こんにちは。
ありがたくも商いをさせていただいた3連休明けの本日は、台風が近づいているようで、雨と風が、時に激しくなっています。
営業日ですので当然店は開けていますが、開店休業状態。
さて・・・午後からはどうしましょう?(何事もなければ開け続けますが・・・)
とは言え、晴天の内にありましても、ヒマなときはヒマで、こうしてブログを書いたり本を読んだりしています。
先日帰省しました息子が教えてくれた、こんなところを昨日から見ております。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5619616
(最初から見るとよくわかります)
バイクに乗りたいと突然思い立った青年が(どうやら社会人らしい)、免許もないのにバイクを買うところから始まりまして、ついには北海道へ行く・・・という内容のようです。
(昨日初めて見て、NO.20くらいでようやく彼は免許を取得いたしました。)
全部見終わるまでNO.74まであるらしい。
全編7時間の長編動画なのですよ。
あたしはまだその3分の1も見ていない。
ヒマなときには、もってこいのものでした。
ところで、この主人公。
息子が面白いというのがなんとなくわかります。
それは、青春という人生の一コマが、たぶん30年前のあたしと息子とそしてこの主人公と、時代こそ変われ、似たような体験をしているからではないのかな?
(そう言っては失礼か?)
およそ30年前の学生時代、あたしはともかくお金がなかった。
仕送りが足りないわけではなくて(人並み以上に送ってもらっていたと感謝しています)、使い道がおかしかったのでしょう。
(親には内緒でしたが、飲んでマージャンばかりしていた・・・お父さんお母さん、ごめんなさい=懺悔)
ただ、足としてのバイクが欲しくて、何とかお金をためて50ccのバイクを買った。
(中古のチャッピーという名の2サイクルのお買い物バイクだったです。アメ横のあやしいバイク屋で5万円くらいでした。)
買って乗ってみたら面白い。
普段の通学はもちろんですが、乗るのが楽しくて、東京から実家まで、冬と夏に2度帰省いたしました。
(片道12時間。冬の箱根峠は凍っていて、あたしゃとても怖かった)
やがて・・・
3回生の頃に250ccのバイク(HONDA XL250S)を手に入れて、あたしの行動範囲は一挙に広がりました。
こんなことも覚えました。
↓
数年後、今もお付き合いのある静岡のHさし屋の若旦那を後ろに乗せて、これをやってひっくり返ったことがあります。
Nがのちゃん、その時はお互い死ななくてよかったね。
バイクは、あたしにとっては自由の翼だったんだなぁ・・・
今日はヒマついでにもうちょっとお話。
お金がないといいましたが、そこそこお金のありそうな人たちが通う大学で、あたしは身なりがやはり汚かった。(らしい)
汚いわけではなく、洗濯をして清潔でしたが、みすぼらしかったようです。
(断捨離をするまでもなく、あたしはもともと持とうとしなかったのだね・・・)
だから、
「ニーミは、シカン(=国士舘大学)かタクショク(=拓殖大学)みたいだなぁ・・・」
とその姿を見て、当時アイビールックに身を包んだ爽やかな学友からよく言われましたよ。
(両大学の皆様、こんなことを書いてすみません)
学生時代少しばかり色めいたことがないとは言いませんが、やがて卒業。
で、家業を継ぐことを条件に渡米。
(アメリカというところへ、あたしはどうしても行きたかった)
シカンかタクショクかといわれたあたしが、大和心をたずさえてカリフォルニアに降り立ったのでありました。
そこから国内線に乗り換えてアリゾナへ。
だだっ広いだけで、でも、これぞ大陸という感じは、あたしの望むアメリカでしたよ。
平均気温40度。
降雨日数、年間3日。
飛んでいる鳥が、たまに熱にやられて地面に落ちてくるアリゾナで、あたしは青春を謳歌いたしました。
当時のあたし。
↓
(これはたぶん、ニューオーリンズ。アメリカに渡ってから、一度も髪もひげも切っていない・・・今に思えば、夢のようなロン毛)
そしてこちら。
↓
(メキシコ国境を超えてノガレスという町へ参りました。バイクはカワサキZ1。ヘルメットが二つあるところが何をか言わん・・・うぷぷ)
やがて帰国し、正業に就くP。
まさしく青春と呼べたあの頃は、きらめくほどの宝物ですよ。
そして、そう言える今のあたしで良かった。
かけがえのない命同様、かけがえのない人生でありますね。
それを思うにつけ、あたしはますますこれからの人生を味わいたいと思います。
何のご縁かわかりませんが、こんなあたしになりました。
お父さんお母さん、ありがとうございます。
(入学式当日。じいちゃん58歳 P18歳)
ありがたくも商いをさせていただいた3連休明けの本日は、台風が近づいているようで、雨と風が、時に激しくなっています。
営業日ですので当然店は開けていますが、開店休業状態。
さて・・・午後からはどうしましょう?(何事もなければ開け続けますが・・・)
とは言え、晴天の内にありましても、ヒマなときはヒマで、こうしてブログを書いたり本を読んだりしています。
先日帰省しました息子が教えてくれた、こんなところを昨日から見ております。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5619616
(最初から見るとよくわかります)
バイクに乗りたいと突然思い立った青年が(どうやら社会人らしい)、免許もないのにバイクを買うところから始まりまして、ついには北海道へ行く・・・という内容のようです。
(昨日初めて見て、NO.20くらいでようやく彼は免許を取得いたしました。)
全部見終わるまでNO.74まであるらしい。
全編7時間の長編動画なのですよ。
あたしはまだその3分の1も見ていない。
ヒマなときには、もってこいのものでした。
ところで、この主人公。
息子が面白いというのがなんとなくわかります。
それは、青春という人生の一コマが、たぶん30年前のあたしと息子とそしてこの主人公と、時代こそ変われ、似たような体験をしているからではないのかな?
(そう言っては失礼か?)
およそ30年前の学生時代、あたしはともかくお金がなかった。
仕送りが足りないわけではなくて(人並み以上に送ってもらっていたと感謝しています)、使い道がおかしかったのでしょう。
(親には内緒でしたが、飲んでマージャンばかりしていた・・・お父さんお母さん、ごめんなさい=懺悔)
ただ、足としてのバイクが欲しくて、何とかお金をためて50ccのバイクを買った。
(中古のチャッピーという名の2サイクルのお買い物バイクだったです。アメ横のあやしいバイク屋で5万円くらいでした。)
買って乗ってみたら面白い。
普段の通学はもちろんですが、乗るのが楽しくて、東京から実家まで、冬と夏に2度帰省いたしました。
(片道12時間。冬の箱根峠は凍っていて、あたしゃとても怖かった)
やがて・・・
3回生の頃に250ccのバイク(HONDA XL250S)を手に入れて、あたしの行動範囲は一挙に広がりました。
こんなことも覚えました。
↓
数年後、今もお付き合いのある静岡のHさし屋の若旦那を後ろに乗せて、これをやってひっくり返ったことがあります。
Nがのちゃん、その時はお互い死ななくてよかったね。
バイクは、あたしにとっては自由の翼だったんだなぁ・・・
今日はヒマついでにもうちょっとお話。
お金がないといいましたが、そこそこお金のありそうな人たちが通う大学で、あたしは身なりがやはり汚かった。(らしい)
汚いわけではなく、洗濯をして清潔でしたが、みすぼらしかったようです。
(断捨離をするまでもなく、あたしはもともと持とうとしなかったのだね・・・)
だから、
「ニーミは、シカン(=国士舘大学)かタクショク(=拓殖大学)みたいだなぁ・・・」
とその姿を見て、当時アイビールックに身を包んだ爽やかな学友からよく言われましたよ。
(両大学の皆様、こんなことを書いてすみません)
学生時代少しばかり色めいたことがないとは言いませんが、やがて卒業。
で、家業を継ぐことを条件に渡米。
(アメリカというところへ、あたしはどうしても行きたかった)
シカンかタクショクかといわれたあたしが、大和心をたずさえてカリフォルニアに降り立ったのでありました。
そこから国内線に乗り換えてアリゾナへ。
だだっ広いだけで、でも、これぞ大陸という感じは、あたしの望むアメリカでしたよ。
平均気温40度。
降雨日数、年間3日。
飛んでいる鳥が、たまに熱にやられて地面に落ちてくるアリゾナで、あたしは青春を謳歌いたしました。
当時のあたし。
↓
(これはたぶん、ニューオーリンズ。アメリカに渡ってから、一度も髪もひげも切っていない・・・今に思えば、夢のようなロン毛)
そしてこちら。
↓
(メキシコ国境を超えてノガレスという町へ参りました。バイクはカワサキZ1。ヘルメットが二つあるところが何をか言わん・・・うぷぷ)
やがて帰国し、正業に就くP。
まさしく青春と呼べたあの頃は、きらめくほどの宝物ですよ。
そして、そう言える今のあたしで良かった。
かけがえのない命同様、かけがえのない人生でありますね。
それを思うにつけ、あたしはますますこれからの人生を味わいたいと思います。
何のご縁かわかりませんが、こんなあたしになりました。
お父さんお母さん、ありがとうございます。
(入学式当日。じいちゃん58歳 P18歳)