萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 春鎮 act.60 another,side story「陽はまた昇る」

2018-07-03 23:32:31 | 陽はまた昇るanother,side story
and again I hear 聲をふたたび、
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.60 another,side story「陽はまた昇る」

大事なひと、浮気じゃない本気だ。

ほら?声にして自分自身が確かめる、あの女の子のこと。
あの明るい大きな瞳どうしても本気になる、どうして偽りなんて言えるだろう?

「本気ならいいよ、」

ほら切長い瞳が応える、僕の言葉をくりかえす。
低い声いつもどおり綺麗で、だけど苦しい視線が微笑んだ。

「なのに周太、なんで俺のとこに来たんだよ?」

そっちにいればいい、ここじゃなくて。

そんなふう切長い瞳が自分に笑う、陰翳ふかい瞳が微笑む。
この瞳ただ見ていたかった、そう願う鼓動が声ひらく。

「同じだから、」

ほら僕の声が応える、自分勝手な想いだ。
それでも静かな雪の森、切長い瞳が訊いた。

「同じって周太、俺とファントムが?」
「そう、でも英二だけじゃない、」

想い穏やかに唇ひらく。
白銀やわらかな古木の根元、雪ふる瞳を見つめた。

「ファントムは醜いから売られて、でも勉強して成功して、だけど才能のために酷いめに遭ったよね?それでも生きたんだ…僕も同じでしょう?」

売られて、それでも生きて。
そうして廻り逢えたから今、僕は後悔しなくていられる。
あなたに廻り逢えたから自分を肯定できた、あなたが生きる姿を見惚れさせてくれたから。

『だから逃げないで?醜くても生きるひとが大好きなくせに、』

あの女の子が言ってくれたこと、あの言葉そのまま僕の本音だ。

―美代さんが言ってくれなかったら僕は気づけなかったんだ、英二をこんなに…すき、って、

あなたへの想い教えてくれたひと、そんな彼女だからもっと大切になった。
あなたを想う鼓動ごと彼女の本気が肯定してくれる、だから浮気だなんて嘘は吐けない。
だって僕は知っている、男同士の恋愛を等身大に見てくれる人どれくらい?

―僕を僕として好きでいてくれるから本当に大切なんだ…あの女、って英二は言うけど、

あんなふう教えてくれるから彼女が大切になる、だから解ってほしいのに?
こんな願い自分勝手だと解っている、それでも何年いつかは叶うだろうか、届くだろうか?
それとも今ここで消えるだろうか?想い見つめる真中、白皙の頬おだやかな光ふる。

―考えてる、…英二、

深紅の登山ウェアもたれる大樹、ゆるやかな銀色あわい。
雪ふるダークブラウンの髪きらめく銀色、たたずむ白皙の輪郭が美しい。
午後の光ふちどる頬なめらかに端整で、黙りこんだ赤い唇ひそやかに声を待つ。

―言葉を選んでるね英二、訊くこと…僕の言葉の意味、それとも…ファントム?

『Le Fantôme de l'Opéra』

あの物語なぞらえて僕が話した「Fantom」その想いなぞる?
それとも「Fantom」もう一つのことだろうか、あなたは僕の声に何を聴いたのだろう?
それとも両方だろうか?想い見つめる雪の樹下、切長い瞳ゆっくり瞬いて、低い声しずかに言った。

「周太…Fのファイル見たんだ?」

アルファベット一文字、あなたの声が訊く。
そこにあるのは抽象化されてしまった現実、それから僕の父の時間。

“倉田さんと湯原警部の事件は共通点がある、”

伊達が教えてくれた「共通点」それを束ねこんだファイル。
そこに綴られた父の欠片に微笑んだ。

「すこしだよ僕は、でも見当ついてるから、」

あなたの方が知っているのでしょう?
それが僕を傷つけるなんて知らない瞳は頷いた。

「そっか、」

赤い唇こぼれた声、白い雪おだやかに霞む。
午後あわい光ふる銀色の森、つかんだ赤い登山ウェアの肩に問いかけた。

「英二は…才能があるからお母さんの実家を継ぐため鷲田さんになって、だから売られる人形みたいに感じて…それでも生きてきたんでしょう?」

あなたは名前を変えた、僕に何も言わないまま。

『いわゆる権力者だ、その後継者として宮田は鷲田になった、』

他の声で告げられた、あなたの現在。
もし告げられなかったら、僕は知らないままだったろうか?

『男の愛人は邪魔な立場になったんだ宮田は、本人の意志とは関係なくそういうことだ、』

なぜ伊達に告げられることになったのか?
なぜあなたじゃないのだろう?

―伊達さんは心配して教えてくれたんだ英二のこと…それくらい英二の立場は今、もう、

もう自分とは別世界の人になってしまった。
そういう名前をあなたは選んだ、その想い何ひとつ話してくれない。
あなたは何も教えてくれなくて、何も解らなくて、それでもあなたの聲がめぐる。

『俺はきれいな人形じゃない、』

人形じゃないと叫んだあなたを、山の貌のまま生かせたらどんなに幸せだろう?
そんなふう願ってしまう山ふところ、美しい切長い瞳が告げた。

「そうだよ、」

肯定した、ああ名前ほんとうに変えたんだ?

―ほんとうに鷲田さんになったんだ英二…もう戸籍はひとりじゃないんだ、ね、

あなたは「鷲田」になった、それは戸籍ひとつ消えたことだ。
その「戸籍ひとつ」どんなに僕に大切だったろう?

『分籍したんだ俺、だから周太が結婚してくれないと独りだよ?』

男同士で結婚なんて、愚かだと嗤われる。
そんな現実もう知っていて、それでも嬉しかったあなたの言葉。
そんな僕の喜びなんて忘れてしまったのかもしれない、それでも見つめたい瞳が問いかける。

「祖母から聴いた?それとも菫さんかな、」
「ん…、」

肯いて見あげる先、濃やかな睫ふかい陰翳が蒼い。
翳の底であなたは何想うのだろう、ただ見つめる想い微笑んだ。

「売られて、酷いめに遭って、それでも生きてきた気持ちは同じだね…英二と僕と、」

結局のところ、あなたと僕は同じだ。

―同じだから僕は離れたくなかったんだ、あの夜も…はじめての、

同じだから惹かれて、あの夜に僕は肯いた。
あの夜、はじめて肌ふれた夜あの瞬間、同じまま融けあえた。
あの瞬間から離れられないまま見つめて、あなたの肩この掌つかんで唇ひらく。

「僕は、警察に売られたようなものでしょう?祖父を恨んでるひとのために…僕の父もそう、それで人生ごと殺されたんだ、」

人生ごと殺された、

こんな言いかたは哀しい、でも事実だ。
その現実に生きようとするのは、僕もあなたも同じだ。

「だから英二の気持ち、僕はわかるんだ…同じだから、」

同じだ、あなたも僕も。
だって殺された現実から始めてしまった、生きることを。

「だから愛せるんだ全部、同じだからよりそえるんだ…、」

同じだから、あなたは僕に寄りそった。

“おまえが好きだ、”

あの夜にあなたが告げてくれた、あの瞬間あたえられたのは同じ警察官だったから。
同じ警察学校で同じ男だったから同じ時を過ごして、そんな「同じ」が想い育てた。
きっと「同じ」が一つでも「違う」だったなら寄りそえない、そんな今が声になる。

「だから生きて英二…英二が生きたいように、」

もう「警察」にこだわらないで生きて?

父が殺された、その現実に押されて僕は警察官になった。
殺された男がいる、その事実にあなたは警察の立場を利用する。
そんなふうに時を寄りそって、今この瞬間まで生きて、だからこの先は「あなた」を生きて?

もう縛られてほしくない「警察」そして「あの男」にも。

―あのひとが父を死なせたのは…僕がそうなったとしても英二、もうやめて?

祖父を恨んだ「あの男」が父を死なせた。
それは現実の過去だろう、それが自分の未来かもしれない。
そんな未来は「鷲田」の名前にも同じかもしれない?それでも、あなたが生きたい世界を駈けるなら。

「英二が生きたいように生きていいんだ、」

ふれそうな唇に吐息が熱い、あなたの生きた呼吸だ。
つかんだ肩に掌が温かい、あなたが息づく温度ふれる。
あたたかくて熱くて、ふれて抱きしめて睫の陰翳のぞきこんだ。

「どんな英二でも…僕は、ずっと、」

告げる唇にあなたの吐息が温かい、隔てる息ひとつ熱ふれる。
熱くて温かくて融けたいと願う、あの現実の声が響いても。

“男の愛人は邪魔な立場になったんだ宮田は、本人の意志とは関係なくそういうことだ、”

伊達が教えてくれた現実、あなたの傍で起きるだろう未来。
あれは嘘なんかじゃない、あなたの傍を選べば僕の現実になる。
このまま今、あなたに口づけたら、あなたの現実が僕を消すかもしれない。
それでも今、どうしたら諦められるだろう?あなたの唇あと1センチで触れるのに?

『俺はきれいな人形じゃない、』

人形じゃないと叫んだあなたを、山の貌のまま生かせたらどんなに幸せだろう?
そう願ってしまった僕がいる、その願いすら「同じ」だと響いてしまったから今、唇あと5ミリで触れる。

『Le Fantôme de l'Opéra』

あの物語に語られる「Fantom」は愛した歌姫に全て捧げて消えた。
愛した歌姫のために命も時間も捧げて、歌姫の恋に自分を消した一人の男。
あんなふうに僕もあなたを愛してしまう、もう大切な女の子がいるのに、夢も進路もあるのに、それでも唯ひとつ願うから。

「生きて英二…僕と、」

あなたは生きて、唯それだけが願い。
ただ願って唇そっと笑って、熱ふれる。

「…しゅうた?」

ほら、あなたが僕を呼ぶ。
あなたの声ふれて唇、熱が抱きしめる。

「英二…」

唇ふれる熱、あなたの呼吸がすべりこむ。
吐息ふれる舌やわらかな熱、接吻けられる温もり。

「しゅうた…周太、」

あなたが僕を呼ぶ、熱ふれる。
あの夜も呼んでくれた熱、声、肩が背が熱くるまれる。

「周太…しゅうた、」

呼んでくれる声、あなたの声。
すこし震えて、ああ、泣いている。

「英二、」

呼んで口づけて、ほら、あわく潮が甘い。
あなたの涙どれくらいぶりだろう?

『なきむし宮田、』

ほら自分の声があなたを呼ぶ、ずっと前の声。
まだ想いはじめたばかりの夏の聲、あれから何度あなたは泣いたのだろう?
あなたが泣くたび僕の鼓動は波うって、あなたの涙くれる波紋に揺らされて響いて、あたたかで。

「…しゅうた、」

あたたかい、あなたの聲。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey, 」】

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