またまたなんか知らないが、校長が小難しい書名を出してきたと在校生には警戒されていますかな?
この本は、安岡正篤先生からも解説が出ています。(PHP文庫) しかし、こちらはわたくしなぞよりもっと小難しいのです。だいたいが、政界経済界の方々が好む先生ですから、内容の次元が違う。それに原典紹介ではなく、エッセーでもありますから、やはり解説本からは入らない方がよろしい。解説本から入るよりは、インターネットで調べた方がもっとよろしい。「すいこどうけんすい」なのか「すいこどうけんそう」なのか、読み方も含めて。
何を言いたいかと言いますと、文人としての生き方を思っていただきたいというのが結論です。文武で言うところの「文」の方の生き方です。
最近、能とか茶道の本、琴の本とか漁っておりましたので、当然ここに帰着するわけです。
つまり、「清遊」する文人の境地を求めなさいということです。
この本は、菜根譚などのような格言の書でもありますが、もっと文学的でなかなかためになります。
読書スタイルまで言ってくださっておるから、目標にもなります。
「理義の書を読み、法帖の字を学び、澄心静座し、益友清談し、小酌半醺し、花にそそぎ竹を植え、琴を聴き鶴をもてあそび、香を焚き、茶を煮、舟を泛べて山を見、意を奕棋に寓す」
ここのところが特にいい。
まるで、日本画のようです。
特に「理義の書を読み」というところ。
聖賢たちの書いた古典を読み、その奥義を味わうことは実に楽しい。
ただし、愚昧なわたくしは「法帖の字を学び」はだめでした。とうとう書道はもっとも苦手な分野になってしまったのです。
「澄心静座し、益友清談し」
この部分は実践してきました。心を清浄に保って、静座して修養を積もうとはしてきました。さらにいくばくかの友人と清談をさせていただき、ものを思ってきたのです。
「舟を泛べて山を見、意を奕棋に寓す」
これからは自然に親しみ、せせらぎに舟を浮かべ、山を見、へたくそな囲碁をやる。できれば山奥で、温泉でもつかりながらだとさらにいい。わが故郷は、山あり、山峡のせせらぎがあり、湯が沸く。舟は持っていませんが、乗ることはできます。
仕事のために読書する、あるいは資格試験のために読書する。また諸君たちのように、進学就職するために勉強する。
これはやって当たり前のことです。
その奥に、この古典の境地のような読書がある。
読書とは孤独な作業であり、きわめて個人的な体験です。自娯といって、楽しみになる世界なわけです。読書してその世界に浸るなら、これもまた俗界からの一時の離反でもあります。俗界に生き、俗界もまた楽しむ。
このような読書をしたのが、陶淵明です。
・・・・・・・・
もう止めましょう。
いくらでも続いていくような気がしましたので。
明日は終業式です。
こんな話も交えて、諸君たちにお話をしたいと思っております。
ただし、今日の表彰式でわたくしの声が枯れていたので、ちょっと聞き苦しいかと思います。
春休みには、静座して、良書を読み、大いに努力していただきたいと思っておりますので。
ではまた明日。
この本は、安岡正篤先生からも解説が出ています。(PHP文庫) しかし、こちらはわたくしなぞよりもっと小難しいのです。だいたいが、政界経済界の方々が好む先生ですから、内容の次元が違う。それに原典紹介ではなく、エッセーでもありますから、やはり解説本からは入らない方がよろしい。解説本から入るよりは、インターネットで調べた方がもっとよろしい。「すいこどうけんすい」なのか「すいこどうけんそう」なのか、読み方も含めて。
何を言いたいかと言いますと、文人としての生き方を思っていただきたいというのが結論です。文武で言うところの「文」の方の生き方です。
最近、能とか茶道の本、琴の本とか漁っておりましたので、当然ここに帰着するわけです。
つまり、「清遊」する文人の境地を求めなさいということです。
この本は、菜根譚などのような格言の書でもありますが、もっと文学的でなかなかためになります。
読書スタイルまで言ってくださっておるから、目標にもなります。
「理義の書を読み、法帖の字を学び、澄心静座し、益友清談し、小酌半醺し、花にそそぎ竹を植え、琴を聴き鶴をもてあそび、香を焚き、茶を煮、舟を泛べて山を見、意を奕棋に寓す」
ここのところが特にいい。
まるで、日本画のようです。
特に「理義の書を読み」というところ。
聖賢たちの書いた古典を読み、その奥義を味わうことは実に楽しい。
ただし、愚昧なわたくしは「法帖の字を学び」はだめでした。とうとう書道はもっとも苦手な分野になってしまったのです。
「澄心静座し、益友清談し」
この部分は実践してきました。心を清浄に保って、静座して修養を積もうとはしてきました。さらにいくばくかの友人と清談をさせていただき、ものを思ってきたのです。
「舟を泛べて山を見、意を奕棋に寓す」
これからは自然に親しみ、せせらぎに舟を浮かべ、山を見、へたくそな囲碁をやる。できれば山奥で、温泉でもつかりながらだとさらにいい。わが故郷は、山あり、山峡のせせらぎがあり、湯が沸く。舟は持っていませんが、乗ることはできます。
仕事のために読書する、あるいは資格試験のために読書する。また諸君たちのように、進学就職するために勉強する。
これはやって当たり前のことです。
その奥に、この古典の境地のような読書がある。
読書とは孤独な作業であり、きわめて個人的な体験です。自娯といって、楽しみになる世界なわけです。読書してその世界に浸るなら、これもまた俗界からの一時の離反でもあります。俗界に生き、俗界もまた楽しむ。
このような読書をしたのが、陶淵明です。
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もう止めましょう。
いくらでも続いていくような気がしましたので。
明日は終業式です。
こんな話も交えて、諸君たちにお話をしたいと思っております。
ただし、今日の表彰式でわたくしの声が枯れていたので、ちょっと聞き苦しいかと思います。
春休みには、静座して、良書を読み、大いに努力していただきたいと思っておりますので。
ではまた明日。