と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

終業式レジメ

2009年03月24日 04時03分12秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
      自分の力について

 今日は学年の納めの日です。
 一年を振り返って、どんな心境にいるのでしょうか。
 満足のいった者、不満足であった者。いろいろな生徒がいると思います。今日一日を反省するだけでなく、自己分析をして、次の学年に備えてください。
 
 さて、わたしたちは、イチローやダルビッシュとかの野球有名人ではありません。
 しかし、わたしたちには「自分の力」はあります。この自分の力とか、競争を否定する者は、「自分らしく生きる」とか「がんばらない生き方」とか「このままの自分でいい」とか、そういうちょっとすねた姿勢を見せることによって、人生のゲームから降りていくわけです。本当にこころからそう思うのでしたらそれはそれでいい。しかしながら、実社会に出ると「やりがいがない」とか、「これは自分のしたいことではない」とか、とかのたもう方もたまにおられる。そういう人の考え方の裏には、「その程度の人物ではない」という実質の伴わない自己肥大感があるわけです。
 最低限の「自分の力」は絶対に必要です。
 しかも身銭を切らない、本も買わない、誰かがどっかから与えてくれるだろうというような他者依存的な「自分の力」であってはなりません。
 力をつけることを放棄した者は、シニカルで、陰険で、卑怯で、わがままです。彼らは、他人の「力」を卑しめ、そのくせ他人の権威を自分のものにしたがります。自分は偉いとまで、自画自賛する者まで現れます。
 テレビに出てくる有名人を、誰も聞いていない部屋で徹底的に貶します。
 しかし、よく考えてみたら、有名人とは、何か一つのことに打ち込み、頭角を現して、その分野できっちり実力をつけた方であるわけです。でなければ、テレビ局が注目するわけがないのです。いろいろな雑誌に文章を書くのもそうです。マスコミ人が注目するだけの「自分の力」があるから注文がくるのです。正否は別として。
 ですから、「まじめ」であることを恥じることはまったくありません。「まじめは最強」です。自分の力の源です。まじめな人を貶すのは、自分を隠そうとしているからです。そんな輩は相手にしている時間が惜しい。そんな輩は、やっていることの多くが中途半端で、筋金入りのワルでもなく、底知れぬ胆力を持っているわけでもないのです。まじめに取り組むから、力がつくのです。自分に安住しないためにも、まじめに得意分野に取り組まれるといい。他人に見せるためではなく、自分へ向けての「深み」のある「自分の力」を身につけていただきたい。
 よく「好きなことをして自由に暮らす」から、勉強もしなくていい、努力する者は**であるとか言う者がいます。あまりにも人生を舐めているとしかいいようがない。人生の最後に何が待っているかを考えたこともないのでしょう。俺が育たなかったのは、会社が悪いんだとか言う者もいます。違うのです。育つ人間は、すでに自らを育てた人間だけなのです。自分で自分を育てていくのです。そのための読書や勉強であるわけです。自学自習の態度と行動がもっとも大事です。

 まとめて言うと、「勉強」が大事ですよ、ということです。
 若いうちから妥協することなく、自己を高めていってください。自己満足と、怠惰は同じ方向を目指してしまいますから。頑張りなさいませ、です。
(平成二十一年度 三学期終業式  外山日出男)

コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

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