花ふる故国
文学閑話:山茶花、望郷―Reginald Horace Blyth
近所で山茶花が咲きだしました。
山茶花は日本だと自生種ですが花色は白、で↑コレはご近所の公園に咲く園芸種になります。
自生種なら『万葉集』に詠われていそうなモンですが該当花の説は現在ナシ、でも後代の辞世句でこんなのあります。
山茶花に 心残して 旅立ちぬ
1964年10月28日に亡くなった文学者が遺した辞世句です。
その日の窓に白い山茶花が咲いていたかもしれません、そして「山茶花=日本」であったと思います。
詠人は日本文化研究者でもありました、その日本を愛する想いが第二次世界大戦の戦後処理にも彼を奔走させました。
Reginald Horace Blyth レジナルド・ホーラス・ブライス
ロンドン大学卒業後、京城帝国大学英文科助教授、第四高等学校英語教官を歴任。
戦時下は敵性外国人として収監されながらも日本を愛する心を失わなかった人です。
戦後は学習院大学英文科にも勤め、東京大学から文学博士号を授与されました。
当時、そして今も人種差別の現実は否めません。
有色人種の国は欧米から見れば「下」、その現れのようにブライスの最初の妻は京城時代に離婚して帰国してしまいました。
その後に再婚した妻は日本女性ですが、戦後=敗戦国ともなった日本サイドに英国人が立つことは「異常」軋轢も圧力も強かったと思います。
彼の文学的功績は禅の思想と俳句を世界にひろめたこと。
そのままに辞世句も遺して日本で死去、鎌倉に葬られています。
“山茶花に 心残して”
山茶花は日本と中国の原産でイギリスには無かった花です。
母国には無い山茶花に心遺して逝去する、そこにあるのは「日本=故国」と慕う望郷の想いです。
山茶花は散る花びら一つずつ舞います、白花だと風花ふるよう綺麗です。
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文学閑話:山茶花、望郷―Reginald Horace Blyth
近所で山茶花が咲きだしました。
山茶花は日本だと自生種ですが花色は白、で↑コレはご近所の公園に咲く園芸種になります。
自生種なら『万葉集』に詠われていそうなモンですが該当花の説は現在ナシ、でも後代の辞世句でこんなのあります。
山茶花に 心残して 旅立ちぬ
1964年10月28日に亡くなった文学者が遺した辞世句です。
その日の窓に白い山茶花が咲いていたかもしれません、そして「山茶花=日本」であったと思います。
詠人は日本文化研究者でもありました、その日本を愛する想いが第二次世界大戦の戦後処理にも彼を奔走させました。
Reginald Horace Blyth レジナルド・ホーラス・ブライス
ロンドン大学卒業後、京城帝国大学英文科助教授、第四高等学校英語教官を歴任。
戦時下は敵性外国人として収監されながらも日本を愛する心を失わなかった人です。
戦後は学習院大学英文科にも勤め、東京大学から文学博士号を授与されました。
当時、そして今も人種差別の現実は否めません。
有色人種の国は欧米から見れば「下」、その現れのようにブライスの最初の妻は京城時代に離婚して帰国してしまいました。
その後に再婚した妻は日本女性ですが、戦後=敗戦国ともなった日本サイドに英国人が立つことは「異常」軋轢も圧力も強かったと思います。
彼の文学的功績は禅の思想と俳句を世界にひろめたこと。
そのままに辞世句も遺して日本で死去、鎌倉に葬られています。
“山茶花に 心残して”
山茶花は日本と中国の原産でイギリスには無かった花です。
母国には無い山茶花に心遺して逝去する、そこにあるのは「日本=故国」と慕う望郷の想いです。
山茶花は散る花びら一つずつ舞います、白花だと風花ふるよう綺麗です。
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花のいろです。
私は白も好きですが。
偶然の一致でさざんかのこと興味深く読ませて
頂きました。
そういえば万葉集に詠まれてないのは不思議
です。
イギリスにもなかったのですね。
山茶花は白が好きです、散るとき雪ふるみたいでいいなあと。
薄紅ぼかしも惹かれます、子供時代の家の庭で咲いていたので懐かしさもあって、笑
山茶花の原生は四国の太平洋岸、九州の南半分から南西諸島にかけてと狭いです。
また万葉集当時は椿と混同されることも多かったと推定されています。
そこから考えると九州に派遣された防人の歌に椿があれば山茶花かもしれません、笑
イギリスには明治期に渡来したそうです。
イギリスの気候風土は日本とだいぶ違います、順応性が高い山茶花といえど当時の栽培は容易くなかったろうと。