「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2014・04・10

2014-04-10 07:00:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「戦前の嫁は、姑の死水をとった。枕もとで涙さえこぼした。二人は実の親子ではない。今は実の親子でも、同棲したがらない。死水なんかとろうとしない。老人ホームへはいってくれ。死ぬときはぽっくり死んでくれ。費用は自分の貯金で払ってくれ。その貯金はなるべく多く若夫婦に残してくれ。
 昔の嫁が流した涙はウソだという。ウソだろう。けれども、ウソをあばくのは、そんなにいいことか。ウソとまことを並べて、まことの方にすぐ手を出すとき、気がつくまいが、功利的な気持が働いていはしないか。涙は自分のためにだけ流して、それ以外には流さぬと固く決心すると、この世は荒涼たるものになりはしないか。
                                                 〔『婦人公論』昭和47年7月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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どんなウソにも本当がまじっている 2014・04・09

2014-04-09 07:20:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「ウソとまことを並べて、どちらをとるかと聞くと、まじめ人間は、きまってまことの方をとると答える。ホントかねと聞くと、真顔でうなずく。信じかねて再び三たび念をおすと、しまいには怒りだす。真実の方をとるのは、人として当然のことで、聞くまでもないことで、それをしつこく聞くとは失礼だというのである。
 けれども、恋というものは『一生のうち何度でもできるものだ』と昔男が言ったとき、女たちは口をとがらして、一度しかできないと言いはった。殿がたは何度でもできるでしょう、げんになさっている、けれどもそれはいつわりの恋で、または浮気で、まことの恋は私たち女は一生に『一度しかできないものです』。
 ところがその同じ女たちが近ごろは、恋は何度でもできると言っている。昨日の恋人と今日の恋人は別人で、明日の恋人はまた別人であることが可能である。可能でどこが悪いと息まいている。それが恋だろうかと、今度は男が聞いて、恋だと女が答える番である。
 もしあとの言葉が本当なら、前の言葉はウソである。前の言葉が本当なら、あとのはウソである。一生に一度だと前にとがらした口と、毎月または毎日一度だと今とがらす口をくらべると、それは別人の口ではない。全く同じ口である。すこしばかり目鼻だちが違うが、それが違いだろうか。
 人はみめより心がけ、または人はみめよりただ心という。古い言葉だから、知らないだろうと思うと、たいていの娘は知っている。母親に言われたのだろう。みめは眉目と書く。顔だち、器量のことである。みめ形というと、顔ばかりでなく姿もいう。
 それは器量の良くない娘に言う言葉である。母親はなぐさめているつもりだが、なぐさめたことになろうか。心がけさえよければ、容貌は問わないというほどのことだから、たいてい娘が幼稚なころに言って、大きくなってからは言わない。言えば面と向って器量はよくない、せめて心がけでもよければと思うのにそれもよくないと言っているようで、娘は怒るかもしれない。
 そして一流の美人というものは、いつの時代でも稀なものである。二流の美人もすくないものである。してみれば、この言葉はまだまだ言われる。しかし、本当に人はみめより心がけだろうか。男という男は、心がけよりみめだと思っている。男が思うから、女も思っている。かくて、すこし美しい女はすこしの男を、もうすこし美しい女は、もうすこし多くの男を、さらに美しい女はさらに多くの男をとエスカレートして、結局最も美しい女は最も多くの男を従え、自在に翻弄して君臨できると、美しくない女は固く信じて、深く恨んでいる。
 女はみめで、心がけではない。それを心がけだというのはウソである。けれども心がけだといわなければ、美しくない女の立つ瀬はない。だからこの古い言葉は繰り返して言われ、最も若い女にも知られているのである。それはウソではあるけれど、全きウソではない。このなかにも、すこしは本当がまじっている。どんなウソにも本当がまじっている。また反対に、どんな本当にもウソはまじっている
                                                  〔『婦人公論』昭和47年7月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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この世は縁から成る 2014・04・08

2014-04-08 07:05:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「百円が惜しいのではない。その(赤い羽根の)金の使い道が不明朗だからというのは理屈である。そんな理屈を考えつくのはケチだからである。ケチは必ず正当化を試みる。またこんなところで意地をはるのは本当の意地ではない。肩ひじはって一日を送るとその肩ひじはこる。オリジナルな人はかくの如きでは争わない。争うべきところはほかにある。たった一日のことだから出したくないのだろうが、たった一日のことだから出すのである。
 私は二十なん年千円を投じている。虎ノ門界隈はむかし私の子供が卒業した女子高校の領地である。銀座はどの学校、新橋はどの学校と縄ばりがきまっているらしい。私は子供の縁で投じるので、オリジナリテとは関係がない。ついでながらこの世は縁から成ると私は思っている。そのために私は手の切れるような千円札を用意している。以前も今も千円くれる人は多くないとみえ、喜ぶこと旧に変らないから物価があがってもスライドしない。喜ぶ顔を見るのは楽しみである。
                                                 〔Ⅴ『赤い羽根四十年』昭62・10・15〕」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)

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2014・04・07

2014-04-07 07:45:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「私たちは助平になった。密通姦通不倫自在になった。酒池肉林といって昔は王侯貴族がひとりこれをほしいままにして、人民は指をくわえてそのなかの野心家が革命を起し、こんどは自分が同じことをほしいままにして再び三たび革命を招いたが、今は匹夫匹婦が王侯同然になったのだから、それは開闢(かいびゃく)以来の椿事(ちんじ)で、もう倒し手はないのである。
                                                 〔Ⅵ『近ごろ下界の眺め』平2・6・28〕 」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)

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2014・04・06

2014-04-06 07:35:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「高校野球の腐敗は私が知るくらいだもの、世間はもっと知っている。けれども純真で無垢だということになっているのは、新聞社が主催者でしたがって高校野球の醜聞なら新聞に出ないからで、新聞に出なければそれは存在しないからである。
 また部員の非行でもないのにしばしば出場停止の処分があるのは、純真ぶる必要があるからである。
                                      〔Ⅰ「ああ『拡材』が走ってる」昭55・8・7〕」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)

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2014・04・05

2014-04-05 06:55:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「昔は名だたる文人墨客が死ぬと、そのゆかりの土地に石碑を建てることがあった。いまそれが流行っている。観光の一助にするつもりだろうがみっともない。死ねばたいていの文人は忘れられること芸人と同じである。ガイド嬢が声をからしても知らないのだから関心の持ちようがない。生きているからはやりっ子で、死ねば客は離散すること蚤に似ている見物また読者ノミ説なら以前私は唱えたことがある。まことにこの世は生きている人の世の中である
                                       〔Ⅶ『文化はやはり江戸にある』平5・9・16〕」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)

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2014・04・04

2014-04-04 08:00:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さんのコラム集(1915-2002)から。

「インテリ男はなぜセクシーじゃないかと塩野七生女史にその新著『男たちへ』(文藝春秋)のなかで言われて、いま男たちは恐慌をきたしている。インテリばかりかそもそも日本の男ぜんぶに魅力がないと、その日本の男の一員である私はかねがね思っている。
 以前はこんなじゃなかった。芥川龍之介は夏目漱石の葬式の日に受付に立って、弔問客の一人に神采奕々(えきえき)としてあたりを払う人物がいるので、だれだろうと聞いたら鷗外森林太郎だと教えられたという。
 漱石が死んだのは大正五年、鷗外が死んだのは大正十一年だから、このあたりから男らしい男は払底したとみていい。広瀬武夫は漱石と前後して慶応に生れた。広瀬がいかに魅力ある日本男児であったかは島田謹二の『ロシヤにおける広瀬武夫』(朝日新聞社)に詳しい。
                                     〔Ⅴ『インテリ男はセクシーじゃない』平元・3・30〕」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)

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2014・04・03

2014-04-03 06:20:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「日経は株の情報を衆に先んじて得る。したがって社員は株を買うことを禁じられている。それなのに早く社長が買ったのである。即刻くびにするところを辞任させた。
 社長が買うなら社員も買っているに違いないと思われても仕方がない。日経の信用は地におちて部数は激減するかというとしない。日経の読者はマネーゲームと財テクをしているか、することを欲している亡者で、したがって日経とぐるだからである。ぐるはとかく上品ぶることを日経はよく知っている。
                                   〔Ⅴ『初手から怪しいリクルート(承前)』昭63・8・11/18〕」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)

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2014・04・02

2014-04-02 07:50:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「見合写真にも流行がある、写真師はもう一寸斜めになって、心持ちほほえんで以下無数の注文をつけるから写真はすべて『やらせ』である。ホテルオークラをはじめ一流ホテルの写真部には有賀写真館や江木写真館の弟子たちがまだいるはずである。素人だってカメラを構えれば注文をつける、意識するなと言われても、意識しないわけにはいかない。いくらかでも実物よりよくとられようとする、欠点をかくそうとする、写真師なら心得て髪が薄いのは濃くする、鼻筋は通す。
いっぽうカメラマンは芸術家だから性格を写そうとしてまざまざと当人が欠点だと思っているところをうつす。このごろ『やらせ』を非難するがこの世にやらせでない写真はない、政治的なものはことにそうだと言うつもりで、言うまでもないと気がついてやめた。
                                    〔Ⅸ「『やらせ』でない写真はない」平9・2・20〕」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)

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2014・04・01

2014-04-01 07:10:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、再録。

「日本はアメリカの植民地または属国であります。植民地はもとの独立国に返りたいと願うのが尋常なのに、ひとりわが国のインテリにはその気がありません。アメリカの植民地でなければ、ソ連または中国の属国になることをなが年欲していました。
                                      〔Ⅸ『どっちへころんでも属国』平9・1・23〕」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)

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