こんにちは。
2発目を書く気はありませんでしたが、今日はヒマなので・・・
(たぶん、これからしばらくはこんな日が続きそうな予感がしています。世の呉服屋さんは、何をしているのでせう?・・・あたしだけ?)
さて、昨日のこと。
過日観ました「五木寛之 21世紀 仏教の旅」で参照されました「ブッダ 最後の旅 (中村 元 著)」を読みたいと思い、ジイチャンに電話。
「ジイチャン・・・これこれこういうご本はありまつか?」
本の虫のジイチャンの所蔵には、たぶんあるであろうという目論見です。
そして、滅多なことでは共通の話題がない92歳と52歳の親子であります。
おもしろいもので、あたしも含めて人は必要とされれば、その命のエネルギーは開花し続けるのでありますよ。
一旦切った電話でしたが・・・やがて・・・
「その本を見つけました・・・」
ジイチャンからの電話でした。
一夜明けて、今朝ほどルーチンワークとしてご機嫌伺いに立ち寄れば、嬉しそうに本を指し示して「これでつね」と言うジイチャン。
・・・
このごろあたしは思うのだ。
ジイチャンとバアチャンにとっては、この人たちの何がしかの思いが未来につながっているという確信が、何よりの安心の礎なのではなかろうか?
それは例えば、些細なしぐさであってもよい。
毎日仏壇にお参りすることを、あたしが継いで行く。
それだけで、この人たちは、安心するのであろう。
もしも、引き継ぐものがいない時はどうであるのか?
その時は、違う形の安心の仕方を彼と彼女は見いだすに違いない。
今のあたしが、そうであるように・・・
ジイチャンが嬉しそうに渡してくれた蔵書には、今では滅多にお目にかかれないパラフィンの覆いがかかっていました。
中には、
「1984年5月28日 第1刷発行」
と印字されておりました。
これもまた、ジイチャンのあとを継ぐ証でありました。
2発目を書く気はありませんでしたが、今日はヒマなので・・・
(たぶん、これからしばらくはこんな日が続きそうな予感がしています。世の呉服屋さんは、何をしているのでせう?・・・あたしだけ?)
さて、昨日のこと。
過日観ました「五木寛之 21世紀 仏教の旅」で参照されました「ブッダ 最後の旅 (中村 元 著)」を読みたいと思い、ジイチャンに電話。
「ジイチャン・・・これこれこういうご本はありまつか?」
本の虫のジイチャンの所蔵には、たぶんあるであろうという目論見です。
そして、滅多なことでは共通の話題がない92歳と52歳の親子であります。
おもしろいもので、あたしも含めて人は必要とされれば、その命のエネルギーは開花し続けるのでありますよ。
一旦切った電話でしたが・・・やがて・・・
「その本を見つけました・・・」
ジイチャンからの電話でした。
一夜明けて、今朝ほどルーチンワークとしてご機嫌伺いに立ち寄れば、嬉しそうに本を指し示して「これでつね」と言うジイチャン。
・・・
このごろあたしは思うのだ。
ジイチャンとバアチャンにとっては、この人たちの何がしかの思いが未来につながっているという確信が、何よりの安心の礎なのではなかろうか?
それは例えば、些細なしぐさであってもよい。
毎日仏壇にお参りすることを、あたしが継いで行く。
それだけで、この人たちは、安心するのであろう。
もしも、引き継ぐものがいない時はどうであるのか?
その時は、違う形の安心の仕方を彼と彼女は見いだすに違いない。
今のあたしが、そうであるように・・・
ジイチャンが嬉しそうに渡してくれた蔵書には、今では滅多にお目にかかれないパラフィンの覆いがかかっていました。
中には、
「1984年5月28日 第1刷発行」
と印字されておりました。
これもまた、ジイチャンのあとを継ぐ証でありました。