なつかしい香、いつか帰りたい場所
故里、望郷―another,side story「陽はまた昇る」
今日は非番だったが、午前中は特錬の練習があった。
11月の全国警察拳銃射撃大会まで2週間、もうそんなに間がない。
時間が許す限りは練習するようにと、新宿署長から声かけられた。
「湯原君の成績に期待しているよ」
笑って言った署長は、周太の顔を見て言った。
「お父上にやはり、似ているね」
「父をご存知なのですか」
署長は父よりも少し若いだろう。
どこかで一緒だったのかと考えていると、彼は口を開いた。
「この新宿署で交番勤務についた、卒業配置の時にお世話になった」
良い先輩だったと笑ってくれた。
父の殉職は新宿署管轄での出来事だった。その時を、彼は何かを知っているのだろうか。
訊いてみたいが、今はまだ時期ではないだろう。ありがとうございますとだけ言って、周太は敬礼した。
術科センターのゲートを入ると、煉瓦タイル張りの重厚なビルが両側を固めている。
構内を進むと、右脇には打ちっ放しコンクリートの長い壁が続く。この建物が屋内射撃場だった。
広い射撃場に入ると、他にも何人か練習を始めていた。ここでは100人が一斉に射撃訓練が出来る。
PC制御された的、廃弾の自動回収。最新の設備が整えられている。
自分に割当てられた場所に立つ。
周りとは遮断されたブースの中で、的を狙って撃っていく。
射撃姿勢は基本はあるけれど、体格差によって姿勢は少しずつ違ってくる。
それでも一般的には、発射の衝撃を耐えるため、両手撃ちが多い。
周太は片手撃ちだった。
衝撃が右腕を伝って肩から全身を抜ける。けれど自分の体はもう揺るがない事を知っている。
衝撃に耐えて弾道を逸らさない。その為に体幹から鍛えてあった。
体のバランスが整えば、姿勢はブレない。
的の示す中心を撃っていく。
弾痕が適確に、的をきれいに撃ち抜いていく。
射撃部で高校を決めた。
どこの高校へ行っても、勉強は心配無いと自信があった。
けれど射撃訓練を少しでも早く行うには、その施設が整った高校へ行く事が要件だった。
片手撃ちに耐える体を、成長期から組み上げてしまいたかった。
弾丸が終わり片づけを始める。
ふと視界の端に、射撃場の奥へと向かう人影が映った。
あの奥にあるゲートは、一般警察官は通行不可だと教えられた。
SAT専用射撃訓練場がそこにはある。
署へと戻って、携行品を保管に戻してから私服に着替えた。
外へ出ると、真青な空が高い。秋の空になったなと季節を感じる。
時計を見ると11時半だった。
今から実家へ向かえば、正午過ぎに着ける。
昼食は何を作ろうかな、考えながら電車に乗った。
駅に隣接されたショッピングモールで、パン屋に寄るのも良いかもしれない。
母も今日は、午後半休をとって帰って来ると言っていた。
それでも自分の方が、早く帰れるだろう。
目当てのパン屋を覗いて、母が好きそうなデニッシュをトレイに取った。
その隣に並べられたクロワッサンが目に留まる。あの公園のベンチが想い出された。
今日は宮田は、登山の練習に行くと言っていた。
6時半に登り始め、11時には下山すると言っていた。
随分と速いペースに思ったけれど、山岳救助隊にとっては遅いと教えてくれた。
いまごろは麓の駐在所で昼飯だろうか。そんなことを考えながら、周太はクロワッサンをトレイに載せた。
閑静な古い住宅街を歩いて、実家の門扉の前に立つ。
木造の扉を開ける、軋みの音が懐かしく響く。
半月ぶりの実家は、秋の気配を深めて穏やかだった。
飛石を踏んで庭を歩く。
甘い香が頬を撫でて、周太は振り返った。
常緑の濃い細やかな枝いっぱいに、オレンジ色の小さな花が豊かに咲いていた。
ここにも秋が来たんだな。懐かしい香と樹木の姿に、周太は微笑んだ。
台所で冷蔵庫を開けてみる。ある食材でポトフを作り始めた。
コンソメベースの煮込みなら、残りをカレーやシチューに変えられる。
リゾットにも出来るから、母の夕食か明日の朝食にもいいだろう。
野菜を足そうと、籠と野菜鋏を持って玄関に行く。
玄関の隅にそっと置かれた、古い下駄を履いた。父の履いた下駄は、少し周太には大きい。
それでも履いて歩けるようになった事が、少し誇らしいと履くたびに思う。
扉を開けると、庭木を透った風が心地よかった。
金木犀の香が、髪を揺らして流れていく。
ああ家はいいなと肩の力が抜けた。
小さな菜園を見ると、相変わらずきれいに手入れされている。
今使いたい分だけ摘んでいく。
秋茄子の紫紺が、陽射しに映えてきれいだった。
煮込みに入れると色が悪くなるけれど、焼いてサラダにするのもいいなと摘み取った。
こんなふうに庭にふれていると、心が凪いでくる。
警察官として生きる道を自分は選んだ。
父の殉職は辛すぎる現実で、向き合う為にはそれしかないと今の道を歩いている。
それでもこうして、穏やかな空気にいる時間が、自分の素に戻れて心地良いい。
いまごろは、宮田は寮へ戻る電車から、奥多摩の稜線を眺めているだろうか。
その景色を自分も眺めてい見たいなと思う。
射撃大会が終わったら、奥多摩へ行ってみようか。
そんなこと考えている、自分がなんだか幸せだなと周太は思った。
会いに行きたい人がいる事が、こんなに嬉しい。
13時頃に母は帰って来た。
いい匂いねと微笑んで、母は食卓についてくれた。
久しぶりに会わせる顔が、なんだか面映ゆくて落着かない。
あの夜の翌朝以来だから、余計に途惑ってしまう。
なんとなく無口になりそうで、どうしていいのか解らない。
クロワッサンを手に取りながら、こんなの慣れていないと心で呟いた。
その手元を見ながら、母がふわりと微笑んだ。
「クロワッサン、周が買うなんて珍しいね」
手から皿へとクロワッサンが落ちた。
首筋が熱くなってくる。どうしたらいいのだろう。
穏やかに微笑んで、楽しそうに母が見つめている。
たぶんきっと感づいている。周太は口を開いた。
「宮田が好きでよく買うんだ」
だからつい買っちゃうんだよ。
小さな声でぼそぼそ言って、ひとかけ周太は口に入れた。
なんだか味が今ひとつ解らない、淹れておいたアイスティーで飲みこんだ。
いつも思うけれど、この母には本当に隠し事が出来ない。
ふふっと笑って母が見つめてくる。
そんなふうに見つめられると、恥かしくて居た堪れない。
多分、息子が初めて誰かを意識している事を、面白がっている。
たまに母は、ちょっと意地悪かなと思う時がある。
何がそんなに楽しいのかなと思うけれど、幸せそうな母の瞳がきれいだった。
こんなふうに笑ってくれるなら、少しからかわれる位はいいか。
少しため息を吐いて、そっと母の顔を見た。
「仲良くしているのね」
「…ん、」
そんなストレートな聞き方も困る。
なんて答えていいのか解らない。そんな息子の事を良く知っている癖に、母は結構容赦ない。
もうこっちから口を開こうか、周太は話し始めた。
「休暇が合わないし特錬あるから、あれ以来は会ってはいないんだけど」
そうと相槌うってくれる母は、瞳が楽しそうだ。
こんな母の表情は見た事が無かった。
「でも電話とかは毎晩してて」
まいばん、と復唱して母が微笑む。
そんなふうに確認されると、恥かしい。途方にくれて、折角の昼食も味が半分しか解らない。
けれど母の微笑みが本当に嬉しそうで、何か話さないといけない気持になる。
「宮田なんか電話でも泣いて」
「どうしたの?」
訊かれて、こんな話を食事中にしていいのか少し悩んだ。
けれどこの母だったら聴きたいだろう。
食事中だけどと前置きして、宮田の行政見分の話を始めた。
時系列に要点を説明して、周太は言った。
「それで見分のあった夜は、一晩中ずっと電話繋いでいたんだ」
あらと微笑んでから母は尋ねた。
「宮田くん、良く眠れたって言ったでしょう」
「ん、」
どうしていつも解るのだろう。
不思議に思いながら、周太は続けた。
「次の夜には宮田、きちんと受け留めていたよ」
「さすがね、」
ちょっと笑って母が頷いてくれる。
宮田が褒めてもらえたのが、何となく嬉しい。
嬉しくて周太は、宮田の言葉を出来るだけ想い出して母に伝えた。
「死んだ彼女と自分は、きっと同じ思いを抱いているって思えた。
命は消えてしまったけれど、きれいな心の軌跡は残されていた。
遺書と最期の表情で、彼女が遺してくれた想いが、教えてくれた。
最初に出会えたのが、彼女で良かった。今は心から、そう感謝している」
そう言っていたよ。一息に教えて周太はアイスティーを飲んだ。
そうなのと言って母は、ちょっと首を傾げた。
「彼女と宮田くんが抱いている、同じ思いってなんだったの?」
アイスティーで咽かけて、周太は手の甲で口許を押えた。
最も恥かしいところを、話題に選んでしまった事に気付いた。
出来れば誤魔化したいなと思うけれど、母の目は悪戯っぽく笑っている。
こんな時はまず逃げられない。
仕方ないなと、重たい口を周太は開いた。
「…いつか命終わる時は隣に葬られたいって」
あらまと母が声をあげて笑った。
やっぱり笑われたと恥かしくて、首筋を熱があっという間に昇っていく。
けれどこんなふうに、声上げてまで楽しそうに笑う母の姿は、久しぶりだった。
宮田は遠くに居ても、こんなふうに母まで笑顔にしてくれる。
やっぱり好きだなと、素直に思えてしまう。
ひとしきり笑って、母は微笑んだ。
「お母さんも、同じように思うわ」
宮田くんとお母さんも同じね。
微笑んだ母の顔が明るくて、穏やかで幸せそうだった。
男同士なんて普通じゃない。
気持悪いとか、全面否定される事もあると知っている。
けれど母はそんな事よりも、息子が誰かに求められている事を喜んでくれている。
他人に心を開く事が難しい、自分の事を心から理解して、真摯に向き合ってくれている。
この母の息子で良かったと、いつもながら周太はそっと感謝した。
寮に戻ると夕食の時間だった。
ジャケットとネクタイを自室へ置いて、そのまま食堂へ行った。
深堀が同じような格好で、トレイを持っていた。
「湯原くんも外出?」
「ん、実家」
気さくに話しかけてくれて、一緒に食卓についた。
深堀は週休だったらしい。
「久しぶりに祖母から、詩吟の稽古してもらったんだ」
「詩吟?」
そうと頷きながら、おひたしを口に入れて深堀は笑った。
飲みこんでから、説明してくれた。
「祖母はね、詩吟の師匠なんだ。だから小さい頃から練習してて」
「すごいな、」
深堀が何ヶ国語も操れるのは、詩吟で鍛えられて耳が良いからかもしれない。
人は本当に、話してみないと解らない。
もっと色んな人と話せたらいいなと周太は思った。
風呂も済んで、自室で教本を開いた。まだ20時過ぎな事が非番らしい。
母に話していて、行政見分の事が気になり調べてみたくなった。
父が殉職した時も、おそらく誰かが遺体の見分を行っている。その誰かは、まだ警察官として現役だろうか。
今度の射撃大会は全国の警察官が対象になる。
出場して上位入賞すれば、名前が全国の警察でも知られることになる。
「湯原」の名字はそんなに多くは無い。父の事を知る人が、自分に気づくかもしれない。
特錬に選抜された事は、目的の為には色んな意味で有効になるだろう。
それがどんな真実を教えてくれるのか。
少し怖いとも思う。けれどここまで来て逃げる訳にはいかない。
そのときに、自分は自制が出来るだろうか。
かすかな不安が周太を翳らせた。
思わず手元に置いた、携帯電話を握りしめる。
その時、着信ランプが点った。
いつもより早い時間に、穏やかな曲が流れる。
どうしていつもタイミングが良いのだろう。
不思議で、けれど嬉しくて、周太は微笑んで、携帯を開いた。
「はい、」
「なんか不安?」
なぜいつも「はい」だけで解るのだろう。
この声を聞くと、何でも大丈夫な気持になってくる。すこし微笑んで周太は答えた。
「射撃大会で、父の事を知っている人に会うかもって思って」
「うん、」
静かに聴いてくれている。
こんなふうにいつも、離れていても支えてくれる。この隣は頼もしいなと思える。
「どんな人が父の周りにいたのか、知りたいけれど少し怖いなとも思えた」
電話の向こうで微笑むのが伝わった。
大丈夫と宮田が微笑んでくれる。
「どんな場所にいたとしても、警察官として男として湯原の父さんを俺は尊敬する」
笑顔の警察官を俺も目指しているだろ?と宮田が笑って答えてくれた。
きっと今も、きれいな笑顔で笑ってくれている。
この笑顔に、自分達家族はどれだけ救われているのだろう。
本当に好きだと素直に思える。
宮田は山の話をしてくれた。
夜明けの空の、星と色の話がきれいだった。
見てみたいなと考えていたら、そうそうと宮田が話した。
「藤岡がさ、その国村さんと湯原がちょと似ているって言うんだ」
「どうして?」
藤岡は体育会系で明快な人柄だけど、どうも宮田の話だと結構鋭い。
穏やかで芯が強い雰囲気が似ているらしいと教えて、宮田が少し笑った。
「でも俺、国村さんの隣では寛げるわけじゃないんだな」
「そう、」
何気なく相槌をうったら、だからと宮田が返してきた。
「俺の居場所は湯原の隣だけだなって思った」
「…っ」
だからもう勘弁してほしい。
どうしていつも恥かしくなる事ばかり言ってくるのだろう。
また首筋が熱くなってくる、きっともうじき顔も赤くなる。
でも本当は、いつも嬉しい。
こんなふうに、求めてもらえる事は幸せだなと思える。
でも自分もそうだよなんて、なかなか言えるわけがない。
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宮田が日々かっこよくなっていきますね。
湯原という大切な人がいるからスピードあげて成長しているんだなと思いました。
湯原も宮田という大切な人ができて人間的に成長しているんですね。
お互い離れた場所にいてもお互いを大切に思っているのがすごく伝わってきます。
休みがとれて宮田の所に行く湯原が見てみたいです。
智さんサイトの雰囲気に合わせ、漢字のHNにしてみました。
いくつか試したら、見晴、なんていう組み合わせもできて、
これでは「みえはるサン」だと止めました(笑
さて、望郷読ませて頂きました。
湯原の射撃シーン、映像と重ねて読みました。
溜息ものです。。。
まっすぐな眼差しで、呼吸を忘れて集中するような、あの佇まいイイですよね。
彼は確か、的を狙った後一旦拳銃を下げますよね?
あれはゲキテツ(?と呼ぶのかな?拳銃の部位に疎くて失礼)を操作するからか、
それとも癖なのか。※父譲りの?とか
考えるとキリがありません。
全国警察拳銃射撃大会の光景も描かれるのかしら。
宮田は見学に行けるのかな。
続き、楽しみにしています。
それと、リクエストというか、智さんの筆で読んでみたい場面があります。
心理描写という方が近いかな。
湯原の勤務先のそばに「二丁目」ありますよね。
昔と今では、立場が変わったでしょうから、二丁目に対する見方や感じ方にも変化があるのでは?と。
あのエリア、同性愛も性転換もなんでもアリなるつぼに見えるのですが、
マイノリティーとして一緒くたに括られるのも、果たしてどうだろう、とか。
遊びに行って欲しいとか、拠り所にして欲しいわけではありませんの。
何かの拍子にふっと立ち寄って(応援とか?)、感じること、考えることがあるかもな、と。
宮田は(死者が出やすいながらも)心洗われる自然豊かな片田舎にいて、
湯原は、闇が煮詰まっている都会にいて、
その環境の違いから生まれる「なにか」を、二人に綴ってもらうのは、どうかしら?と思って。
図々しくも呟いてみました(笑
初めての書き込みなのに、長文失礼しました。
宮田は相当かっこよくなります。実は、既に最終話はほぼ書いてあります。UPはまだまだ先ですが。その最終話での宮田は相当いい男です。こういうヤツと呑み友達になりたい。笑
距離も立場も全部越える、そういう繋がりが描けたらいいなと思っています。
>休みがとれて宮田の所に行く湯原
今月中にはおそらく。リクエスト多く頂くシーンです、どんな感じにするか粗筋は大体。
いつもありがとうございます、今回も感謝です!
その節は半眠状態でサイト趣旨を勘違いしました…馬鹿ですね自分…もう本当にすみませんでした。
漢字版HN素敵です。
こんな名前の女の子いたらちょっと気になってしまう。笑
射撃、湯原のキャラクターが顕著な部分ですよね。勉強してきちんと描けたらいいなと思います。
大会どうしようか考え中です。ただ11月の奥多摩は繁忙期です、リアルならどういう事情なら見に行けるのか。
二丁目ですか。
うーん、難しいですね…繊細な場所なので、きちんと描けるか心配です。
でも折角のご提案なので、考えてみます。
リアルで友人にゲイ寄りのバイセクシャルがいるのですが、彼もとても繊細です。
偏見に傷ついた分だけ繊細で哀しい。それでも自分に嘘をつけない。
だからこそ、人を想う気持ちは本当にキレイです。
そして彼は誇りを持っています。どんなに偏見が苦しくても、これも俺を作っている大切なパーツだと。
彼は笑顔がいいんですよね、自分と向き合っているからかなと思います。
一緒に呑んで楽しいヤツです。そして普通に女の子にもモテます。笑
こんな友人も「ゲイ」である事で全否定された経験があります。それをきいた時、友人として悔しかった。
ある1つの部分で全てを否定する事は傲慢だろうと。
この友人がいるから、こういう小説を書けるのだと思います。
環境の違いから生まれる「なにか」
ポイント突かれてちょっと驚いています。
実は、このさきの二人の進路として書きこんでいく部分にしています。
その辺りの話は下書きは出来ているのですが、その「なにか」は書いていて胸に刺さります。
ややネタバレ&長文になり申し訳ありません。
また教えて頂けると嬉しいです。ありがとうございました!