午前中、高知大学から佐藤先生がやってきて、取材を受けた。
曽木さん、なんばん出荷がてら三陸から移住した阿部さん含めて海山活動とか含めての動きを。
こうやって話す時間というのは自分の中での整理にもなってありがたい機会。
思い返すと新聞ばっぐを含めての海山活動の拡がり方というのはどういう事なのか?という話。
経済的な支援をしよう。
ただし、それは当たり前の仕事をしてもらってそれに見合った対価としてお金を発生させる。
そこが、メンバーも農場始め自営業で時間も余裕も金もなかった中で導き出した真っ当といえばまっとうな道。
被災も関係なくなっても継続できるかどうかぶれない軸でもある。
それが肝で始めた事。当然被災当地だから支援の気持ちが上回ることもあればそれで新聞ばっぐが動いて助けられたというのも事実として当然あった。
今、道の駅の直売所の役員をおりてみると、やってきたことの意味を考える、というかふっと頭をかすめる
ことが多々ある。どんな影響があっただろうか。。。
今は、何か、例えば地域を変えるにはあるていどお金、経済的な指標というのは必要だなという考え方だ。
だから、単純にいえば自分の事業伸ばすこと以外考えまい!というくらい割り切っている。
自分ではなく周りを変えるのもということを含めていくと、共通指標としてのお金は、分かりやすい。
前はお金を指標に考えるのはなんか、面白くない、汚いという気持ちもあったからもしれない。
が、無理だ。という結論を出した。
むしろ、そこで悶々とする時間がもったいないと思うようになった。
まだ動けるし頭も動くが、やっぱり30代とは違う。そこを思い知らされるとなおさら強くそう思う。
それが、震災の時はみんなが、今日を明日を生きる道が閉ざされたような気持ちになり、素直になった。
なれたのかもしれない。
だから、身の丈で次の一歩を考えて、それを信頼できるひとに伝えて、広がってきたのが海山活動。
それは自分の事業の中にもある。人の本性が見えたというのか。
いろんな可能性も見えた震災だけれど、6年経つと、また、伝え合う、わかり合う、ということは
日常のなかではやっぱりまた、難しいもんだと思う。
だから、初めてというくらいに素直に、
自分の事業でガンガン稼いで見せることが農業の可能性を感じてもらえることに繋がるっしょ!
と、割り切れる、ということを感じた時間でした。
内猫メルが居ない!と思ったら、最近はこんな場所を見つけたらしい。。
まったくおもろい猫だ。