プロセスについて
今日で二学期も終わります。いろいろなことがあって、いろいろなことが過ぎ去っていきました。これもまた貴重な体験でありました。刻(とき)は移ろい、流れていくと言われています。また来年がすぐやってきます。しかし、わたくしたちはその刻の流れの中に埋没してはなりません。刻に呑みこまれてもなりません。宇宙的な絶対の時間には太刀打ちできないのですから。ですから、生身の人間としてあくまで主体的に学び、実践力を身につけていただきたいと思います。
さて、三年生の進路ではよく頑張っていただいていると思っております。本人の努力は言うまでもなく、ご指導なされた先生方のすばらしい教育的実践にこころから感謝申し上げます。また年明けのセンター試験でも成功を祈ります。
部活動や、種々の特別活動で活躍された生徒諸君、ご指導下さった先生方にも感謝申し上げます。二つの部活(陸上部 水泳部)の関東大会出場も思い出多きものとなりました。
こうした活動は、言わば「花」のようなもので、大変に目立つものであります。事実、学校内部におりますと実感が湧かないのですけれども、「花を見ている 花も見ている」の心境のごとく、わたくしたちは、「見られている存在」でもあるわけです。県立銚子に興味関心を示してくださる方々が大変に多く、着実に一歩一歩飛躍を目指して成長しているということを実感しています。
しかしながら、見られていることばかりを気にすると、それは精神衛生上まことによくありません。ある程度「平気でいる」ことも大切であります。NHKでドラマ「坂の上の雲」が始まりました。あの中で登場してくる正岡子規は、カリエスで瀕死の状態になっておるにもかかわらず、平気でいることを日記に書いています。病牀六尺という作品であります。そしてこの年に亡くなります。死の二日前まで書かれました。
頭でっかちの理論派であってもむろんそれはそれで結構なことです。知的な体験や教養がなくては、いけません。しかしながら、あまりに狭い視野で、勉強なさってもいかがなものかと思います。要するに自然に勉強なされませ。作為というのがあってもなりません。作為が目立つといやらしくなります。言いたいことは、自分の正面の課題をきちんとこなして、その努力のプロセスを大事にしていただきたいのです。世の中にはたくさんの「プロ」と呼ばれる仕事があります。その「プロ」とは「プロセス」の「プロ」だと教えていただいたことがありました。もっと言えば、プロとは自己の能力について絶望の経験を繰り返してきた人のことだとも。絶望するくらいですから、自分の中に中心軸があるわけです。いろいろな挫折経験もあるかもしれません。そのときは、そのとき。けっしてめげることなく、現在いまここで、瞬間を生きている、まさに正岡子規のようにプロセスを生きていると思っていだたきたいと思います。
努力はあなたを裏切りません。
あなたの中軸にある絶えざる向上心があなたの成長を促します。考えてみればこれはたいへんにありがたいことです。保護者の方々のお支えがあってこそ可能なわけであります。簡単に言えば、働かなくても勉強さえしていればよいということですから。ですから、この高校生の時期というのは、人生の基礎を学ぶことになるわけです。こんなに幸せなことはありません。保護者の方々にも、周囲の方々にも感謝いたしましょう。
感謝は、優しいこころを生み出します。優しいという字の「優」は、人に憂うと書きます。常に人に与えて、自分が最後にもらうのが「優」であります。感謝に通じると思っています。また、本当の優しさとは、しっかりとしたこころ構えのある人だけと、ラ・ロシュフコーも言っています。
最後に、毎回のように言っています。そうです。吉田松陰先生のことです。先生は、松下村塾で「勉強なさりませ」と生徒達を励ましたそうですが、わたくしも申し上げたい。
「努めなさりませ」「励みなさりませ」と。
(平成二十一年 二学期終業式 外山日出男)
今日で二学期も終わります。いろいろなことがあって、いろいろなことが過ぎ去っていきました。これもまた貴重な体験でありました。刻(とき)は移ろい、流れていくと言われています。また来年がすぐやってきます。しかし、わたくしたちはその刻の流れの中に埋没してはなりません。刻に呑みこまれてもなりません。宇宙的な絶対の時間には太刀打ちできないのですから。ですから、生身の人間としてあくまで主体的に学び、実践力を身につけていただきたいと思います。
さて、三年生の進路ではよく頑張っていただいていると思っております。本人の努力は言うまでもなく、ご指導なされた先生方のすばらしい教育的実践にこころから感謝申し上げます。また年明けのセンター試験でも成功を祈ります。
部活動や、種々の特別活動で活躍された生徒諸君、ご指導下さった先生方にも感謝申し上げます。二つの部活(陸上部 水泳部)の関東大会出場も思い出多きものとなりました。
こうした活動は、言わば「花」のようなもので、大変に目立つものであります。事実、学校内部におりますと実感が湧かないのですけれども、「花を見ている 花も見ている」の心境のごとく、わたくしたちは、「見られている存在」でもあるわけです。県立銚子に興味関心を示してくださる方々が大変に多く、着実に一歩一歩飛躍を目指して成長しているということを実感しています。
しかしながら、見られていることばかりを気にすると、それは精神衛生上まことによくありません。ある程度「平気でいる」ことも大切であります。NHKでドラマ「坂の上の雲」が始まりました。あの中で登場してくる正岡子規は、カリエスで瀕死の状態になっておるにもかかわらず、平気でいることを日記に書いています。病牀六尺という作品であります。そしてこの年に亡くなります。死の二日前まで書かれました。
頭でっかちの理論派であってもむろんそれはそれで結構なことです。知的な体験や教養がなくては、いけません。しかしながら、あまりに狭い視野で、勉強なさってもいかがなものかと思います。要するに自然に勉強なされませ。作為というのがあってもなりません。作為が目立つといやらしくなります。言いたいことは、自分の正面の課題をきちんとこなして、その努力のプロセスを大事にしていただきたいのです。世の中にはたくさんの「プロ」と呼ばれる仕事があります。その「プロ」とは「プロセス」の「プロ」だと教えていただいたことがありました。もっと言えば、プロとは自己の能力について絶望の経験を繰り返してきた人のことだとも。絶望するくらいですから、自分の中に中心軸があるわけです。いろいろな挫折経験もあるかもしれません。そのときは、そのとき。けっしてめげることなく、現在いまここで、瞬間を生きている、まさに正岡子規のようにプロセスを生きていると思っていだたきたいと思います。
努力はあなたを裏切りません。
あなたの中軸にある絶えざる向上心があなたの成長を促します。考えてみればこれはたいへんにありがたいことです。保護者の方々のお支えがあってこそ可能なわけであります。簡単に言えば、働かなくても勉強さえしていればよいということですから。ですから、この高校生の時期というのは、人生の基礎を学ぶことになるわけです。こんなに幸せなことはありません。保護者の方々にも、周囲の方々にも感謝いたしましょう。
感謝は、優しいこころを生み出します。優しいという字の「優」は、人に憂うと書きます。常に人に与えて、自分が最後にもらうのが「優」であります。感謝に通じると思っています。また、本当の優しさとは、しっかりとしたこころ構えのある人だけと、ラ・ロシュフコーも言っています。
最後に、毎回のように言っています。そうです。吉田松陰先生のことです。先生は、松下村塾で「勉強なさりませ」と生徒達を励ましたそうですが、わたくしも申し上げたい。
「努めなさりませ」「励みなさりませ」と。
(平成二十一年 二学期終業式 外山日出男)