贖罪
周太24歳3月
第83話 辞世 act.37-another,side story「陽はまた昇る」
「私が保証します、その男は必ず司法の裁きを受けます、」
朗々、雪も風も声は透って届く。
低いけれど深く澄んだアルトの声、女声なのに力強く肚響く声。
「若いあなた方の手を汚すなんて馬鹿らしいことよ、早く銃を引きなさい、ここにいる加田さんも起訴を保証してくれます、」
低く澄んだ声は雪の駐車場を渡ってくる。
この声は懐かしい、よく知っている、けれど今ここでどうして?
「…っ、ごほっ」
この声こんな場所で聴くなんて意外だ、聴き間違えかもしれない?
凍りつく息また咳きこんだ背中、ふわり温もり包まれた。
「よく頑張ったわ周太くん、美幸さんも、」
低いアルト微笑んで甘い深い香そっと頬ふれる。
懐かしい気配にふりむいた真中、涼やかな切長い瞳に呼んだ。
「…おばあさま?っごほっ、」
「寒かったでしょう?こんな冷たい頬して、」
長い指の手グローブはずして頬ふれる。
あまやかな深い香やわらかに温かい、懐かしくて見つめるまま訊いた。
「なぜここに、おばあさまが?っごほんっ、」
「とにかく車に乗りましょう?発作がひどくなったら大変よ、さあ美幸さんも、」
カシミアやわらかな腕が抱き起してくれる。
コートの衿元ストール外して、ふわり包んでくれながら大叔母は言った。
「みなさん呆然としてるわね、こんなオバアサンが出てきてびっくりなんでしょう?」
あ、この話し方やっぱり大叔母だ?
―やっぱり顕子おばあさま…夢じゃないんだ、ね、
ダークブラウンの髪きれいな横顔は皺ひとつも美しい。
白皙あでやかな笑顔はルージュの唇ほころばせた。
「伊達さんに箭野さんね?周太がいつもお世話になっております、私はこの子の祖母です、」
低く深いアルトが雪風とおす、その言葉に長身の制服姿ふりむいた。
「失礼ですが、なぜ俺たちの名前を?」
その疑問あたりまえだ。
そして矛先は自分に向くだろう困惑にきれいな笑顔は言った。
「私にも伝手があるんですよ?周太は何も話せないことはご存知でしょう、家族でもね、」
街燈の陰翳に白い笑顔はなやぐ、その先で視線ひとつ凝視する。
やつれた顔の眼おおきく見開かれて、そして口を開いた。
「祖母などいないはずだ…湯原の両親どちらも死んでいる、親戚はいない、」
「あら、よくご存知ですわね、岩田さん?」
名前さらり呼んで大叔母が微笑む。
齢重ねても華やかな横顔は唇の端そっとあげた。
「周太くん、美幸さん、ちょっとお転婆させて頂戴な?」
チャコールグレーのコート翻って歩きだす。
端正な歩み真直ぐ雪を踏んで、制服姿ふたりの前に立った。
「伊達さん、箭野さん、ちょっとお目こぼしお願いね?老人の乱心だって見逃して、」
ダークブラウンの髪きらきら街燈に透ける。
白皙の横顔は切長い瞳まっすぐ微笑んだ。
「ねえ岩田さん、私は亡霊になって孫と嫁を護ってるの。だから私が何をしてもあなたの幻覚よ?」
アルト深い声あでやかに笑って、そして白皙の手ひらり舞った。
「卑怯者っ、」
ぱんっ、
高らかな音ひとつ雪空に舞う。
叩かれた横顔うなだれる、その頭上に顕子は叫んだ。
「十四年前こうするべきだったわ!あなたを引っ叩けてたら喪わないですんだのに、あなたも私も大事なものをっ!」
十四年、その歳月に痛んだのは誰も同じだ。
そう告げる声に見つめるままチャコールグレーのコート翻った。
「じゃあ加田さん、後はお願いしますね?」
もう白皙の顔あでやかに微笑む。
いま激高したのは幻?そんな変貌にブラックコートの男が会釈した。
「はい奥様、あのレンタカーも返却しておきましょうか?」
「そうして頂戴。美幸さん、鍵を加田さんにあげて?任せて大丈夫だから、」
低いアルト微笑んで肩そっと支えてくれる。
言葉どおり鍵を渡して母が訊いた。
「…おばさま、どうやってここに?」
「ニュースとあなたがくれたメールよ、私にも伝手があるしね?さあ帰りましょう、」
雪ふる切長い瞳が微笑む。
この笑顔は懐かしくて、けれど知らない一面を今は見ている。
『ここにいる加田さんも起訴を保証してくれます、』
そんなふう言っていた、さっき。
ヒント手繰りながらも気になって頼んだ。
「おばあさま、伊達さんたちと話させてください、3分でいいから…っ、ごほっ」
このまま去ってしまえない、だってあんな時間を過ごしてしまった。
もう戻れない世界ふりむいた背を優しい手そっと押してくれた。
「いってらっしゃい、周…それから帰りましょう?」
優しいアルトが背中おしてくれる、その手が小さい。
けれど確かな押す力に踏みだして、足もと雪が鳴る。
ざりっ、さく、
雪また硬くなった、気温さがってゆく。
夜ふかくなる駐車場の底、4人の男たちに向きあった。
「箭野さん、伊達さん…ありがとうございました、」
頭下げた街燈の下、紺色の制服姿が白い。
雪つめたい夜のなか長身の先輩は微笑んだ。
「俺こそありがとうだよ、湯原?」
なぜお礼を言ってくれるの?
解からなくて見あげた先、涼やかな瞳が笑った。
「話はまた今度な、体はやく治せよ?」
ぽん、大きな手そっと背中さすってくれる。
前と変わらない優しい温度に周太は口開いた。
「箭野さん、っこほっ…また会って話す時間をくれますか?」
「ああ、こんど飲もうな?伊達も一緒に、」
低い深い声が笑ってもう一人に視線むける。
白紗ゆれる光に小柄な横顔はため息吐いた。
「いいから湯原、早く車に乗れ。発作ひどくなったらどうする?」
ほら、心配してくれる。
その声かすかに照れくさげで、もう解かる今に笑いかけた。
「はい、ありがとうございます…飲み、伊達さんも一緒してくださいね?」
「わかったから早くしろ、」
すこし気が立っている口調、でも制帽の眼ざしは優しい。
きっと大丈夫、信頼そっと息吐いてブラックコート姿に向きあった。
「カダさん、初対面で申し訳ないお願いします…箭野さんと伊達さんを護ってください、班長のことも、」
隊員同士で銃を向けあった、こんな事態を「護る」なんて普通じゃない。
それでも大叔母が連れてきた男なら信じられる、ただ賭ける想いに端正な瞳が微笑んだ。
「奥様がおっしゃるとおりの方ですね、あなたは、」
どういう意味だろう?
見つめる真中でシャープな微笑は言った。
「車にお戻りください、あなたが今ここにいないことで三人を護れます。奥様とあなたのお母さまもです、」
ここにいないことで護れる、確かにそうかもしれない。
今はただ頷くしかできないまま頭下げた。
「すみません…よろしくお願いします、」
下げた視界、雪の影ふかく蒼い。
「…っ、」
ほら呑みこんだ喉が痛い、この痛み発作とは違う。
こんな今を飲みくだし踵返して、歩きだした頬ひとつ涙こぼれた。
―けっきょく僕は無力だ、ね、
想い、十四年あふれる一滴に凍えてゆく。
あの春から全てを懸けて追いかけてきた、いくど母も泣かせたろう?
それなのに結局は助けられしまった、こんな結末に鼓動から軋みだす。
「さあ周太くん、帰りましょう?」
低いアルト微笑んで肩を抱かれる、あまい深い香が優しい。
この声も香も自分は好きで、それなのに今は顔を見られたくない。
「…はい、」
ただ頷いて開かれた扉を乗る。
革張りのシートやわらかに受けとめられて、座りこんだ肩に優しい手ふれた。
「コートは脱いだほうがいいわ、髪も拭いて?」
ダッフルコート脱がされてブランケットに包まれる。
頭そっとタオル被されて、ぱたん、扉が閉まり母の声が聞えた。
「周、すこし眠らせてもらいなさいな?お母さん助手席に乗るから横になって大丈夫、」
大丈夫、
そう母が言ってくれるのは、気づいているからだ。
こんなときも何も言わず受けとめてくれる、ただ温かくて優しくて、優しい分だけ苦しい。
「…っ、ぅ、」
噛みしめても喉がふるえる、涙あふれて止まらない。
タオルの影そっと瞳とじて熱くて、ゆるやかに動きだした車窓に低いアルトが言った。
「ありがとう周太くん、ごめんなさいね、」
なぜ礼を言うの、謝るの?
訊きたいけれど今は唇ふるえて言えない、頷くこともできない。
それでもアルト低い声は答えてくれた。
「周太くんのお祖父さまを私が助けたら良かったの、でも私は…拒絶されることが怖くて何も言えなかったわ、斗貴子さんの死と向きあうことも怖くて、」
かすかに揺れるシートの底、雪かむタイヤチェーン軋む。
リズミカル静かな音くりかえす、どこか懐かしい音に低くやわらかな声がつむぐ。
「なぜ無理にでも助けなかったのかって、ずっとずっと後悔しているの。斗貴子さんと約束したのに私は…私は本当に愚かね、」
後悔が声つむぐ、その言葉たち幾年こえて今声になる?
ただ涙ふるタオルの影に大叔母の声が届いた。
「もう後悔したくなくて今も無理やり助けに来ました、でも周太くんの気に障ったならごめんなさい、でも、ありがとう、」
ごめんなさい、ありがとう。
そう言ってくれる声は低く澄んで温かい、そして懐かしい。
こんなふう幼いころ言われたことあるようで、たどらす俤にタオルの蔭は優しい。
(to be continued)
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