萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第47話 陽面act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2012-06-26 23:41:45 | 陽はまた昇るanother,side story
想い、続いて



第47話 陽面act.4―another,side story「陽はまた昇る」

16時半を過ぎて、新宿は明るい黄昏の気配が降り始めていく。
あわく薄紫さす空はどこか優しい、駅前の通りから眺める空に周太は微笑んだ。

…きれいだね、新宿の空も

最初は、そんなふうに想えなかった。
ここは父が銃弾に斃れた街、そんな想いが重苦しくて寂しくて、孤独の底を感じていた。
けれど今はもう、この街にも優しい想いをたくさん知っている。
そんな優しい一角を通りかかって、そっと周太は店内をのぞきこんだ。

「ここ、素敵な花屋さんよね?周太くんも来るの?」

隣歩く英理も一緒にのぞきこんで、笑いかけてくれる。
訊かれたことに首筋が熱に染まりだす、それでも周太は正直に微笑んだ。

「はい、よく来ます…ここのひとすてきだからすきで…それ英二もしってます」
「あら、英二公認のライバルさん、ってことなのね?」

答えに綺麗な声が愉しげに笑ってくれる。
だんだん熱が首筋を昇ってくるのを感じながらも、素直に答えた。

「あの、えいじを好きなのとは、ちょっと違うんです…憧れ、って、母と英二は教えてくれました、」
「憧れか、いいな?周太くんみたいな、きれいな男の子に憧れてもらえたら、きっと嬉しいわよ?」

そんなふうに言われると、余計恥ずかしいな?
くすぐったい想いと笑った背中から、優しい声が掛けられた。

「こんにちは、今日は素敵な方と、ご一緒なのね?」

声に心臓がひっくりかえった。
それでも振向いて、周太は素直に笑いかけた。

「こんにちは、今日はふたりです。でも…ごめんなさい、見ていただけなんです、」
「見てくれるだけでも、嬉しいわ。お客さまも、なんどか来て下さった方ですよね?あわいピンク色のお花を、よく買われる、」

優しい笑顔が英理にも笑いかけてくれる。
すこし切長い目が驚いたよう大きくなって、綺麗な声が楽しそうに笑った。

「はい、なんどかお花、買わせてもらっています。よく花の好みまで、覚えていますね?」
「これぐらいしか、取柄がないんです。雰囲気とお花の好み、ってなんだか似ているから、覚えやすくて、」

すらりとしたエプロン姿の女主人は恥ずかしげに微笑んだ。
さらさらの髪をスカーフでまとめた優しい笑顔は、温かみと爽やかさが素敵だなと思ってしまう。
いつものよう花に囲まれながら、彼女は英理の持っているブーケと周太に笑いかけてくれた。

「素敵なブーケですね、芍薬とライラック、この季節きれいな子たちだわ。みんな露地物ですよね?もしかして、君が育てたお花?」

きっとそうでしょう?

そんなふうに優しい瞳が周太に笑いかけてくれる。
このブーケは母に教わってまとめたから、お店で見るものとラッピングも変わらない。
それでも彼女は、ひと目で周太が育てブーケにしたと言い当ててしまった。

…どうして解かるんだろう?

やっぱりこのひと、花の女神さまなのかな?
見た感じは周太たちより少し年上で、落着いた瑞々しさに空気がやわらかい。
やっぱり人間の女の人だろう、けれど不思議なひとだな?素直に驚いて周太は女主人を見つめた。

「はい、そうです…どうして解かったんですか?」
「なんだか雰囲気が似ているな、って思ったんです。とても素敵なブーケね、やさしくて清楚で、この子たちを活かしてるわ、」

優しい声が周太の花を褒めてくれる。
褒めてもらって嬉しい、けれど気恥ずかしくて首筋から頬まで熱くなってしまう。
ちょっと困りながらも周太は、素直に女主人に笑いかけた。

「ありがとうございます…プロの方に褒められて、恥ずかしいけど嬉しいです、」
「こちらこそ、プロなんて言われると照れちゃいます。こんなに可愛い子たちを育てられる人に、褒められたら、」

さらさらの束髪ゆらして彼女も笑ってくれる。
こんなふうに花を褒めてくれるなら、失礼にならないかな?
いま思いついたことに呼吸ひとつして、白い和紙に包んだだけの花を彼女に差し出した。

「あの、良かったらこれ、差上げます…ちゃんとしたブーケじゃないんですけど、」

白の芍薬を1本、寮の部屋に活けようと思って切って来た。
いま活けてある花菖蒲の根〆にと、なにより庭の花を英二にも見せたくて連れてきた。
だからちゃんとブーケにもしていない、それでも受けとってくれるかな?想いと見た先で彼女は微笑んでくれた。

「うれしいわ。でも、このお花、どこかに持って行くのじゃないの?今日はスーツですし、」

いつも周太は私服でこの店に来る。
けれど警察学校を出入りする時は必ずスーツと決められているから、帰寮する今日もスーツ姿でいる。
色々いつもと違っていて驚かせたかな?すこし心配しながらも周太は笑いかけた。

「大丈夫です。それに俺、バレンタインのお返し、まだしていないんです、なにが良いのか解らなくて。
あの、こんな包み方だし、急な思いつきでプレゼントするなんて、失礼なんですけど…よかったら受けとって下さい、」

やっぱり失礼かな?
心配になりながら見つめた先、けれど彼女は微笑んで手を差し出してくれた。

「ありがとうございます、とっても嬉しいわ。なんだか、おねだりしちゃったかしら?ごめんなさいね、」

そっと優しい手が、差し出した花を宝物のように受けとってくれる。
いつも見惚れている花愛でる手が、自分が育てた花も受け取ってくれた。嬉しくて周太はきれいに笑った。

「いいえ、すごく嬉しいです…受けとって下さって、ありがとうございます、」
「あら、こちらこそよ?私、男の人にお花を戴くの、初めてなんです。最初が花好きの方からで、本当に嬉しいわ、」

優しい笑顔が幸せに咲いてくれる。
思い切って渡して、良かったな?気恥ずかしくなりながらも周太は、幸せに笑った。



待合せ10分前に改札口へ着くと、相変わらず雑踏は賑やかでいる。
晴れた日曜日の夕方、食事を楽しむ人も多いのだろうな?
そんなふう見ていると、楽しそうに英理が笑いかけてくれた。

「周太くん、お花屋さんのこと、本当に憧れているのね?お花渡した時、すごく嬉しそうで、ちょっと羨ましくなっちゃったわ、」
「あ、…そんなに俺、そうでした?」

言われると気恥ずかしい、また首筋が熱くなってしまう。
ちょっと困りながら首傾げた周太に笑いかけながら、英理は想いを言葉にした。

「憧れるとか、恋愛とか良いな?そう想えるわ、周太くん見ていると。あと、お母さんの話でも想ったわ、結婚って良いな、って、」

さっき実家の和室で、母が茶を点てながら話したこと。
いつも両親の恋の話を聴いて周太は育っている、けれど今日みたいな話は初めてだった。
それでも卒業式の翌朝に話してくれたことは、今日の話にも通じている。あんなふうに話してくれる母が、自分は大好きだ。
大切な母への想い微笑んで、周太は英理に尋ねた。

「あの、さっき母が、お茶の席で話してたことですか?」
「ええ。お母さん、ほんと素敵ね?あんなふうに私、なれたらいいな、って思ったわ、」

きれいな笑顔が明るく咲いてくれる。
その向こう側、改札から懐かしい姿が歩いてくるのに周太は気がついた。

「お待たせ、姉ちゃん、周太、」

きれいな低い声が名前を呼んで、きれいな笑顔が咲いてくれる。
たった1日離れていただけ、それなのに懐かしくて嬉しくて、そっと心ふるえてしまう。
ちゃんと帰ってきてくれた、いま笑ってくれて嬉しい、逢いたかった、無事が嬉しい。
そんな想いの視界で美しい姉弟は、周太の花をはさんで微笑んだ。

「見て、英二?お花を戴いたの、また周太くんがお庭で摘んで、ブーケにしてくれて。素敵でしょ?」
「うん、すごくきれいだな、ありがとう周太、」

きれいな笑顔がこちらを見てくれる。
嬉しくて幸せで、素直に周太は微笑んだ。

「喜んでもらえて、うれしいよ?…あの、」

笑いかける先、嬉しい想いが笑い返してくれる。
この笑顔は自分だけにしてくれるのかな?そんな想い見つめながら「絶対の約束」の言葉に微笑んだ。

「お帰りなさい、英二、」

言葉に幸せな笑顔が咲いていく。
そして大好きな声が応えの言葉に笑ってくれた。

「ただいま、周太、」

笑いかけ、隣に立つと英二は周太の右掌をとって長い指にくるみこんだ。
いまスーツ姿で、英二の姉もいるのに?驚いて周太は婚約者に問いかけた。

「あの、えいじ?いま、手をつなぐの?」
「うん、ちょっと涼しいし、周太に触れていたいから。ダメ?」

きれいな切長い目が明るく笑ってくれる。
こんな貌で「ダメ?」なんて言われたら断り難いな?
困りながらも何も言えないでいる周太を、英二はそっと手を曳いて歩き始めた。
そんな様子に呆れ半分に笑って、英理は弟の頬を小突いた。

「ちょっと英二?周太くん、顔が真赤よ?すこしは遠慮しなさいよね、まったく、」
「俺、ずっと逢いたくて我慢してたんだから。ちょっと赦してよ?ね、周太は赦してくれるよな?」

端正な顔は悪びれず笑っている。
こんなに英二はスキンシップが好きで、気恥ずかしいけれど嬉しくて、でも困ってしまう。
それから、すこしだけ寂しさが心引っ掻いた。

…ほんのすこし前までは、光一にふれていたのかな

つきん、想いが胸を刺す。

ふたりに寄添いあってほしいと望んだのは自分。
この望みに偽りは欠片も無くて、どうか願い叶えてほしいと祈っている。
それなのに、ちいさな傷みが心ふれるのは何故だろう?

…人のこころは、迷宮みたいだね、

ふと思いがけない、感情の起伏に惑わされる。
幾度と覚悟して定めても、定まりきれない余韻よみがえる瞬間が痛い。
こんなふうに突然遭遇する想いたちは、迷宮の出遭いのように不意打ちする。
心のガードが無い不意打ちに、心は驚き惑わされ、無防備に痛みを負ってしまう。

それでも自分は決めた。
だからもう、惑わされても迷わない。
ふたりが大切で、どちらに対する想いも枯れない花。だから、迷う必要はない。
英二と光一、この2人が幸せに笑ってくれるなら、どんな想いにも迷わず唯、幸せを祈っていく。

…ふたりで、幸せな時間を過ごしてくれたのなら、いいな?

やさしい祈り想いながら歩く隣、英二は姉に笑いかけている。
笑いかける向こうで英理はすこし緊張をして、けれどもう花の庭で心を定めてきた。
これからの時間、どんなふうに話すのかな?そう考えている裡に、瀟洒なダイニングバーの入口を潜った。
すぐに現われた店員に英二が名前を告げて、案内された個室の席に落着くと英理が微笑んだ。

「英二、なかなか良いお店ね?来たことあるの?」
「うん。前に、父さんから教えて貰ったんだ。周太、ノンアルコールカクテルでオレンジのがあるよ?」

英理に答えながら、メニューを周太に示してくれる。
選んでくれた飲み物に素直に頷くと、長い指で呼び鈴を押してオーダーをしてくれた。
そんな様子も英二は物馴れている。隣に座る大人っぽい横顔を見惚れていると、英理が笑いかけてくれた。

「周太くん、ほんとにさっきとは、全然違うね?今、ほんとに好きです、って顔してる、」
「あ、…はずかしいです、」

指摘されて首筋にまた熱が昇りだす。
うつむき加減におしぼりで手を拭きだした隣、きれいな低い声が微笑んだ。

「姉ちゃん、先に言っちゃうけど。関根から俺、相談されたよ?姉ちゃんに振られた、って泣かれたんだけど、」
「ほんとストレートね、英二ってば、」

やさしい声が笑って、ふわり綺麗な目が寛いだ。
言葉の封切が場をなごませた、そんな空気に英理は口を開いた。

「私もね、周太くんと湯原のお母さんに、泣きついてきたとこよ?恋愛に自信が持てません、って言って、」
「やっぱり姉ちゃん、恋愛に自信ないんだ?」

おだやかな切長い目が笑んで、ふと入口のノックに目を遣ってくれる。
開かれた扉から運ばれたグラスを、銘々の前に長い指で置きながら周太に笑いかけてくれた。

「周太は、なんて答えてくれたの?」
「ん、…ちょっと、はずかしいな、じぶんでいうのは、」

ちょっとそれは難題だよ?
そんな目で英理の方を見ると、綺麗な目が笑って言葉を引き取ってくれた。

「周太くんはね、自信が無い方が相手を大切にするから、幸せに出来ると思う、って言ってくれたの。
それで、お母さんはね?警察官の妻として想ってきたことを、お話してくれたわ。ゆっくり、お茶を点ててくれながら、」

皐月の午後、母は帰ってきてすぐ茶席の本座に坐ってくれた。
洋装のままで寛いだ空気のなか、端午の節句に因んだ菓子と茶花を英理に楽しませ、ゆったり彼女の話を聴いて。
それから母は、いつものように穏やかな笑顔で話してくれた。ゆるやかな午後の記憶に微笑んだ前で、英理も笑顔で口を開いた。

「警察官は一秒後すら生きているのか分らない。今、この一瞬を生きる事しかできません。
だからこそ愛するあなたの隣で、一瞬を大切にしたいと願います。あなたを遺して明日、死ぬかもしれない。
けれど今、この一時を精一杯に努力して、あなたを幸せにします…これが、周太くんのお父さんのプロポーズ、そう教えてくれてね。
そして私に訊いてくれたの、この覚悟が出来ますか?って。警察官と恋愛するなら、この覚悟は必要です。そう、はっきり言ってくれたの」

父の求婚の言葉と、母の覚悟。
この父の言葉は卒業式の翌朝に、母は周太にも話してくれた。
けれど、母の覚悟までを自分は明確に考えたことが無かった。

母は自分と同じように、母子家庭で育っている。
祖父は母が生まれてすぐに亡くなって、祖母も母の大学卒業後に急逝した。
けれど親戚も無くて、天涯孤独になった母は家族の温もりが恋しかっただろう。
そして父と出逢って恋をして結婚をした。この結婚を母は、心から幸せだと微笑んで話してくれる。
でもこの結婚は「あなたを遺して明日、死ぬかもしれない」と宣言される、孤独の覚悟だった。

…ね、お父さん?お母さんは、本当に真剣に、唯ひとりだけ、お父さんを恋して愛してるね?

唯ひとり、だから母は孤独の覚悟も出来た。
この覚悟と「唯ひとり」と想う意味が、自分にも今なら解る。
だって英二を待つ時いつも自分も、この覚悟をなんども見つめてしまうから。
自分も同じ警察官、それでもこの覚悟は怖くて、哀しくて、けれど見つめて向き合っている。
この恐怖も哀しみも全てが愛するひとに繋がる絆、そんな想いがあるから向き合える。
いま改めて想い向き合っている前で、英理は言葉を続けてくれた。

「関根くんも警察官だから、この子の父親と同じになる可能性があります。殉職はあってはいけない事です、けれど覚悟は必要です。
その覚悟が出来るのなら、おつきあいして良いと思う。そう言ってね、お母さん笑ってくれたの、『私は主人の妻で、本当に幸せよ』って」

いま英理が語ってくれる母の想いが、心から温かい。
やさしい温もり微笑んだ前から、英理は弟を真直ぐ見つめて想いを紡いだ。

「お母さん、いちばん大切なことを、私に気付かせてくれたわ。関根くんの為に覚悟できるのか?彼を支えられる私なのか?
この事がいちばん大切なのよね…婿養子のこと、英二と周太くんの友達だということ、そんなことに執われて大切なことが抜けてたの。
お茶を戴きながら私、覚悟してきたわ。ねえ、英二?ワガママをしてもいいかな?…私ね、湯原のお母さんみたいに、なりたいのよ、」

きれいな笑顔が快活に咲いて、英二と周太を見てくれる。
明るい華やいだ覚悟と真直ぐ見つめて、優しい綺麗な声は続けた。

「私、関根くんと向き合ってみたい。警察官だから普通のおつきあいは難しい、それは英二たちを見て解かっているつもり。
自由に逢うことも難しい、急な任務で逢えなくなる事もある…命の危険に遭う可能性が高いって、あんたのことで身に沁みてる。
湯原のお父さんが言う通り一秒後は無いかもしれない、だから幸せな約束を結んでも、どんなに真剣でも、約束は壊れるかもしれない」

想い話す人の、あざやかな睫に雫がきらめいた。
きらめきは白皙の頬あふれて、ひとしずく光の軌跡えがいていく。
それでも英理は、明るい幸せの笑顔を華と開かせた。

「それでも私、向きあってみたいの。だって私には、この7ヶ月間ずっと関根くんのメールが一日の楽しみで、幸せな時間だったから、」

涙きらめく瞳は、幸せを真直ぐ見つめていく勁さがもう、笑っている。
告げる想いの覚悟は厳しい、けれど声も瞳も明るいトーンに微笑んでいる。
明るく先を見つめる聡明な声は、率直に笑って弟にねだった。

「お願いよ、英二?関根くんに向きあうチャンスを、私に頂戴?英二と周太くんのことも、正直に話させて欲しいの。
秘密も無い、本音の所かららスタートしたいの。だって一秒後があるのか解らない、彼と恋愛できるチャンスは、今しかないわ、
だから私と関根くんの間には、秘密も優しい嘘も要らない。見つめ合う一瞬を続けていくのなら、そんなものに時間を遣いたくないの」

華やかで落着いた声が、真直ぐな覚悟と願いを告げていく。
告げて、快活な切長い目が明るく笑って、お願いをした。

「お願い、英二。なるべく早く、彼に逢うチャンスを私にプレゼントして?」

あざやかな睫の切長い目が、良く似た美しい切長の目に微笑んだ。
願いに見つめられた目はひとつ瞬いて、大らかな優しさに綺麗に笑った。

「うん、お願い叶えるよ、姉ちゃん?」

笑って長い指は携帯電話を開くと、すぐ通話に繋いだ。

「関根?俺、…うん、そう、…じゃ、」

短い通話に切ると、メニューを取りながら長い指は呼び鈴を押した。
すぐに店員が扉を開いて、きれいな低い声はオーダーを告げた。

「すみません、ノンアルコールビールお願いします。5分後に届くように、お願い出来ますか?」

綺麗な笑顔のオーダーに店員も笑顔で頷いて、扉が閉じる。
この時間の指定と、英二のグラスの減り具合に周太は気がついた。

「あの、英二?もしかして、」

言いかけたとき扉をノックする音に、英二は振向いた。
振向いた向こう扉は開かれて、長身のスーツ姿が現われた。

「おつかれ、関根。そこ座ってよ、」

綺麗な低い声が言った先でスーツ姿の関根が、呆気にとられて立ち竦んでいる。
これが前に言っていた「ぽかーん」の顔かな?そう見ていると、英二は立ち上がって関根の腕をとった。

「ほら、座ってよ?店員さん、ドアが閉められなくて困ってるだろ?」
「…あ、おう、」

促されて、関根は英理の隣に座った。
英理も驚いたよう瞳ひとつ瞬いて、それから可笑しくて堪らない笑顔になって弟に笑った。

「英二?あんた、ほんと根回し良いわよね?でも、今すぐ話しても、大丈夫なの?」
「うん、俺の方は大丈夫、」

周太の隣に座り直しながら、切長い目は微笑んでいる。
ゆったり長い脚を組んで、ネクタイをすこし緩めながら英二は口を開いた。

「俺、後藤副隊長にも相談してきたんだ。姉の為に周太と進路のこと、同期に話しても良いですか?って許可、貰ってきた。
国村と吉村先生にも今日、話してある。父さんとも昼休みに電話した。だから、湯原のお母さんと周太がOKなら、俺は話して大丈夫だよ、」

英二が周太と婚約していること。これは今の英二の立場にとって、スキャンダルとされる可能性もある。
だから英二は自分の関係する相手全員に、きちんと話す許可を取って来てくれた。
実直で賢明な英二らしい鮮やかな手並みが、頼もしい。

…こんなところ、すき、って想っちゃうな?

そっと心裡つぶやいて隣を見ると、切長い目がこちらを見つめていた。
目が合って、心ひっくり返る想いに首筋が熱くなってしまう。
こんな時に困っちゃうな?そんな想いに熱くなりだす頬にあてようとした左掌を、そっと英二は長い指の掌にとった。

「関根、もう気がついてるんだろうけどさ。周太は俺の恋人だよ、卒業式の後からずっとつきあってる」

きれいな低い声が穏やかに笑って、前に座る関根に告げた。
告げられて、澄んだ大きな目をひとつ瞬くと、快活に関根は笑ってくれた。

「やっぱ、そうなんだ?お似合いだよ、おまえら。宮田、初任教養の時から湯原ばっか、見てたもんな?」
「だろ?俺は周太にだけしか、恋していないからね。それでさ、お互いの家も了解の上で、婚約もしてるんだ、」

幸せに笑って英二は答えてくれる。
そっと周太の掌を握ったままで、英二は明瞭に「家の事情」を関根に告げた。

「落着いたら正式に籍も入れる。周太が俺の籍に入るから名字は宮田だけど、実際は俺が湯原の家に入るんだ。
だから宮田の家は、姉ちゃんが継いでくれるんだよ。それで、姉ちゃんの相手には、婿養子になってもらいたいんだ。
これがね、おまえが金曜日に俺に訊いてきた『家の事情』だよ。あと付け加えるなら、うちの母さんは頑固で難しいってことかな」

さらり付け加えた最後の言葉に、関根はすこし首を傾げこんだ。
その間に扉がノックされて、考え込んで座る前に冷たいグラスが置かれた。
冷えたグラスを大きな手に取ると、考え込んだまま関根は口付けて、ひと息に半分ほど飲干した。

とん、

グラスが大きな手からテーブルに置かれる。
ほっと息吐いて、それから関根は体ごと英理に向き直ると、真直ぐ尋ねた。

「お母さんが、俺を受け入れるのは難しい。そういうことですか?」
「え?」

ちいさく「意外」だと英理が声をあげた。
けれど関根は真直ぐに英理の目を見つめたまま、自分の考えを伝えた。

「俺は地方の出身で、父親も亡くなっています。決して裕福な家ではありません、俺自身は高校までヤンチャして、補導歴もあります。
だから英理さんとは釣合わないと言われたら、文句は言えません。ただ俺は次男で、兄と双子の妹がいます。だから婿養子にはなれます。
俺の前歴と家柄は自慢できるものでは無いです、でも俺は自分の家族を立派だと思っています。そして自分も、成長できると信じています、」

澄んだ大きな目は真直ぐな性格のまま、英理を見つめている。
そして明るい声は想いをはっきり言った。

「英理さん、俺は警察官です。いつ危険な目に遭っても当然な職業です、いつも約束を必ず守れるかは、正直難しいです。
それでも出来る限りの努力はします、一回でも多く笑って貰えるように、俺、がんばります。だから、正直に教えてください。
お母さんのこと抜きにして答えて下さい。俺は本気です、あなたが好きです。結婚を前提に考えて、おつきあいしてくれませんか?」

…関根、かっこいいな

ほっと溜息ついて周太はふたりを見つめた。
けれど英理はすこし途惑っている、その途惑いの理由は多分これだろうな?
そんな予想と見守る先で、遠慮がちに英理が口を開いた。

「あのね、関根くん…英二と周太くんのことは、いいの?」
「え?いいの、って、なんか問題あるんですか?」

大きな目が意外そうに顰められて、首傾げこむ。
そんな様子に「問題にならない」と関根が想っている事が解かる、なんだか嬉しくて周太は笑った。
けれど結婚は本人同士の問題だけではない、友人の目を見つめて周太は問いかけた。

「あのね、関根?もし関根が英理さんと結婚したら、男同士で結婚した弟が出来るんだよ?…関根は平気なの?ご家族は大丈夫?」

このことが理由で、英理は途惑っているだろうな?
この理解に英理が笑いかけて周太に「ありがとう」と「ごめんなさい」を伝えてくれる。
気遣ってくれる優しい目に笑い返して、周太は自分でも調べて覚悟していることを正直に話した。

「男同士の結婚はね、今の日本では認められ難いよね?親戚関係は嫌がる人も多くて、周りに批難されることもあるよ。
俺の家は親戚がいないから、母と俺だけで決められる。でも、宮田のお家は違うよ?ご親戚から反対も、あるかもしれない。
その事が、英二のお母さんを悩ませているんだ…そこに婿養子に入るのは大変だと思う、しかも関根は俺の友達だから、尚更に、ね?」

ふたりが愛し合っていればいい、それが結婚の純粋な動機だろう。
けれど「家」のことを考えなかったら、大切な血縁を失うこともある。
このために英二は生家を出る覚悟をしてくれた、そして一度は実母と決別をしてしまった。
だからこの友達にも、きちんと考えてほしい。大切な家族を哀しませ、失わせるようなことはしたくない。
この問いに関根は何て答えてくれる?そう見た先、澄んだ大きな目は明るく笑ってくれた。

「本気で好きなら良いだろ?俺の家族も同じだよ。帰省した時、おまえらのこと話すけどさ。良いねって、いつも言ってるよ。
誰かに反対されても説得するよ、解かって貰えるまで話す。俺はおまえらが好きだし、ふたりが一緒にいるとこ見るの好きだからさ。
色々あるだろうけど、お互い一緒に向きあって、家族になってさ。おまえらと一緒に爺さんになれたら、きっと楽しい老後だよな?」

快活な声が率直に告げて、笑ってくれる。
こんなふうに受容れてくれる友達が嬉しい、うれしい想いが瞳の奥に熱を生んでしまう。
こんなふうに想ってくれる感謝に、周太は微笑んだ。

「ありがとう、関根。俺もね、関根のこと好きだよ?…最初の外泊日のとき、一緒にラーメン食べて、一緒に寮に戻ってくれて。
ほんとうは俺、すごく嬉しかったんだ。あんなふうに一緒に行動して、笑ってもらうの、初めてだったから。だから今、本当に嬉しい、」

あのとき、人は話してみないと解らないと教わった。
この大切な切欠をくれた人が、自分と家族になれたら嬉しいと言ってくれる。
あらためて、この友達が好きだ。そんな想いに笑いかけた周太に、関根は嬉しそうに笑ってくれた。

「あのとき俺も嬉しかったよ。ほんとは俺もさ、俺と同じようにオヤジ亡くしても頑張ってる仲間がいる、って励まされてた。
だから訓練とかキツくってもさ、こんな俺が逃げないで頑張れたんだよ。湯原が頑張ってるから、負けられないな、って思ってた。
こんな俺だけどさ、おまえらの家族にしてもらうチャンス、貰ってもいいかな?大切なお姉さんに、お願いさせて貰っていいかな?」

同じだよ?そう言って笑ってくれる。
嬉しい気持ち素直に周太は頷いた。

「ん、俺は嬉しいよ?決めるのは、お姉さんだけど、」
「おう、じゃあ告白させてもらうな?」

軽やかな快活に、澄んだ大きな目は明るく微笑んだ。
その明るさのままに関根は、真直ぐ英理に笑いかけた。

「お願いします、俺との人生を考える時間を作ってくれませんか?俺を認めて貰うチャンスを下さい、好きです、つきあって下さい」

笑いかけられた睫あざやかな目が、ゆっくり瞬いた。
瞬きから涙こぼれてしまう、そして幸せな笑顔が華やぎほころんだ。

「はい、お願いします、」

聡明な声は明るく応えて、幸せの可能性がひとつ、皐月の夜に花咲いた。




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