yet doth beauty, like a deal hand, 時を進み、
harushizume―周太24歳3月下旬
第85話 春鎮 act.49 another,side story「陽はまた昇る」
ことん、
茶碗そっと卓に戻して、止まってしまう。
食卓むこう窓ふる氷柱、銀色ゆらす名前ふたつ。
『美代を支えるのもダケどさ、あの宮田をってエライコトじゃない?』
あまからい湯気、あたたかいご飯。
あたりまえの幸せの食卓、けれど名前が鼓動を揺らす。
「…、」
名前ふたつ、鼓動せめぎあう。
「周太?どうしたね、」
深いテノール尋ねてくれる。
その眼ざし明るいまま優しくて、唇そっとひらいた。
「光一がいま…名前だしたから、」
名前、それだけで鼓動ひっぱたかれた。
美代を、宮田を、ただ名前ふたつ言われただけ。
それだけ。ただ話題の流れに出てきた名前、それだけだ。
それなのに鼓動から熱こみあげる、揺れて響いて、ただ名前ふたつに。
違う、本当は一つだ。
『あの宮田を』
ただ一つの名前、唯ひとつの想い。
どうしてこんなに自分は。
どうして?
「名前、ねえ…?」
食卓のむこう、幼馴染の声が湯気とける。
味噌炒め芳ばしい香、澄んだ瞳がすこし笑った。
「み・や・た、って俺が言ったからかね?」
とくん、
ほら鼓動ひっぱたく、揺れる。
どうしてこんな自分は、なぜ?
「美代の隣で周太、アイツのコト考えちゃうんだね?」
言い当てられて、ほら鼓動が敲く。
どうしたらいいのだろう?
「あの…」
ほら言葉なんて出てこない、あたりまえだ。
だって自分でも解らない、けれど幼馴染は笑った。
「そっか、ソレじゃあ周太、美代には振られちゃったろ?」
ため息まじり、でも笑ってくれる。
いつもながら優しい大らかにただ肯いた。
「…英二って呼んだけど私のことは呼ばなかったから、って、」
熱に沈んだベッド、美代は傍にいてくれた。
それなのに呼んだ名前は、唯ひとつ。
“英二”
呼びたかった、ずっと。
「光一、僕ね…自分のこと呆れてる、」
本音こぼれて視界にじむ。
また泣いてしまう、こんな弱さに澄んだ明眸が訊いた。
「あいつのコト、追いかけたいかね?」
追いかけたい、そうなのだろう?
その先どうしたいのかも解っている、そのまま声にした。
「追いかける…より…傍にいたいんだ、」
あなたの傍にいたい、そして聴きたい。
あなたの声で答えを聴きたい、こんなに抱えた「どうして」に答えが欲しい。
どうしてこんなに秘密だらけで、どうしてこんなに抱えこんで、それはたぶん、あなたの隣だけにある。
「そっかね、」
深いテノールやわらかに透る。
穏やかな食卓あまからい香、雪白の笑顔ふっと口ひらいた。
「宮田ならね、奥多摩にいるんじゃない?」
澄んだテノール深い、その言葉そっと鼓動ふれる。
「…いま?」
「だね、」
澄んだ声からり返されて、とくん、鼓動うごく。
こんなこと予感していたかもしれない、
「今日はアイツ休みだからね、どーせ自主トレじゃない?」
告げてくれる「今日」を、ほんとうは知っていた。
だから今ここにいる、想いただ唇ひらいた。
「ん…きっとそうだね、」
あなたは山にいる。
それしかないと解っていた、だから今ここにいる。
そんなこと「解って」言われたのだろう、あの女の子にも。
『今日、もしかしてって想うから登山ジャケット着てきたの?』
ちゃんと見て、ただ解ってくれる女の子。
だから今日も支えてあげたくて共に来た、そんな相手の言葉こぼれた。
「ね…クサレエンのほんとの意味、光一は知ってる?」
知っているかもしれない、このひとなら。
想い見つめた真中、雪白の頬すこし笑った。
「俺ならザイルエンって言うケドね、」
すこしだけ笑った手もと、箸きれいに青菜つまむ。
青々やわらかな惣菜したたる露、醤油あわい光に訊いた。
「…雅樹さんのこと?」
「だね、」
澄んだテノールの唇が青菜ふくむ。
口うごかして止まって、やさしい唇かすかに片端あげた。
「山ヤにとってザイルはさ?自分まるっと支えて、いきたいトコ導いてくれるだろ?雅樹さんは俺のザイルパートナーだってのはソウイウコト、」
ザイルに命も時間も繋いで登る。
そんな相手を知っている瞳が自分を見つめて、からり笑った。
「鎖のご縁ってのも堅く切れませんってカンジでイイケドさ、ザイルのが生きる自由ってカンジで俺は好きだね?」
生きる自由、それが違う?
“鎖縁”
そう書き表す文字、言葉。
それが大切に想っていた、けれど違う言葉に唇ひらいた。
「光一、僕は…僕では英二のザイルにはなれないね?」
わかっている、僕には叶わない。
※校正中
(to be continued)