こんにちは。
今朝の天気予報では、今日の予想最高気温は38度ですと可愛いお天気おねいさんが言っておられました。
昨日からばあちゃんは、近くの介護施設にショートステイをしておりまして、じいちゃんが一人で一夜を過ごしました。
今朝ほど、死んでいるのではないか?と恐る恐る見に行きましたら、「ばあちゃんがいなくて、とてもよく眠れました」と元気な笑顔を見せてくれました。
38度の猛暑となります本日の日中も、老人の一人暮らしですので、夜にはまた「死んではいないだろうか?」と見に行くつもりです。
じいちゃんに限らず、どちら様もお体お大切にしてください。
さて、一昨日Iちゃんが立ち寄ってくれまして、しばらくお話をしておりました。
いろいろな話を聞きながらふと思った。
人は、心と体と魂でできていると、ホリスティックという理解では説明がなされます。
体は、食べるものや運動で、鍛える(整える)ことができます。
心は、勉強や経験で鍛える(整える)ことができます。
では、魂は、鍛えら(整えら)れるのか?
・・・フトそんなことが思われたのでありました。
もともと魂は、純然たるもので、そこには思考や意思、または物理的な栄養というものは必要がないものと思っておりますの。
ダライラマさんは、人間が死ぬときのイメージとして、最後には純粋の光の粒となるともうされておりまして、そんなものなのかもしれないなと魂のイメージとしてあたしは抱いております。
もともと魂というものの定義が良くわかっておりませんが、思考の範疇に入るものであれば、それはすべからく脳みその中の仕業であって、心というべきもののような気がします。
だとすれば、単独で存在する魂は、いかなる作用をするのだ?
かつて、「きれいな花を見たとき、ぴかさんは、美しいと思うでしょ?」といわれたのが印象的でありました。
そのとき、そういうものを「美しい」という言葉に知らずに感知させるものが魂か?と思ったこともありましたが、何で美しいと思うのか?というのは、今では経験則や知識の裏づけのような気がしています。
ひねくれているのかもしれないけれど、それはやはり、心の作用だと思うのね。
では、魂は、どんな作用をするのだ?
そんなことを考えながら、お昼にNHK龍馬伝の再放送を見ておりましたら、またまた頭がグルグルとめぐりました。
あぁ・・・そうか!
何事かをしようとするとき、原因と結果、損と得、あれやこれやを頭(心)で考えますが、そこから先に、「あたしはこうすることをあたし自身に約束をする」と決めた時点で、魂は発動するような気がしたのです。
う~~~ん、言葉にするのは難しい・・・
過日、大峰山へ入山した折、女人禁制の結界門がありますが、それは別名「発菩提心門」と呼ばれているらしいです。
「ここから先、行くと決めたのだから、なにがあっても行くんだもんね」と誓う門という意味でしょうか?
体も心も萎えそうになってなお前に行こうとするのが菩提心。
そこに発動するのが、魂。
じいちゃんが、「魂が向かっているから」といった意味が、龍馬伝をみていて、バーンと頭に浮かんだのでありました。
今朝も田んぼに行きました。
あぜの草がまたボウボウです。
昨年は、10月17日が稲刈りでした。
今度の定休日に一度草刈をして、もう一度稲刈り前に草刈かな?と、あたしの脳みそが考えております。
今朝の天気予報では、今日の予想最高気温は38度ですと可愛いお天気おねいさんが言っておられました。
昨日からばあちゃんは、近くの介護施設にショートステイをしておりまして、じいちゃんが一人で一夜を過ごしました。
今朝ほど、死んでいるのではないか?と恐る恐る見に行きましたら、「ばあちゃんがいなくて、とてもよく眠れました」と元気な笑顔を見せてくれました。
38度の猛暑となります本日の日中も、老人の一人暮らしですので、夜にはまた「死んではいないだろうか?」と見に行くつもりです。
じいちゃんに限らず、どちら様もお体お大切にしてください。
さて、一昨日Iちゃんが立ち寄ってくれまして、しばらくお話をしておりました。
いろいろな話を聞きながらふと思った。
人は、心と体と魂でできていると、ホリスティックという理解では説明がなされます。
体は、食べるものや運動で、鍛える(整える)ことができます。
心は、勉強や経験で鍛える(整える)ことができます。
では、魂は、鍛えら(整えら)れるのか?
・・・フトそんなことが思われたのでありました。
もともと魂は、純然たるもので、そこには思考や意思、または物理的な栄養というものは必要がないものと思っておりますの。
ダライラマさんは、人間が死ぬときのイメージとして、最後には純粋の光の粒となるともうされておりまして、そんなものなのかもしれないなと魂のイメージとしてあたしは抱いております。
もともと魂というものの定義が良くわかっておりませんが、思考の範疇に入るものであれば、それはすべからく脳みその中の仕業であって、心というべきもののような気がします。
だとすれば、単独で存在する魂は、いかなる作用をするのだ?
かつて、「きれいな花を見たとき、ぴかさんは、美しいと思うでしょ?」といわれたのが印象的でありました。
そのとき、そういうものを「美しい」という言葉に知らずに感知させるものが魂か?と思ったこともありましたが、何で美しいと思うのか?というのは、今では経験則や知識の裏づけのような気がしています。
ひねくれているのかもしれないけれど、それはやはり、心の作用だと思うのね。
では、魂は、どんな作用をするのだ?
そんなことを考えながら、お昼にNHK龍馬伝の再放送を見ておりましたら、またまた頭がグルグルとめぐりました。
あぁ・・・そうか!
何事かをしようとするとき、原因と結果、損と得、あれやこれやを頭(心)で考えますが、そこから先に、「あたしはこうすることをあたし自身に約束をする」と決めた時点で、魂は発動するような気がしたのです。
う~~~ん、言葉にするのは難しい・・・
過日、大峰山へ入山した折、女人禁制の結界門がありますが、それは別名「発菩提心門」と呼ばれているらしいです。
「ここから先、行くと決めたのだから、なにがあっても行くんだもんね」と誓う門という意味でしょうか?
体も心も萎えそうになってなお前に行こうとするのが菩提心。
そこに発動するのが、魂。
じいちゃんが、「魂が向かっているから」といった意味が、龍馬伝をみていて、バーンと頭に浮かんだのでありました。
今朝も田んぼに行きました。
あぜの草がまたボウボウです。
昨年は、10月17日が稲刈りでした。
今度の定休日に一度草刈をして、もう一度稲刈り前に草刈かな?と、あたしの脳みそが考えております。