起点
周太24歳3月
第83話 辞世 act.34-another,side story「陽はまた昇る」
紺色の腕こちら射す、その手には拳銃。
制帽の視線こちら見る、昏い貌、でも光一滴つたう。
ああそうか、父もこの貌を見たんだ。
「しゅうたっ、」
母の声、銃声、陰々と響く音に音重なる。
ベージュのコートひるがえって温もり抱きしめて、視界ぐるり星を見た。
どさっ、
「周太っ、周っ!」
母が叫ぶ、抱きしめられる。
背中に小さな手ふたつ自分を抱く、頬ふれる香あまく懐かしい。
「しゅうっ…周太っ、返事して周っ!」
ダッフルコートの懐アルトヴォイスが叫ぶ、よかった母は無事だ。
「おかあさん…よかった、どこも痛くない?」
微笑んで開いた視界に雪が蒼い。
懐から白い小さな顔が仰ぐ、その瞳から光にじんだ。
「へいきよ、周を庇おうとしたのに…ごめんなさい周太、」
「ううん、僕がお母さんを護るから、」
笑いかけながら背後の音を聞く。
雪ふる夜、それでも届く声にふり向きかけて痛み奔った。
「っう、」
左腕じくり熱い、それでも起きあがった背から呼ばれた。
「ゆはらっ、起きられるか湯原!」
この声どうしてここに?
ふりむいた至近距離、大きな手に抱き起され瞬いた。
「…箭野さん?」
「かすったな、すぐ止血する、」
街燈の灯、制服のポケットから包帯だされる。
大きな手すばやく動く、コートごと巻かれる腕に周太は尋ねた。
「箭野さん、どうして?」
「伊達と俺は親しいってことだ、」
即答すこし笑ってくれる。
涼やかな瞳はいつもどおり優しい、大きな手は包帯きれいに留め微笑んだ。
「湯原のお母さんですね、お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫です、周太の傷は?」
訊いてくれる横顔が雪明かりに白い。
泣きそうな黒目がちの瞳に先輩は笑ってくれた。
「厚着のおかげでかすり傷です、出血が多く見えますがもう止まりました、大丈夫ですよ、」
「ありがとうございます、」
ほっと黒目がちの瞳やわらぐ。
白い横顔すこし首ふって、すぐ見つめた向こうに箭野が言った。
「伊達が逮捕しました、」
雪ふる闇の底、制服姿ひとりは座り押えこまれる。
その手つながれる金属に鼓動そっと軋んだ。
―班長も被害者なんだ…どうして、
どうしてこんなことになったのだろう?
なぜ誰も巻き込まれてゆく、これで何人だろう?
去年の秋から見つめてきた現実が今また痛む、左腕そっと抑え立ちあがった。
「歩けそうか湯原?」
大きな手そっと支えてくれる、その長身まっすぐ見あげ微笑んだ。
「歩けます…母をお願いできますか?」
「わかった、」
頷いてくれる瞳は涼やかに優しい。
けれど眉間の憂いは深くて、申し訳なくて頭下げた。
「ご迷惑をすみません、箭野さんにまで…申し訳ありません、」
「謝らなくていい、俺に遠慮するなって前も言ったろ?」
涼やかな眼ざし微笑んでくれる。
浅黒い精悍な笑顔は雪ふる底でも温かい、その大きな手そっと背を押してくれた。
「行ってこい、」
とん、
やわらかな温もり背中を押す。
掌の輪郭ダッフルコート透かして温かい、ほっと息ついて踏みだした。
「はっ…」
吐息あわく白い、頬なぶる風に髪が凍える。
一歩ごと腕ずきり疼いて、そんな痛みにすら俤が追う。
―お父さん、おとうさん…すごく痛かったよね、もっと、
春四月、桜の夜に父は撃たれた。
『周、お父さんをお迎えに行きましょう?』
白い小さな顔が微笑む、黒目がちの瞳から光こぼれる。
泣いていた笑顔は桜餅そっと忘れた、あの日あの夜に父が楽しむはずだった小さな菓子。
『帰ってきたらお花見で読書だよ、周、』
父の声が聞える、夜ふる雪が花になる。
白い花びらきらきら舞う、こんなふう父の瞳も花を見たろうか?
「…おとうさん、」
呼んで唇そっと雪ふれる。
つめたくとけて消えてゆく、また小さく雪ふれる。
街燈の光きらきら舞って紗幕をかけて、その真中に左腕おさえて立った。
「伊達さん…ありがとうございました、」
紺色の制服姿へ頭さげて、もう一人が視線かすめる。
跪いた制服の肩は雪に白い、その足もと埋まる拳銃に低い声が呼んだ。
「湯原、やっていいぞ、」
どういう意味だろう?
今なんて言われたのか頭脳そっと廻る。
呼びかけた声に顔あげて見つめた真中、沈毅な瞳が見つめ返した。
「班長の拳銃で撃てばいい、自殺だって俺が証言する、」
雪がふる、音もなく。
ふかい深い闇から白く舞う、きらきら街燈かすめて雪は降る。
頬なぶる風が冷たい、髪から凍えて息が白い、ただ見つめる雪夜に低い声が沁みる。
「この男は湯原を殺そうした、湯原の母さんまで殺すつもりだった、その拳銃も2発は装填されているはずだ、だから今、撃てばいい、」
この男は殺そうとした、母までも。
そう告げられて傷じくり疼く、痛み鼓動まで軋みだす。
こんな現実が哀しくて痛くて、ただ見つめる雪の底を声が徹る。
「父親を殺して母親まで殺そうとしたんだ、そんなやつ殺したくて当然だ。俺だったら絶対に殺す、確実に、」
静かな低い声、けれど凛と徹って響く。
真直ぐな眼ざしの手は傍らの肩つかんで動かない、その意図に口開いた。
「伊達さん、最初からこうなるって解かってたんですか…班長が追いかけてくるって、」
「追いかけないはずないだろ、この男なら、」
雪に声が返される、言われた返事に傷が疼く。
じくり左腕が脈うって熱い、かすめた弾丸の痕おさえながら訊いた。
「班長が追いかけてくるって解かってて、こうなるって解かってて…だから出口で別れたんですね、隙をつくるために、」
もし母まで囮にされたというなら、嫌だ。
望まない推論と見つめた真中、沈毅な瞳すこし笑った。
「ちょっと違うぞ、あそこで別れたのは守衛室の監視カメラで見張るためだ。無事に湯原たちが出たら映像を消すつもりだった、」
そんなことまでするつもりだったんだ?
こんな違反はらしくない、でも今は知っている素顔に微笑んだ。
「そんなことしたら犯罪ですよ、してないですよね?」
「消してはいない、」
低い声かすかに笑ってくれる。
その大きな手に掴まれる肩すこし震えて、俯いた顔ゆっくり上がった。
「伊達、おまえが俺を罠にはめたのか…おまえが、なぜ?」
信じられない、そんな途惑いが声ゆれる。
雪なぶる貌は窶れて黒い、ただ一日の変貌に沈毅な眼ざし微笑んだ。
「俺のパートナーを殺そうとするからです、赦せません、」
低く透る声しずかに微笑む。
佇んだ瞳も穏やかに静かで、だけど離さない手に男が呻いた。
「…なぜ湯原にそこまで肩入れする?伊達、おまえは幹部候補だぞ…こんな問題行動は昇進の邪魔だ、今すぐやめろ、っうぁっ、」
呻いて窶れ顔また歪む、掴まれた肩から音鈍く軋みだす。
かすかな音ぶつかって窶れ顔が呻く、そんな上司に静かな声は告げた。
「俺は昇進よりプライドが大事です、パートナーを見棄てるほど俺は腑抜けじゃありません。あなたと違ってな?」
静かな穏やかな沈毅な声、けれど刺して深い。
その声に眼ざしに怒りは深くて、ただ見つめるまんなかパートナーが微笑んだ。
「今なら監視カメラにも映らない、箭野さんと俺が自殺だと証言する。あんたらの遣り口そのまんまお返しする、満足だろ岩田?」
もう肩書ですら呼ばない、ただ呼び捨てる。
それなのに微笑は穏やかな沈毅に変らない、逸らせない視線の後ろ深い声も告げた。
「伊達が言うとおりだ湯原、俺も証言する、」
このひとまでが?
「…箭野さん、どうして?」
どうしてこの人まで加担するのだろう。
解からなくて首ふった背に深い声が答えた。
「勝山さんを憶えてるだろ?湯原が救けてくれた人だ、」
憶えている、あのことを忘れるなんて出来ない。
銃声、血飛沫、赤くそまる白いタイル、倒れこむ青年。
あの貌に姿に父を見てしまった、叫んだ、ただ必死だった。
あの鮮やかすぎる記憶うなずいた背中、雪の足音そっと微笑んだ。
「あのひと大卒で年上だけど七機の同期なんだ、同じ第一小隊で仲良くってさ、俺に大学いけって勧めてくれたのも勝山さんなんだよ、」
低い深い声は穏やかに優しい。
さくり、さくり、踏みしめる雪音に声は続いた。
「俺も伊達と同じだ、友達を追いこまれて黙ってるほど腑抜けじゃないよ?勝山さんのことも湯原のことも俺は黙ってられない、」
雪ふむ音に声は深く優しい。
もうひとつ小さな足音もやってくる、その視線たち背中に低く透る声が呼んだ。
「湯原、俺と箭野さんが証人なら誰も文句は言わない。上も殺人者より自殺者のほうがカタ付けやすい、」
さくり、さくり、足音ひとつ隣すり抜ける。
目の前すぐ長身しなやかに屈んで拾う、その手が拳銃ひとつ差しだした。
「拭きとれば指紋は消える、あとで岩田さんの手には俺が握らせるから、」
大きな掌の上、黒色ひとつ鈍く艶めく。
街燈のした冷やかな光沢に自分が映る、その銃身に雪ひとひら落ちた。
これが十四年の涯だろうか、五十年はるかな連鎖の涯は?
(to be continued)
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