と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

うかつなこと

2009年12月25日 18時02分52秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は、学校で来月のセンター試験目指して、補講でがんばっている在校生諸君にだいぶお会いしました。

 終業式でも、背水の陣を敷け、失敗を予想するな、日時計のように明るい面ばかりを見ていきなさいと激励しましたから、頼もしい限りであります。

 熱心なことです。
 その熱心さが成果を生み出します。

 また運動部でも他校から(他県から)練習試合に大型バスで何台も来られていました。バスケット部だそうです。練習に相当数来校されていました。宿泊で、です。本校がどんなに部活動に熱心であるか、これでご理解いただけると思っています。

 学校は活気づいています。

 結構なことであります。勉強も、運動部も実に熱心であります。


 しかし、わたくしは、まことにうかつなことでありましたと一人反省をしておりました。
 
 これまで今年の後半は、人間発達論というある大学の先生の書籍にずっと学んでおったのです。しかし、一種の職業病というか、目の前の在校生諸君しか眼中になかったというか、狭い範囲でしか発達をとらえておりませんでした。

 それが見事に打ち破られました。

 発達というのは、生まれてから死ぬまでだそうであります。特に、死の間際まで人間は発達するのだと教えていただきました。死に方まで学習していくとのことです。

 さらに、「受容の仕方」ということでありました。病気を受け入れるまでの、怒り、自暴自棄、周囲への者への八つ当たり等々を経て、人間は最後に受容するわけです。どうしようもない運命を。それも発達であるという観点はまったく気が付きませんでした。

 梶井基次郎という作家の亡くなり方、戸塚洋二という世界的な科学者の亡くなり方を中核にいろいろなことをその大学の先生の書籍に教えていただきました。それで早速このお二方の書籍を参考書として入手して読み始めております。

 梶井基次郎さんの場合は、不治の病で、苦しくてしょうがないからウンウンとうなっておりました。そしたらちょっとだけ母親から言われます。見苦しくないように・・・ということであります。学習した梶井先生は、それから亡くなるまで、静かに療養に専念なさっていったということです。しかもそれを母親に称賛されたがっていたということです。

 戸塚洋二さんは、ニュートリノ観測でノーベル賞を確実視されていた物理学者でありました。ガンにかかっておられて、科学者らしい実に透徹した心境で病気そのものについて書かれておられます。昨年亡くなったのだそうです。しかもブログでずっと病状を報告されておられました。「がんと闘った科学者の記録」という先生の著書の帯には「恥ずかしい死に方をしたくない」とあります。これはなかなかの良書でありました。

 それにつけても猛省でありました。

 わかったようなつもりでいて、目の前のことしか追いかけていなかったわけです。一生のうち、若い時代だけが、人間発達という学問の領域ではありませんでした。うかつでした。

 教育もそうなのかもしれません。若いうちだけが教育ではないのかもしれません。

 否、それは殆ど確信に近くなっています。わたくしも、これからまだまだ教育されていかなくてはならないと思ったからです。初老・中老を迎えましたが、さらに死の直前まで自ら教育であります。



 養老孟司先生という方がいらっしゃいます。

 「**の壁」という新書本で有名な方です。養老先生の「死の壁」という書籍にもいろいろなことが書かれておりました。一人称、二人称、三人称ということで死を区分しておられた。これもまた目を開かれました。こういうことなら、わたくしの心境もずいぶん違ったものになったのかもしれません。

 特に、わたくしたち人間は去年と今年と全く同じだと思っている。それが個性だとも思っている。いや、そうではないのだ、人間は70%が水分であって、それは一年で入れ替わるというような文章にはっとなりました。

 人間は変化していくわけであります。永遠の個体ではありません。中世日本文学にそんなことはいくらでも書いてあります。平家物語しかり。方丈記しかり。

 そういうことを教えていただきました。永遠に生きていられるという錯覚を持っている現代人と違って、古典の時代を生きた方々はその点が凄いと思います。

 生まれてから、亡くなるまでの一生を発達論で眺めることができました。これもまたご縁であります。ふとしたきっかけで、ついて行くのがやっととは言え、大学の先生の書籍と出会うことができたわけですから。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 現在22:18です。

 これから今日の第二稿を以下に書き込みます。

 実は終業式の日に手術をして入院していた在校生がいて、偶然その生徒のブログを見た。見たというよりも、見てしまったという方が正確でした。便利な時代になったものです。いくつかキーワードを設定しておくと、パソコンが毎日記事を拾ってくださる。自動的に。こんなことは考えられませんでした。

 それで彼のブログにコメントをして激励しました。たいへんでしょうけど、がんばってくださいねと。わたくしの終業式のメッセージもアップしてあるから見ていただたいたのかな?と思いつつ。

 もう退院していると思います。
 そんなことが書いてありましたから。
 ブログに。

 さっき、アップした戸塚洋二先生のガン闘病記もまたブログでありました。評論家の立花隆先生との対談もあって実に感動しました。

 わたくしも、ずっとこのままブログを続けてみたいと思いますが、このブログは絶対的に教員時代しかできないブログです。どこかで中断しなくてはなりません。年齢とともに。当たり前ですが。

 大阪の浪速高校という学校の校長先生のブログにも相当影響されています。私立ですので、かなり突っ込んだ書き方をなされています。ある面たいへんうらやましい。

 退職したら好き勝手に書けるのかなぁと思っています。もう無理でしょうけれども。病気になって、闘病記を書いてもそれはわたくしだけの覚え書きにしかなりません。

 それにしても、戸塚先生の書籍には相当ショックを受けています。現代人はまさに死ぬことを忘れてしまったようですから。わたくしにもそれはあてはまります。

 そういうことをこれからのわたくしは勉強しなくてはなりません。

 どこまで行っても、果てしのない旅であります。



☆ ☆ ☆ ☆ 



 さらに書きます。

 大津秀一先生という緩和医療の専門医が書かれた「余命半年」という新書。最後の方に、京都の比叡山の麓で80代のおばぁさまが亡くなられるまでのエピソードがあります。

 これは実に美しい詩のような文章です。ドストエフスキーの木の葉に太陽が当たって美しく輝くあのシーンのような描写です。

 20代のころに、肺結核を患って、再度京都の病院で胸を病む老婦人。

 「病気が治らなくても、私を救うことはできるんです。私を薬が救えなくても、私を心が救うことは出来るんです」

 「人は老いるし、病むし、死ぬわよね。現に私がそう。それを嫌だ、嫌だと思っていたの。でもね、ある時から決めたの。それは仕方がないこと、だから楽しく生きようってね」

 「ほら、空も晴れてきた」

 京都の空に雪が舞っていたのに、一瞬だけ青空が見えたという終わり方になっていました。どんな小説にもかなわない美しさであります。

 まさにここにいかに病気を受容するかという人間発達の具体例があると感じた次第です。

 読書体験というものはいいものです。
  
 うかつなわたくしのような者であっても、怠けず、努力するしかないようです。



 では、また!
 冬季休業中ですので、本当に不定期な書き込みになりますが。

 (勉強なさいませ)

 
 
 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/