こんにちは。
本日は長男の卒業式。(@福岡)
行けるものなら行こうかと思っていましたが、直近に本人が帰ってきて思ったのは、
「親の出る幕は終えたな・・・」
でした。
学生という肩書きのあるうちはなんとなく親の責任を感じておりましたが、ここまでくればもういいですね。
悲喜交々の想いはありつつも、ここまでの息子の成長を、嬉しくありがたく受け止めております。
幸せになれよ~!
来年成人式を迎える長女からメールがありました。
「今度、振袖を決めに行くからね~」
おうよ!呉服屋だぜ!任せなさい!
彼女もまた、これまで無事に育ってくれたことをありがたく思うのでした。
昨日、おばかのエバさんから、こんなお話が届きました。
・・・
「生きるとは」「死とは」「人生とは」、…、“いのち”のことがほんの少しだけだが分かりかけてきた。
生きるとは、日々、喜びを求めること。生命力、生きる力は日々の喜びなのである。
喜びは、60兆の細胞に宿り、滞った観念のゴミを掃除してくれる。
人の大本(おおもと)こそ体であり、意識は体から生まれ、その意識は物質化する。
喜びは所有するものではない。それに感謝し、返し、循環させることが大切なのだ。
喜びと感謝の循環こそ、命の環であり、愛の世界であり、自然治癒力、持続可能社会なのだ。
人生の究極は、日々の喜び、笑顔と感謝、「ありがとうございます」。それにつきる。
・・・
その昔、エバさんに会って間もない頃にあたしは尋ねたことがある。
「お金がお金を生む(=銀行の利息のようなものね=100円を1年預けたら、たとえば105円になるというその利息の5円は、どこからか搾取しなくてはありえない)というのは、根本的におかしい。そこに頼らない社会を目指すべきでしょう!」
その時エバさんは静かに言った・・・
「企業人として銀行にお世話になっている私としては、それを悪とは言い切れないんだ。」
200人を擁する企業人の言葉として、あたしは素直にそれを受け入れた。
大好きなエバさんの言葉だから、当時とんがったあたしでしたが、聞くことができた。
あたしは良いご縁に救われましたね。
息子の卒業にあたって、あたし自身も振り返ることができます。
55歳の今まで、随分といろいろなご縁に支えられて参りました。
でもそれは、今だから言えますが、当時は当たり前というか、何も感じることはなかったですよ。
親はいて当たり前。
仕送りはあって当たり前。
命はあって当たり前。
生きていて当たり前。
・・・
どうやらそうではなさそうだと・・・いつからそれを感じるようになったんだろう?
それを知ったことが良かったのか悪かったのかはよくわからないんです。
ただ、ほんのりと感じることがある。
「ありがたいなぁ・・・」
あとは勝手に生きて頂ければ良いと思う子供達ですが、願わくばこの気持ちを知っていただきたいと思いますのよ。
「ありがとうございます」
みんな、しあわせにな~れ!
本日は長男の卒業式。(@福岡)
行けるものなら行こうかと思っていましたが、直近に本人が帰ってきて思ったのは、
「親の出る幕は終えたな・・・」
でした。
学生という肩書きのあるうちはなんとなく親の責任を感じておりましたが、ここまでくればもういいですね。
悲喜交々の想いはありつつも、ここまでの息子の成長を、嬉しくありがたく受け止めております。
幸せになれよ~!
来年成人式を迎える長女からメールがありました。
「今度、振袖を決めに行くからね~」
おうよ!呉服屋だぜ!任せなさい!
彼女もまた、これまで無事に育ってくれたことをありがたく思うのでした。
昨日、おばかのエバさんから、こんなお話が届きました。
・・・
「生きるとは」「死とは」「人生とは」、…、“いのち”のことがほんの少しだけだが分かりかけてきた。
生きるとは、日々、喜びを求めること。生命力、生きる力は日々の喜びなのである。
喜びは、60兆の細胞に宿り、滞った観念のゴミを掃除してくれる。
人の大本(おおもと)こそ体であり、意識は体から生まれ、その意識は物質化する。
喜びは所有するものではない。それに感謝し、返し、循環させることが大切なのだ。
喜びと感謝の循環こそ、命の環であり、愛の世界であり、自然治癒力、持続可能社会なのだ。
人生の究極は、日々の喜び、笑顔と感謝、「ありがとうございます」。それにつきる。
・・・
その昔、エバさんに会って間もない頃にあたしは尋ねたことがある。
「お金がお金を生む(=銀行の利息のようなものね=100円を1年預けたら、たとえば105円になるというその利息の5円は、どこからか搾取しなくてはありえない)というのは、根本的におかしい。そこに頼らない社会を目指すべきでしょう!」
その時エバさんは静かに言った・・・
「企業人として銀行にお世話になっている私としては、それを悪とは言い切れないんだ。」
200人を擁する企業人の言葉として、あたしは素直にそれを受け入れた。
大好きなエバさんの言葉だから、当時とんがったあたしでしたが、聞くことができた。
あたしは良いご縁に救われましたね。
息子の卒業にあたって、あたし自身も振り返ることができます。
55歳の今まで、随分といろいろなご縁に支えられて参りました。
でもそれは、今だから言えますが、当時は当たり前というか、何も感じることはなかったですよ。
親はいて当たり前。
仕送りはあって当たり前。
命はあって当たり前。
生きていて当たり前。
・・・
どうやらそうではなさそうだと・・・いつからそれを感じるようになったんだろう?
それを知ったことが良かったのか悪かったのかはよくわからないんです。
ただ、ほんのりと感じることがある。
「ありがたいなぁ・・・」
あとは勝手に生きて頂ければ良いと思う子供達ですが、願わくばこの気持ちを知っていただきたいと思いますのよ。
「ありがとうございます」
みんな、しあわせにな~れ!