久しぶりだな、湯原。元気そうだね、」
「ん、上野、久しぶり、」
卒業式以来に会う同期に周太は笑いかけた。
警察犬の訓練士を目指している上野は、よく初任教養の頃は犬の話を教えてくれた。
周太も動物は好きだから、いつも楽しかった。そんな記憶と見た先で、相変わらず呑気な顔が笑ってくれた。
「俺、さっきね、最初は湯原が誰か、解からなかったよ?」
「ん?そうなの?…どうして?」
どうしてかな?
微笑んで首傾げこんだ周太に、久しぶりの同期は口を開いた。
「きれいになったよ、湯原。明るい優しい雰囲気になった。まあ、男に言うの変かもしれないけど。嫌だったら、ごめん」
これで今日、何人目かな?
今日は朝から顔見るたびに「きれいになった」と言われている。
こんなに言われ続けると気恥ずかしい、でも一々恥ずかしがるのも大人げない。
でも気恥ずかしいな?心で困りながらも周太は、微笑んだ。
「嫌じゃないよ?ありがとう、」
「やっぱり柔らかくなった、湯原。なんか良いよ、自然体な雰囲気だ、」
「ん、そう?…そうだね、」
自然体、その通りだろう。
ずっと「自分を支えてくれる存在がいる」この安心感が、自分の肩から余計な力を抜いている。
こうなれたのは英二に出逢ってから。特に卒業式の夜からは、安堵感が大きくなり続けて自分は変わっていく。
この変化はむしろ「戻っていく」という方が正しいかもしれない。
まだ幸せだった「父がいた」時間、あの頃は父が守ってくれる安堵があった。
あの頃のように今、英二が自分を護り支えてくれる、いつも抱きしめてくれる。この安堵感が優しい。
…みんなに「変わった、」て言われるの、当然だよね?
いま安らいで心凪いでいる。
この今から7ヶ月前はまだ、いつか本当の孤独に立つ恐怖と孤愁に沈みこんでいた。
あの頃の心と今とは、見える世界が違っている。この違いに感謝を想いながら見た先で、英二は他の同期と笑っていた。
その横顔が楽しげに華やいで嬉しい、大好きなひとの笑顔が嬉しくて微笑んだ周太に上野が笑いかけた。
「なあ?宮田ってさ、かっこよくなったよな?」
それはもうその通りだね?
心裡に大きく頷きながら周太は、上野に笑いかけた。
「どんなふうに?」
「背中がすごいカッコいいよ、すっきりしてさ。細いけど肩とか厚いし、筋肉増えてそう。山岳救助隊って、やっぱ体使うから?」
素直に上野は褒めてくれる、こんな言葉たちも嬉しくて気恥ずかしい。
なんだか婚約者が褒められるのは幸せで、けれど気恥ずかしさに少し居た堪れなくなりそう?
すこし内心で困っていると、関根と瀬尾が話しかけてくれた。
「上野も思うんだ?やっぱり宮田、カッコいいよな?」
「うん、俺も思った。11月に会った時より宮田くん、大人の男って雰囲気だね、」
「あ、それそれ。大人の男、って感じの背中。ちょっとさ、同期であんなだと、自分も頑張んなきゃなってなる、」
…よけいに居た堪れなくなりそう、うれしいけど、ね?
婚約者への褒め言葉に包囲されて、周太は幸せと困惑に微笑んだ。
皆の会話を聴きながら鞄に机の中身を仕舞っていると、ぽん、と肩を叩かれた。
「よ、湯原。2月以来だよな、」
人の好い顔で藤岡が笑いかけてくれる。
その元気に浅黒い笑顔に、周太は立ち上がりながら笑いかけた。
「久しぶり、藤岡。穂高に行ってきたんだよね、雪焼け?」
「そうだよ、真黒だろ?でもさ、冬富士に登っても宮田は全然焼けないんだよな、国村もだけど、」
気さくに笑って藤岡は、むこうで話している同僚を見た。
藤岡と英二は同じ青梅署管轄の駐在所に卒配されて、山岳救助隊でも同僚でいる。だから光一とも同僚になる。
いつも周太の大切な2人を近くから見ていられる、すこし羨ましい想いと笑いかけて周太は訊いてみた。
「冬富士は、やっぱり雪焼けとか大変?」
「うん。特に今の時期は雪がガチガチ凍ってさ、鏡みたいなんだよ。それが反射板状態になって、晴れたらスゴイってわけ、」
「鏡みたいだと、登るのも難しいよね?…雪、すごく硬いんだろ?」
鏡みたいに光って綺麗だった、そんなふうに英二は話してくれた。
けれど雪が鏡状になるには硬度も並大抵ではない、本で知った事から訊いた周太に藤岡はからり笑った。
「9合目から上はコンクリートより硬いとこもあるよ。ルート間違えたらアウト、アイゼンも刺さらなくって滑っちゃうんだ。
風も凄くて煽られるし、気圧も標高4,000レベル。あいつらだから簡単に登って帰ってくるけどさ。普通ムリ、俺は9合目で敗退、」
そんな所に英二と光一は登ってきたんだ?
いつも2人は話してくれるけれど、こうして他の人から話を聴くと改めて驚かされる。
やっぱり2人は本当に「山ヤ」で最高峰を目指すだけの資格を持っている、この実感が嬉しい。
…これなら英二、きっと最高峰で笑っていけるね?光一とふたりで、
どうか2人、幸せに笑っていて?
そんな想いと微笑んだとき、深堀も話しに加わってくれた。
「やっぱり宮田、すごいんだね?俺のとこの上司、警視庁山岳会のメンバーだから、よく宮田のこと話してくれるんだ、」
「へえ、新宿署の人にも知られてるんだ?あいつ、有名人だな?」
素直に感心して藤岡は笑っている。
そんな藤岡をみながら、深堀は周太に訊いてくれた。
「あのこと、皆に話しても良いのかな?訊いてる?」
「ん。良いよ、って言ってた。いつか知られることだろうし、って。でも英二、自分では言わないと思う、」
深堀が言う「あのこと」は、クライマー枠での正式任官のこと。
本来なら、この初任総合の研修期間修了と同時に正式任官と本配属になっていく。
けれど英二は特別措置で2月に繰り上げられ、クライマー専門枠での正式任官をした。
『雪山の訓練に行くのにね、クライマーで正式任官したほうが都合良いから』
そう英二は笑って教えてくれた。けれど本当は、この「特別措置」は昇進と幹部の進路を意味している。
そんなふうに英二は現時点で既に、同期の誰より早く一歩先の階梯を昇ってしまった。
けれど実直で真面目な英二は、自分の昇進を自分から言うことはしない。
でも隠すつもりも無いから「話しても別に良いよ?」と教えてくれた。
このことは藤岡も知っているだろうな?
そう見た先で藤岡は、からり笑って言ってくれた。
「うん?宮田の任官のこと?オープンでOKだって、今朝も言ってたよ、」
「そっか、よかった、」
なんだか気が楽になって、ほっと息吐いてしまう。
すこし寛いだまま笑った周太に、関根が訊いてきた。
「なに?なんか宮田の話?」
「ん、英二が正式に任官したことだよ、」
周太の答えに、関根の目がすこし大きくなった。
そしてすぐ快活に笑って、楽しそうに言ってくれた。
「すごいな、宮田?もう決まったってことはさ、それだけ認められたってことだろ?あいつ、やるなあ、」
率直な祝いの言葉が明るい。
相変わらず快活な同期が嬉しくて笑った周太に、瀬尾が優しい笑顔で提案してくれた。
「よかったね、宮田くん。せっかくだから今夜、俺の部屋でお祝いしない?警察学校の寮だから、お酒はダメだけど、」
「お、イイな、それ。4月に呑もうって言ってたけど、延期のままだしな、」
軽やかに関根も頷いてくれる。
こういう提案は英二のために嬉しい、本当はどこか「孤高」を抱えがちな英二を知っているから。
13年間ずっと孤独でいた周太を「孤高」と言った人もいる、けれど自分は単に「籠っていた」だけ。
ほんとうの孤高は、英二の高潔な姿だと自分は知っている。
…北岳、『哲人』と似てるね?英二は、
光一が贈ってくれた英二と『哲人』北岳の写真。
あの写真に見た英二は真直ぐな高潔がまばゆい、それは美しすぎて近寄り難い姿でもあった。
あの雰囲気はモデル「媛」だった英二の写真も同じ、花と戯れる姿は「女神」の不可侵に映される。
だからわかる、あの高潔に美しい「孤高」は英二の本質だろう。
おだやかで美しい笑顔に孤高をくるんだ英二。
その姿はバットレスの岩壁に佇む高潔な『哲人』と映り合う。
そんな英二は本心を開く相手は限られている、それだけ英二は誇り高く潔癖で、その心は深い。
この高潔には惹かれる、けれど1人の青年として気楽な仲間も英二の傍に居てくれたらとも願っている。
ただ気楽に笑い合える、そういう相手が居れば人生はより豊かになるだろうから。
「湯原、それでいいかな?」
瀬尾の言葉に意識を戻されて、周太は同じ班の同期2人を見た。
また自分だけで考え込んでたな?すこし気恥ずかしく思いながらも素直に頷いた。
「ん、瀬尾の部屋で、夜だね?風呂とかの後?」
「うん。全部済ませてから、のんびり気楽に話そう?」
相変わらずの優しい笑顔で瀬尾は言ってくれる。
けれどこの笑顔が本当は、大人の男の強靭に支えられていると今は知っている。
きっと今夜はこの強靭が見つめる「5年」を話すのだろうな?
そんなことを考えた足元に、ノートが滑りこんだ。
どこから来たのだろう?
ノートを拾いながら見た先で、英二が床に散らばった文房具を拾っていた。
その困りながら微笑んでいる横顔に、周太は鞄を持って歩み寄った。
「これ…俺の方にも、飛んで来てたよ。大丈夫?」
笑いかけると白皙の顔はすぐ、こちらを見てくれる。
藤岡が言った通りに日焼けの翳ない顔が、嬉しそうな笑顔を咲かせた。
「うん、大丈夫だよ、周太?寮に戻るよな、一緒に行こう?」
名前で呼んでくれた。
それが嬉しくて気恥ずかしい、だって今ここは教場で同期たち皆が聴いただろう。
どんなふうに皆に思われる?すこし心配にもなってしまう、けれど英二は周太の手を取り立ちあがってくれた。
…いつも英二、堂々と接してくれる
それが嬉しい、うれしくて幸せが温かい。
いま首筋が熱くなってくるのは、気恥ずかしさと幸せの両方?
そう考えている隣から綺麗に笑いかけてくれる、その向こうから内山が英二に尋ねた。
「湯原のこと、名前で呼んでいるんだ?」
訊いた内山は、変わらない精悍な笑顔で笑っている。
何の偏見も無いまま訊いている、そんな雰囲気にすこし心の肩の力が抜けて行く。
いま英二はクライマー専門枠で正式任官したばかりの大切な時期、だから心配にもなってしまう。
この大切な時期に「スキャンダル」と言われたら?そんな危惧に見つめた向こう、英二は綺麗に笑った。
「うん、そのくらい大切なんだ、」
大切だから。
この率直な想いの言葉が、温かい。言葉告げた人は真直ぐ「誇らしい」と笑っている。
そんな英二に松岡が、温かな笑顔で言ってくれた。
「おまえら、初任教養の時から仲良かったもんな?じゃあ、あとで談話室で、」
軽く手を挙げると松岡は、携帯を開きながら教場を出て行った。
その横顔が幸せに和んでいる、きっと奥さんからなのだろう。
とても大切にしているのだろうな?考えながら周太は自分の大切なひとに笑いかけた。
「俺たちも行こう?…英二、」
名前、呼べた。
呼んだ名前に婚約者は、心から幸せな笑顔咲かせてくれる。
この貌を見たらもう、言われなくても自分への気持ちが解かってしまう。
この場所でも名前で呼んで、こんな貌をしてくれる。うれしい想いで見上げた先、英二のこめかみを関根が小突いて笑った。
「久しぶりだな、宮田?相変わらず、湯原には甘い顔しちゃってるんだな、」
あまいかおだなんて恥ずかしくなるよ?
心裡でつい訴えて、首筋が熱くなってくる。
関根は何も言わない、けれど本当は英二と周太のことを気づいているのだろうか?
そう見つめている隣で、素直に英二は関根と瀬尾に謝った。
「うん、相変わらずだよ?あと、飲み会、ごめん。せっかく瀬尾が声かけてくれたのに、」
「大丈夫。今夜、俺の部屋で話そうって今、言っていたところなんだ。宮田くんこそ、休みも無いって聴いたよ?大丈夫?」
「俺の場合、好きで行っている訓練が多くて、休みが無いだけだよ。だから大丈夫、」
笑って話している隣を歩いて廊下へと出た。
こんなふうに皆でまた歩いている、これは普通の光景かもしれない。
けれど自分にとっては得難いことだと解っている。
もし11月、あのラーメン屋の主人に自分一人で会いに行ったら。今、自分はここに居ない。
もし1月、あの弾道実験のとき光一が受けとめてくれなかったら、ここに居られない。
それから2月の御岳山で滑落しかけた瞬間、もし英二が救けてくれなかったら生命すら危うかった。
そして迎える夏の向こう側では、この「普通の光景」はもう、遠くなるだろう。
だから、この「今」の瞬間が幸せで嬉しい、うれしい想いと微笑んだ周太に内山が話しかけてくれた。
「湯原も宮田のこと、名前で呼ぶんだな?ほんと、仲良いんだ。そういうの、ちょっと羨ましいよ、」
「ん、そう?」
こんなふうに言われるの、なんだか嬉しい。
そして気恥ずかしくて、でも幸せなのだなと感謝が温かい。温もりに微笑んだ周太を見て内山が笑った。
「湯原、きれいになったな?男に言うの失礼だったら、すまない、」
謹直、そんな言葉が似合う同期にまで言われるなんて?
すこし驚いてしまう、また首筋が熱くなっていく。
驚いて気恥ずかしくて困りそう、けれど周太は綺麗に笑って内山に応えた。
「ん、ありがとう…最近よく、言われるんだ。恥ずかしいけど、嬉しいよ?」
「そうか、じゃあ良かった、」
精悍な顔がほころんで、急に人懐っこい雰囲気にくるまれる。
いつも真面目な顔をしているけれど、内山は笑うと愛嬌があらわれて優しい。
こういう顔は友達も沢山いそうで「ちょっと羨ましい」と言うことが不思議にも思えてしまう。
「宮田、ちょっと来てくれるか?話がある、」
渋めの声に振向くと、遠野教官が立っていた。
その表情と「英二が呼びだされた」ことに、心臓が大きく撃たれた。
…きっと、履歴書のこと
英二の履歴書は、7ヶ月前と大きく変わっている。
このことで英二は呼ばれるだろうと予想はしていた、けれど現実になれば心は締められる。
あれだけ変化した履歴書を見たら、遠野教官なら当然問い質す。
「はい、解かりました、」
きれいな低い声が隣から答えた。
いつも通り落着いた声は微笑んでいる、このトーンにすこし安心しながら周太は遠野を見た。
その視線に翳りある目が静かに動いて、すこしだけ周太に微笑んだ。
…遠野教官が、笑った?
ゆっくり瞳瞬いた先、微笑は静かに消えていく。
けれど温かい空気が遺されて周太はちいさく微笑んだ。
つい先月に刑事課の佐藤が伝えてくれた遠野の伝言、それから今の短い微笑。どちらからも「信じられる」と思える。
遠野は英二を悪いようにはしない、そんな信頼を思いながらも、それでも心配で周太は英二を見上げた。
―「大丈夫だよ?」
見上げた先、切長い目が穏やかに微笑んでくれた。
そして英二は遠野教官に向き直った。
「すみません、お待たせしました、」
「うむ、」
短く頷いて遠野は廊下を歩きだした。
その隣を歩調に合わせるよう、すっきりと広やかな背中が歩いていく。
遠ざかっていく英二の後姿は、強靭に端正だった。
…きれいな、頼もしい背中
あの背中に幾度も救われ、ここに居る。
そんな想いと見送る隣から、内山が笑いかけてくれた。
「このあと談話室で、松岡と宮田の山岳救助隊の話を聴くことになってるんだ。湯原も来ないか?」
「ん、ありがとう、」
みんなの話の輪に誘ってもらえるのは嬉しい、周太は素直に頷いた。
こういうことも、隣に英二がいてくれたから自然と生まれている。
いま見送った背中への感謝が温かい、微笑んだ隣から関根が声を掛けた。
「それ、俺も混ぜてよ。いま藤岡にちょっと聴いたけど、山岳救助隊すごいな?それで宮田、かなりハイレベルらしいよ、」
「宮田って山は初心者だったろ?」
「藤岡の話だと、あいつ7ヶ月で急成長してる。俺も11月以来、ゆっくり話してないんだけどさ。湯原は聴いてるよな、」
急に話をふられて、ちょっと周太は困った。
しかも話題が自分の婚約者に言及している、こういうのは気恥ずかしくて困ってしまう。
けれど、英二を認めて貰えることは嬉しくて、首筋が熱くなるのを感じながらも周太は口を開いた。
「ん、聴いてるよ?たまにだけど、自主トレにも混ぜて貰うから、」
「その自主トレがまた、すごいんだってな?」
話しながら歩いて、寮の扉を潜った。
それぞれ自室の前「あとで談話室で」と別れて、周太は割り当てられた部屋の扉を開いた。
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ジャージに着替え終わって周太は、窓の外を見た。
窓の向こう、西北の空は晴れている。きっと奥多摩は良い天気だろう。
この遠い西北の空には今、光一は何をしているだろう?その美しい泣き顔が、ふと心に映りこんだ。
「…光一、寂しいよね、きっと、」
光一と英二が出逢って7ヶ月、ずっとふたりは一緒だった。
同じ御岳駐在所に勤務して、毎日一緒に自主トレーニングを積んで、遭難救助はパートナーを組んできた。
峻厳の高峰に登って2人きり静謐を見つめ、酒を呑み、語り、心繋ぎあいながらアンザイレンパートナーの絆を繋ぐ。
そうやって7ヶ月ずっと、山ヤとして生きる喜びも哀しみも、ふたりで見つめ泣いて笑ってきた。
そして最近では光一は毎夜、英二の傍で眠るようになっている。
だから今夜は寂しい想いをするだろう、英二が周太と一緒にいることが尚更に光一は寂しい。
その寂しさは、英二と光一が一緒にいるときに周太が独りでいるよりも、ずっと切ないだろう。
たとえ離れている時でも周太には「認められた婚約者」だという自信が、今はある。
男女の婚姻とはまた違うけれど、同性同士で可能な限りの正式な手続きを英二は、法律上でも周太のために進めてくれる。
この3月には英二の父と姉が周太の家まで挨拶にも来てくれた。そのうちに時期を見て、英二の母も同席で顔合わせする話もある。
そうして法律の上でも家族のなかでも認められ、婚約者として「家族」なのだと互いに受けとめあえる所まで今はなった。
この「家族である」ことは「必ず帰る場所」だということ、この信頼と安心があるから自分の嫉妬は尚更に希薄なのだろう。
光一も英二とは警視庁と山岳会から公認パートナーとして認められている。
けれど婚約者とパートナーでは立場が違う、パートナーは「親友」であっても家族ではないから。
それでも2人の絆は深い、だからこそ尚更に光一は寂しさも、傷み深く感じてしまうだろう。
きっといつか、深い絆のまま2人は体も重ねるだろう。
けれどそれは、けっして公には出来ない秘密のなかに隠されてしまう。
ふたりが「警視庁山岳会の公認パートナー」である以上、弱点は1つもあってはならない。
もし弱点があれば、警視庁山岳会の次期トップとセカンドとしての立場と信頼は揺らぐだろう。
だからこそ3月に起きた英二の遭難事故も秘密裏にされた。
これと同じように、ふたりの私的関係の真実も「秘密」に類してしまうだろう。
だから、2人の繋がりを知って認めているのは、周太と吉村医師だけしかいない。
たしかに英二と周太でも「同性同士」であることから、世間では冷たい視線もあるだろう。
それでも公的立場の束縛が自分達には無い、だからこそ法的な手続きの上で結婚もできる。
光一は公的立場でも常に一緒にいられる、けれどその代償は小さくない。
そして光一にとってこの「代償」は大きく傷み、深い寂しさになっている。
なにより自由で純粋な繋がりを求める光一、だからこそ「立場」に縛られる痛みが深い。
深い絆を繋ぎあう、けれど誰に認められる事も難しい繋がり。
その寂しさが解かるから自分は「2人一緒に帰ってきて」と英二にも光一にも2人に言い続けたい。
けれど今日から2ヶ月間は、それが出来ない。英二は家族である周太の傍に「帰って」いるのに光一は一緒にいられない。
「…今、大丈夫かな?」
ひとりごと微笑んで、周太はポケットから携帯を出した。
開いて、着信履歴から通話を繋いでみる。
ゆっくり5コール響いて、透明なテノールの声に繋がった。
「おつかれさま、周太。もう放課後だね?」
「ん、おつかれさま、光一。今、すこしだけ大丈夫?」
「うん、君の電話なら大歓迎だよね。うれしいよ、周太から電話くれるなんてさ、」
幸せそうにテノールの声が笑ってくれる。
こんな自分の電話を喜んでくれる、嬉しくて微笑ながら周太は尋ねた。
「ね、光一?今夜、電話しても大丈夫?」
「…それは、うれしいけど、」
ちいさな空白が返答にゆれる。
この空白の意味が切なくて、愛しいと思わされてしまう。
このひとの心を大切にしたいな、願いを祈りながら周太は笑いかけた。
「よかった、22時半すぎると思うけど、いいかな?」
「うん、周太の都合の良い時でイイけど…でも周太、せっかく宮田と一緒なんだろ?」
ほら、やっぱり光一は寂しかったね?
空白と「宮田と一緒」に心が傷んでしまう、寂しさが映りこんで伝わってくる。
この寂しさは自分にとっても哀しいから、笑顔にしてあげたい。正直な想いに周太は微笑んだ。
「そうだけど、光一の声も聴きたいよ?こんなのワガママかもしれないけど、好きなんだから、仕方ないでしょ?」
「俺のこと、好きって、まだ言ってくれるの?」
すこし泣きそうなテノールが電話むこう微笑んだ。
そんなこと当然なのに?穏やかな想いのまま周太は笑いかけた。
「だって俺は、光一の山桜の精なんでしょ?山桜は何百年も生きるんだからね、大切な想いも何百年ずっと変わらないよ?
光一は俺の、大切な唯ひとりの初恋相手だよ、大好きだよ、もう2度と忘れないよ?英二を好きな気持と違うけれど、すごく大切、」
かすかな吐息が電話むこうあふれる。
この吐息には涙の気配、その温もりに心がまた1つ繋がっていく。
いま重ねて繋がった心に相手の、透明なテノールが涙と幸せに笑ってくれた。
「ありがとう、周太…俺も、ずっとずっと大切だから。あの雪の森で約束したこと、永遠に変わらない。
ほんとに俺、英二のこと愛してるよ。でも、君は特別なんだ。俺の山桜のドリアード、ずっと大好きだ、ずっと君を護ってみせる、」
電話に繋いだ心ふたつ、幸せな笑顔と涙が温かい。
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(to be continued)
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