萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第34話 芽生act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-02-19 23:05:44 | 陽はまた昇るanother,side story
むかしも今も、ただ真直ぐに



第34話 芽生act.2―another,side story「陽はまた昇る」

花を抱いて洗面室へ行くと周太は汲んでおいたバケツの水へ花をはなした。
冷たい水に手を入れて、花切ばさみで水切りしていくと花がなんだか嬉しげで周太は微笑んだ。
水切りを終えると下げておいた仏壇の花瓶に水を張り、そのまま洗面室のサイドテーブルで周太は花を活け始めた。
手に携える水仙の香が頬撫でる、あまい清澄な香りの記憶がふっと温もりになって周太の耳元に触れた。
思わずそっと耳元をふれて香りの記憶が唇からこぼれた。

「…光一、」

―…3分間を俺にくれるかな?そうしたらね、あとは今まで通りずっと片想いを愉しむからさ…よし、今から3分間。はい、

鑑識実験のザイル狙撃、その銃座ポイントになった山腹にひろがる雪の森。
あの森で光一は3分間を周太に求めて、きれいな笑顔で長い腕を伸ばして周太を抱きしめた。
抱きしめられた胸は水仙に似た潔い香が透明で、その香が鼓動の温もりと一緒に周太の頬を撫でてくれた。

―…周太、
 周太。俺のドリアード、唯ひとり恋して愛している。
 14年間ずっと君だけ想ってた、そしてこれからもずっと、いちばん大好きだ

くるみこまれる香り、底抜けに明るい目の純粋無垢な微笑、透るテノールの幸せそうな声。
宝物の呪文のように名前を呼んで光一は笑いかけくれた。
幸せな笑顔で周太の瞳を真直ぐ見つめて、明るく透るテノールの声で想いを紡いで告げてくれた。

―…俺はね、周太がいちばん好きなんだ。ほんとは、いちばん欲しかった
 でも君の望みのままに生きる姿はもっと欲しいんだ、そうやって君を守りたい
 周太には、望みのまま幸せに笑っていてほしい、だから君が愛している宮田のところへ帰してあげる
 でも覚えていて、周太?山ヤの誇りと自由と同じくらい、俺には君が大切なんだ。君は俺の大切な山桜のドリアードだから

あのときは英二だけが唯ひとり周太の愛するひとだった。
それを光一は理解してくれていた、そして周太の笑顔の為に自分は何も望まないと笑ってくれた。
その笑顔があんまり純粋無垢で一途で、そして透明な想いがまばゆくて、きれいだった。
だから自分は14年の歳月を超えて再び光一を見つめてしまった。

いまはもう、光一のことを想っている。
この水仙の香にすら面影の気配を重ねて、やさしい温もりの記憶に微笑んでしまう。
あまい清澄な香りはどこか、純粋無垢で誇り高い光一の透明な心と似ている感じがする。
この花の言葉は「うぬぼれ、自己愛」が有名だけれど、これは華やかな西洋種につけられた花言葉。
いま手にする水仙はシンプルで高潔な姿をした和種になる、この花の言葉に周太は微笑んだ。

「気高さ、神秘、…愛をもう一度、」

最高の山ヤの魂をもつ最高のクライマーと、山岳救助隊員たちにも賞賛される光一は誇らかな自由に気高い。
そして「山の申し子」と英二も言うようにどこか神秘的な雰囲気を持っている。
そんな光一が14年前に雪の森に生まれた愛を再び甦らせた、そんな光一の面影がこの花に見つめられてしまう。
別名「雪中花」ともいう水仙の、すっくり伸びた青い葉が清廉な誇らかに高潔うつくしい花姿。
白い花の高雅な趣がきれいな香り高い花。この花も山桜の森で雪のなかに咲いていた。

そしてもうひとつの「雪の花」スノードロップも森には咲いている。
いま庭で摘んだばかりの雪の花を活けながら、その花言葉を見つめた。
希望、慰め、逆境のなかの希望、恋の最初のまなざし。これが雪の花の言葉たち。
雪を割って咲く姿と言葉は英二に重ねていつも想ってきた、けれどいま光一との想いにもこの花は重なってしまう。

どんなに愛していても無理に抱かれた体の恐怖は残っている。
その恐怖に英二へと怯えを抱いてしまった、恋愛は体で繋がる義務があるのかと心が悲鳴をあげかけた。
けれど光一は底抜けに明るい目で笑って周太を見つめて、微笑んでくれた。

―…俺はね、君が心から求めない限りはしない
 俺は君が大切で「山」への誇りの全ても懸けて愛している。だからね、体のことも無理には必要ないんだ
 君の笑顔が見られたら幸せなんだよ。ふたり一緒にいられて好きなだけ見つめられる、それで充分に幸せなんだ

ほんとうは自分は小柄な体にコンプレックスがある、だから吉村医師に「心の大きなひとに成れる」と言われて嬉しかった。
英二や光一のように大きくて美しい体には憧れてしまう、自分の体に哀しい卑下もしてしまう。
だから尚更に、体の繋がりが無くても好きと言ってほしかった。
心だけでも幸せで大好きと真直ぐ心を見つめてほしかった「心」はすこし自信を持てるかもしれないから。

そんな自分にとって、真直ぐ心を見つめてくれた光一の想いは「希望」に想えた。
大らかな誇り高い優しさは明るくきれいで「慰め」の温もりとなって体と心の傷を癒してくれた。
そうして光一に癒されたからこそ、英二への想いを捨てずに温めることも出来るようになっている。
そしてあらためて、14年前の初めて出逢った日に見つめ合った最初のまなざしが甦っていく。

―…君が大好きだ。だからさ、また逢いたいんだよ?だから約束したんだ、ずっと君を待ってる
 ん、…テディベアとか好きでも、だいじょうぶかな?…花とか料理とかケーキとか…男なのに好きとかってどう思うかな?
 好きならそれで良いだろ?男も女も関係ないね、好きなものがあるのは楽しいだろ?甘いもんだって俺は食うよ、
 俺は花も料理も好きだね。山で花を見るのは特に良いもんだ。料理も河原で焚火してやるとね、また旨いよ?作ってあげるよ

あのころの自分は「男の子なのに変」と言われることが多くなって、心から好きなひとは両親以外にいなかった。
だから光一にありのままの周太を「大好き」と言われて嬉しくて幸せで、そして自分も光一が好きだと想った。
初めて両親以外の人を心から好きだと想った、そしてまた逢いたいと心から想えた。
そしていまも逢いたい、花瓶を抱えて廊下への扉を開きながら想いが唇からこぼれ落ちていく。

「…恋の、最初のまなざし…」

木洩れ日ふる雪の輝き、陽だまり温まる岩の椅子、輝く光の花さく山桜。
ゆるやかに雪の森を駆ける風がふくんだ樹と水の香、かすかな水仙の香、チョコレートの甘さ。
そして雪のように透明な肌と漆黒の髪に、底抜けに明るい目をした背の高い少年。
あの明るい目の温もりが「恋の最初のまなざし」だった。

―…このクマ、かわいいな。君のたからもの?

あの日もリュックサックから顔を出していた「小十郎」
生まれてすぐに父が贈ってくれた大切なテディベア「小十郎」
そんな大切な宝物のことも13年前の春の夜に自分はすっかり忘れてしまった。
あのクマのぬいぐるみは、どうしたのだろう?

…小十郎、無事にどこかにいてくれる?

ひとりっこの自分にとって「小十郎」は大切な兄弟のようで分身のようだった。
どこか寂しい気持ちの時も、やわらかな毛並みに頬寄せれば温もりが心癒してくれる。
やさしい穏やかな想いと記憶があのテディベアには籠められて、大切な宝物だった。
あの大切なクマは今どこにいるのだろう?大切な「小十郎」の安否を想いながら周太は南西の部屋の扉を開いた。
温かい陽射しゆるやかな座敷を進んで仏壇の前に膝まづくと、そっと花瓶を供えて微笑んだ。

「…ね、お父さん。あの日の約束、叶えられたね…?」

14年前の雪の森からの帰り道。
光一と別れてから周太は父と近くの山をすこし登って写真を撮ってもらった。
それから雪見の露天風呂に入って、温かい湯から手を伸ばして雪にふれてはしゃいで。
その帰り道の車のなかで水筒のココアを飲みながら、周太は父に「また来たい」と約束をねだった。
そして4月には必ず連れてくると父はきれいな笑顔で約束をしてくれた。
母が泊まりで旅行に出る留守番のために休暇を取るから、必ず時間が作れるよと笑って指切りげんまんしてくれた。

「この水仙にも雪の花にも…光一が、」

見つめる想い鼓動を咬む、それでも微笑んで周太は仏壇を見あげた。
こうして朝も座って父へ、祖父と曾祖父にも周太は帰宅の挨拶を祈り、そして報告をした。
年明けに祈りに告げた英二との婚約、その意味がすこし変化したことを父達に聴いてほしかった。
そうして祈りながら英二への尊敬と感謝をあらためて想い自分の道を見つめた。

これから母にも同じように告げなくてはいけない。
ひとつ呼吸をしてもう一度だけ父たちの位牌を見つめると、しずかに周太は立ちあがって台所へと向かった。

今日の献立は早春の野菜を使って考えた。
新玉ねぎに鶏挽肉を詰めチーズをのせてオーブンで焼いたもの。菜の花と春キャベツのパスタは温泉卵を添えて。
メインは旬魚のムツを香草焼きにしてトマトソースに載せた。付合せは蕪や蓮根にブロッコリーなど旬の温野菜。
ちょっとした前菜風のカラフルな一皿も作ってみた。デザートは手作り苺ソースのアイスクリームを準備してある。
そんな早春の食卓をダイニングに並べると楽しそうに母は笑ってくれた。

「イタリアンのコースね、すごいわ。ほんとお料理上手ね、周は」
「ん、そう?…でもね、牡丹餅とか作れる方が、すごいと思うけど…、」

言いさして周太はすこし言葉を呑んだ。
料理を褒められたことに、つい光一の料理を思い出して口にしてしまった。
まだ頭で話す順序の整理がついていないのに?すこし途惑って俯いていると母が微笑んだ。

「まずはね、いただきます、しよっか?ね、周、」

母の言葉にほっとして素直に食卓へと周太は合掌した。

「ん、…いただきます、」
「はい、いただきます、」

ゆっくり母と食事を楽しみたい、そう思って簡単だけどコース仕立てにしてみた。
ひさしぶりに作ってみたけれど母の口に合うかな?
そんなふうに見つめる先で母は楽しそうにフォークを運んでくれる。

「うん、周。良い味ね、さすがだわ。おいしい、」
「ほんと?よかった、…今日はね、春キャベツと新玉ねぎが良さそうだったんだ、」

料理の話を母としながら囲む食卓が楽しい。
こんなふうに光一とも話しながら御岳の家でも牡丹餅といなり寿司を作った。
初めての牡丹餅づくりは楽しくて餡も家で作れるんだなと感心した、美味しそうに食べてくれた英二の笑顔も嬉しかった。
いまごろ英二と光一は自主トレーニングをしているだろうな?
ふたりと一緒にボルダリングをした御岳渓谷を思い出しながら、母との他愛ない会話と穏やかな時間を周太は楽しんだ。
そして食卓の料理がほとんどなくなった頃、すこし悪戯っぽく笑って母が訊いてくれた。

「で、周?牡丹餅はね、誰が作ってくれたのかな」

母の言葉に周太は気恥ずかしげに微笑んだ。
真直ぐに母の黒目がちの瞳を見つめて、そして静かに口を開いた。

「お母さん、14年前の雪の朝に、お父さんと奥多摩へふたりで行ったこと、覚えてる?」
「うん、覚えているわ。初めて周と『離れる練習』をした時ね。雪の奥多摩はすごく楽しかったって、周は話してくれたね?」
「ん、そのときのこと…」

周太の話に、なつかしげな優しい眼差しが微笑んでくれる。
あの朝に母と交した「離れる練習」やさしい切ない幼い日の記憶。
あまい温もりの懐かしさを見つめながら周太は言葉を続けた。

「あのとき俺とね、雪の森で遊んでくれたひと…そのひとが牡丹餅を作ってくれたんだ、」
「周のこと、雪の森から連れて帰ってくれたっていう、あの地元の男の子?…お父さんの先輩の知り合いだって聴いたけど、」

すこし黒目がちの瞳が大きくなって周太を見つめてくれる。
きっと驚くだろうとは思っていた、だって自分でも再会に驚いたのだから。頷いて周太は母に説明を始めた。

「ん、そのひとなんだ…あのね、英二のアンザイレンパートナーの国村がそのひとだったんだ、」

そっと母の白い手がフォークを皿に置いた。
ちいさくため息を吐いて両掌を組むと母は軽く首傾げて、懐かしげに穏やかに微笑んでくれた。

「そう…あの男の子も警察官になったのね?しかも英二くんのパートナーで山ヤさんで。でもそうね、納得できる話だわ」
「納得できるの…?」
「うん、だってね、お父さんの先輩の、後藤さんってお名前だったよね。あの方は警視庁で有名な山ヤさんでしょう?
その知り合いってことはね、その子も同じように山ヤさんなのかな、って思って。でも、どうして国村くんだって解ったの?」

訊いてグラスのペリエをひとくち飲むと、また掌を組んで「聴かせてね?」と微笑んでくれる。
光一のことは「山の秘密」は話せないけれど出来る限り話したい。頷いてまた周太は口を開いた。

「俺ね、1月に青梅署へ急な出張で行ったんだ。銃の弾道を調べる実験があって。
そのテストするための射手としてね、青梅署の警察医の先生と、後藤さんが俺を呼んでくれたんだ。
でね、もう1人のテスト射手が国村だったんだ…それで2日間一緒に仕事していて、雪の奥多摩に来たことあるって話になって…」
「それで、国村くんと周太が会ったことあるって、解ったのね」
「ん、そう、」

ほっと息を吐いて周太はグラスに口をつけて飲みこんだ。
発泡性のひんやりした感触がのど潤していくのを感じながら、ここからの話にちいさな覚悟をした。
そんな周太に母はやさしく微笑んで、言ってくれた。

「周、想いだしちゃったんでしょ?国村くんのこと好きだったって、」
「…え、」

先に言われて周太は瞳を大きくして母を見つめた。
どうして母には解るのだろう?呆気にとられて見つめていると懐かしげに母は笑って教えてくれた。

「あの日の夜ね?周は一生懸命にお母さんに話してくれたのよ。
『僕も好きなひとに逢えたよ、また逢いに行くって約束したんだ。だから4月のお留守番はね、楽しみがあるから平気』
そんなふうに周は話してくれたの。ほんとうに楽しくて、その子が大好きになった。そんな顔でね、とっても幸せそうで。
そしてね、アーモンドチョコレートを次の日は一緒に買いに行ったのよ。その子に食べさせて貰って楽しかったからって」

14年前の当日に自分は母に話していた。
言われてみて「アーモンドチョコレートを買いに行った」時を周太は思いだしてため息を吐いた。
あのとき本当に自分は光一が大好きになって、そして逢える日を楽しみによくチョコレートを口にしていた。
今日のように庭の山桜に背もたれて、梢の向こう仰いだ空に奥多摩の森を想いながら。
また甦ってくる14年前の記憶と想いを見つめている周太に、穏やかに微笑んで母は話してくれた。

「さっき周がね、山桜に凭れて空を見ていたでしょう?あの姿を見たとき、14年前に時間が戻ったのかと思った。
大好きな男の子を想って逢える日を楽しみに山桜を見つめていた9歳の周太、あのまんまに幸せな、きれいな横顔だった。
だからね、お母さん今こう想ってるの。周は、また国村くんのこと大好きになれた。
きっと14年前の約束をふたりで叶えて、いっしょに幸せな時間を過ごした。だってね、周ったら、すごく綺麗になったもの?」

なにも言わなくても母は解ってくれた。
理解してもらえる幸せの温もりに周太はそっと頷いて微笑んだ。

「ん、俺、国村がね…光一のこと大好き…ずっと考えちゃうんだ…
それでね、おかあさん?英二は俺のこの気持ちをね、受け入れてくれるんだ…
その、あの…からだのことしなくていいって…でね?それでも婚約者のままでいて欲しいって…俺のこと守りたいって…」

おだやかに見つめながら母は頷いてくれる。
すこし途切れた周太の話に、そっと唇を開くと母は訊いてくれた。

「周が他のひとを好きになって良い…
実質は婚約者としてつき合わなくても良い、けれど周を守るための立場として婚約はそのままにしたい。そういうことね?」
「ん、そう…英二にね、ごはん作って、それで帰る居場所でいてくれたらいい。そう言ってくれた」
「英二くん、ここへ帰って来てはくれるのね?そして、周と一緒にいてくれる。そういうことかな?」
「ん、」

頷くと母は「そう、」とやさしく頷いてくれた。
おだやかな温かい黒目がちの瞳に見守られて、周太は言葉を続けた。

「俺は13年ぶりに人と出会うことを始めたばかりだから、色んな人に出会ってほしいって…
きちんと恋愛とも向き合って、友達や大切なひとを見つけて、もっと幸せに笑ってほしいって。
もし英二と結婚しても、大切なひとを想う心は、ずっと大切にしてほしい、そして幸せな笑顔見せてって…英二、」

母を見つめる視界に水の紗がおりてくる。
ゆるやかに頬を温もりが涙になって伝いおりて、そっと食卓のグラスへと零れこんだ。

「おかあさん、…英二がね、俺のこと好きになってくれたから、だから俺は奥多摩へまた行けたんだ。
そして光一と逢えたよ、おかあさん…おとうさんがね、ほんとうは連れて行ってくれる約束だった、
けれど英二がね、代わりに俺を奥多摩へ連れて行ってくれて…そして光一との約束も叶えれたんだ…
おかあさん、…俺ね、英二のことも大切なんだ、帰る場所になりたい…でも光一のこと大好きで、それで、俺…」

言葉と一緒に涙になって想いがこぼれおちていく。
そっと母は微笑んで立ち上がると、椅子ごと周太を背中から抱きしめて明るく笑ってくれた。

「うん、よかったね、周?…やっぱり英二くん、かっこいいね?…光一くん、やっぱり今も良い子だったんでしょ?」
「ん、…ぜんぜん変わってないんだ、あのまま純粋でね、きれいな目のままで…やさしくて、温かくて…俺を待っててくれた」

「よかった。おかあさんね、会ったこと無いけど、きっと良い子だって想ってたの。
だってね、周はなかなか人を好きになれない。そんな周をすこしの時間で大好きにさせたんだもの?
そして周を大好きになってくれて。だからね、また逢えたらいいのにって、ほんとうはね、お母さんも想ってた」

「ん、…ありがとう、おかあさん、…ほんとに光一はね、すてきなんだ…前も今もね、大好き…」

抱きしめられながら涙がとまらない。
涙になって想いがこぼれて、周太は素直に母に話した。

「あの日の約束…必ず逢いに来るって…それを信じて光一、ずっと待っててくれた…
14年間ずっと俺のことをね、いちばん想って、愛して、待っててくれたんだ…幸せで温かくて、それで記憶が戻って…
山の話も花の話も、変わっていない…そのままの俺を受けとめて、見つめて、守ってくれる…もう、光一を、忘れたくない、」

やわらかく母は微笑んで、そっと周太の頬をぬぐってくれる。
そして優しく周太の掌を取ると立ち上がらせてくれた。

「周太、ちょっと一緒においで?」

楽しそうに微笑んで母は階段へと周太を連れて行く。
素直について昇っていくと母は北西の主寝室の扉を開いた。
ここは今、母ひとりの部屋になっている。この部屋に掃除以外で入るのは周太は久しぶりだった。
冬の午後の陽が西側のバルコニーから、木枠美しいガラス扉を透かして温かくふってくる。
おだやかな温もりのなか、母はクロゼットを開いて静かに抱き上げると周太をふり向いた。

「…小十郎、」

つぶやいた名前の主が、母の腕に抱かれて周太を見つめていた。
黒い目のかわいい優しいテディベア、ずっと幼い自分が宝物にしていた。
寂しいときも慰めてくれた大切な自分の分身のような、やさしい穏やかな記憶こもるクマ。
いつも連れて歩いていた、雪の森で光一と出逢った瞬間も背中のリュックから「小十郎」は見つめていた。
大切な温もりこもる「小十郎」との再会に周太は幸せに微笑んだ。

「小十郎…おかあさんが、ずっと大事にしてくれていた?」

微笑んだ周太に母は頷いて笑ってくれる。
なつかしげに抱き上げた「小十郎」を見、周太を見つめて母は話してくれた。

「周太ね、小十郎のこともショックで忘れちゃったの、あの夜にすぐ、ね。
お父さんのことを知らせる電話を、周はリビングで聴いたの…そのまま小十郎はリビングのソファに置き去りにされて。
だからね、お母さんが代わりに抱っこしてたのよ。13年間ここにしまってね、たまにお日さまに当てて、きれいにしながら」

話してくれながら母は周太に「小十郎」を渡してくれた。
受けとって抱きしめると懐かしい香がそっと頬撫でてくれる。
どこかチョコレートに似たあまい香、なんだか幸せで周太は涙の瞳のままで微笑んだ。

「ありがとう、おかあさん…小十郎、ごめんね?ずっと忘れちゃって…また、俺の部屋に帰ってきてくれる?」

テディベアの「小十郎」に周太は13年前の春の夜までと同じように微笑んだ。
自分は23歳の男で社会人で警察官になった。そんな自分がクマのぬいぐるみに話すのはきっと「変」だと言われるだろう。
けれど。 14年前の雪の朝の記憶に周太は母へと笑いかけた。

「あの日にね、おかあさん言ってくれたね…俺を大好きになってくれるひと必ずいるって。
まだちょっと逢えていないだけ、けれど、いつか必ず逢える。だから自分が好きなことを大切にして。
そう言って貰えたときね、ほんとうに嬉しかった…
そしてね、おかあさん?俺、光一に逢えたんだ…14年経ってもまた逢えて、そして…変わらず大好きでいてくれるんだ」

やわらかな「小十郎」をそっと抱きしめて頬寄せると、懐かしい温もりが寄りそってくれる。
忘れていた幸せな記憶と温もりが心に響いていく、響きが涙になってこぼれて周太は微笑んだ。

「あの日、俺がね、好きなひと出来ないかもって泣いたとき。おかあさん言ってくれたね?
大好きって沢山の人にいっぺんに言われて、大変になるって…誰を好きになるか決めなくちゃいけない、って…
おかあさん、ほんとうに俺ね?いっぺんに今、言われてる…英二と、光一と…でも、決められないんだ。どっちも大切で…」

涙になって「大切」な想いがこぼれて、涙になる端から想いがまたあふれていく。
とまらない涙のまま周太は母のベッドの端に座りこんだ。

「どうしたらいいかな?…どっちも大切なんだ、でね?…光一の幼馴染の女の子はね、光一を好きで…美代さんって言って…
美代さんは植物や料理の話が出来てね、一緒にケーキ食べてお喋りして…隠れ家の店も教えてくれて…大切な友達なんだ
でもね、光一は…美代さんじゃなくて俺が好きって…そして美代さんもね、俺のこと友達って信じてくれて…
でも俺…光一のこと好きで…だいすきで、たいせつで…でも英二も美代さんも大切で…決められなくて、ずるいのかな、って」

しずかに母は隣に座ってくれた。
そっと隣から周太を見つめて微笑んで、穏やかに母は言ってくれた。

「うん、…やっぱり大変になっちゃったんだね、周?おかあさんが言った通りになっちゃったね、…
でもね、周?きっとね、3人の想いの全部どれも周には必要なんじゃないかな。
だからね、全部大切にしたら良いの。きちんと大切に出来たらきっとね、周はまた心の大きなひとになれるよ」

涙の目をあげて周太は母を見つめた。
吉村医師に言われたことと母も同じように言ってくれる、周太は口を開いた。

「全部…ん、吉村先生もね、そう言ってくれて…」
「よく話してくれる青梅署の警察医の先生ね?そう、あの先生もそう言ったのね?じゃ、きっと正解なのよ、」

明るく笑って母が頷いてくれる。
そして周太の目を見つめて母は教えてくれた。

「ね、周?周の名前はね、『まんべんなく学んで心の大きなひとになるように』って意味でしょう?
その通りに3人ときちんと向き合って、たくさん一緒に笑って泣いてね、大きな心に成れたら。きっと3人を大切に出来る。
そうして周が心の大きなひとに成ってくれたらね、きっと、お父さんも喜んでくれる。そしてね、きっと英二くんも喜ぶと思うわ」

英二も。そう母は周太に言ってくれた。
どういうことだろう、そっと周太は訊き返した。

「…英二も?…他のひとのこと、光一のこと、俺が好きになっても…?」
「うん、英二くんも。きっとね、彼なら喜ぶと思う」

きれいに微笑んで母は頷いてくれる。
穏やかに周太の瞳を見つめながら、母は静かに言った。

「帰る居場所でいてくれたらいい。色んな人に出会ってほしい。
きちんと恋愛とも向き合って、友達や大切なひとを見つけて、もっと幸せに笑ってほしい。
英二くんと結婚しても大切なひとを想う心は大切にしてほしい、そして幸せな笑顔見せてほしい。
そんなふうに英二くんは言ったのでしょう?だったらね、光一くんのことが大好きなのも喜んでくれる。
英二くんはね、実直で思ったことしか言えない。だからきっと、心からそう願ってくれているのよ。
だから周太、英二くんを信じてあげて?周太を大好きっていう英二くんの真心を、信じて周太は正直に自由に生きなさい、」

英二の真心を信じていく。
英二の愛情を信じて光一との想いを真直ぐ見つめていく。
あのとき、光一が怒りをぶつけて英二を諌めたとき。あのときから英二は大きな愛情で周太を見つめ始めた。
けれどあんな短時間で、どうして英二はこんな大きな心を抱くことが出来るのだろう?
まだ出会って11ヶ月にもならない英二の不思議な包容力が温かい。
こうして与えられたなら、きっと素直に甘えればいい。素直に周太は頷いた。

「ん…おかあさん、俺ね、…英二を信じるね、そして光一と向き合ってみる…美代さんとも。そして心の大きいひとになる…」

青梅署診察室で吉村医師の前でも決心したこと。
あのとき自分はきっとまた泣くだろうと思った、そして母の前で今泣いている。
なんどもこうして泣くかもしれない、けれど吉村医師の前で泣いたときよりも、今の方がすこし強く大きくなれている。
だからきっと大丈夫、すこしずつでも心を大きくして3人の想いへと報いて行けばいい。
13年ぶりに抱きしめた「小十郎」の目を見つめて周太はちいさく微笑んだ。
そう微笑んだ周太に母は、幸せそうに笑って言ってくれた。

「ね、周?たくさんの人に好きって言って貰えて、よかったね?…幸せね?」

ずっと孤独だった13年間、けれど今は3人それぞれの想いで隣にいてくれる。
その幸せが温かい、温もりに微笑んで周太は「小十郎」の瞳へと涙をこぼした。

「ん、おかあさん…俺、いま、しあわせだよ?」

甦った14年前の約束の温もりと母に抱きしめられた「離れるための練習」の記憶、父の笑顔の記憶。
どれも温かくて、いま寄せられる想いのすべてが温かくて、ただ周太は泣いた。
きっと半年もたてば父の軌跡を追う辛い日々が始まる、その時もきっとこの想いの温もりたちが自分を支えてくれる。
きっと自分は辛い日々にも真直ぐ立って越えて、そして穏やかな時を心から取り戻すことが出来るはず。
たくさんの想いのたけを涙にこめて、やわらかい母の香に包まれて周太は13年ぶりに母の懐で泣いた。

やさしい想いと記憶がねむる周太の屋根裏部屋、宝箱のような小部屋の窓際にロッキングチェアーがある。
周太が大好きなロッキングチェアー、そこでテディベア「小十郎」は陽だまりにねむっている。
この小部屋の主の帰りを穏やかに見つめて待ちながら。




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