ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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雪山(せっせん)

2012-10-15 16:14:00 | 俳句
こんにちは。

秋らしい、素晴らしい日です。

今朝はあまりに清々しくて、任坊山を10周してみました。

あぁ・・・気持ちエエ。


さて、この頃のことにと話をしていまして、あたしの叔父=父の弟(新美幸男と申します)が本を出しているということを耳にした。

大正8年生まれの父には、昔のことで兄弟は多いのですが、父とそのすぐ下の弟だけは長命で、未だに健在です。

そして、父が俳句を愛しておりますのに対し、この叔父さんは、短歌を好むのでありました。

あたしは何故かこの叔父さんが、小さい頃から好きだった。

当時の当たり前の父像として、あたしのオヤジもご多分に漏れず厳格で、とは言え、委細漏らさず慎重居士の父と比べて、この叔父さんは豪放磊落。

その人生もまた、かなり破天荒だったようであります。

そんな叔父さんの上梓したものがあると聞いたので、ぜひ読みたいと思いましたら、父が書庫から探して出してくれた。



タイトルは「雪山(せっせん)

初首は昭和15年となっております。

叔父さんがまだ10代の頃の歌。


照り熟き 八月半ばを 草枕 

みちのくを行く はらから二人


(てりあつき はちがつなかばを くさまくら

みちのくをいく はらからふたり)


当時、今で言えば高校生の叔父さんは、お友達と東北の旅へと出かけたのでしょうね。

それから60年を越し、あとがきから知るには、書き溜めた4千首から300ほどを選んで、本にまとめたらしい。


末の首。

巡礼の 幾山河を 雲に超え 

今宵温泉に 酒を飲み干す


(じゅんれいの いくやまかわを くもにこえ

こよいおんせんに さけをのみほす)


父からの話によると、あたしの母校の高校を卒業した後、招集。

尉官となったものの敗戦、そして、彼は教師になったらしい。

が、請われてある会社の重役になったところ、その会社が倒産。

そして、叔母さんの実家だった 京都曼殊院へ奉公に。

そして、出家。

この頃が、ちょうど今のあたしと同じ頃ではなかろうか?(50半ば)


洛北の 月は明かに うつりけり 

書院のかげに 集く虫の音


(らくほくの つきはさやかに うつりけり

しょいんのかげに すだくむしのね)


妻子を置いて、ひとり寺の小僧となった叔父さん。

が、そこで突然の脳出血。


一命を取り留めて、懸命のリハビリの後、無事生還。

お山を降りた叔父さんは、その後家族の元へと戻り、今に至る。


現在は叔母さんも共にお元気で、3人の子供達は、それぞれ立派に過ごしております。

性格は違うんだが、親父そっくりの叔父さん。

その彼の自伝とも呼べる本を読んで、同じ血脈を見るのでありました。


「晩年仏門に入った私は、少しでも釈尊に帰依したい心情から、釈尊の修行当時の名をここに戴いて、この歌集を「雪山(せっせん)とした。」

あとがきを読み終えて、彼の人生の尊さを、改めて知るのでありました。


叔父さん、幸せになれよ~!