












討論の授業を見せていただきました。チャレンジ精神旺盛な先生によるものでありました。「餓鬼草紙」の授業であります。非常に興味深く見させていただきました。現代っ子たちが、この草紙に書かれた当時の状況をどう受け取るか、どこまで実相に迫ることができるかということにおいてです。
内容を知っておられる方は、読み飛ばしていただいていいのですが、なかなかの草紙であります。日本史の資料集に出てきます。写真の最後にプリントとして提示されています。
平安時代/12世紀の史料であります。紙本着色で、縦26.9 全長380.2 1巻です。
解説によると、
「すべての生き物は6つの冥界を輪廻するという六道思想を反映した六道絵の一つ。餓鬼道に堕ちた餓鬼たちのおぞましい姿が赤裸々に描出される。詞書を失う が,『正法念処経』餓鬼品に説くところを描いたものと思われる。人間界に出没する憐れな姿や灼熱・飢餓に苦しむ様を,闊達な描線で生き生きととらえている。」とありました。(文化庁のHPによる)
どこまで理解できるか。非常に興味がありました。現代の大人達でも、このような世界を理解しようともしない現世幸福追求主義のような方々多いからでもありました。第一、自分がいつかは生命を失うということすら、考えてもいない大人がいるからです。病気からも逃げています。老いからも逃げています。現在という時が永遠に続くと思っておられる。ですから老けて見られることを極端に嫌います。
ハイレベルの授業になるだろうなぁと思っておりました。
しかし、アメリカの大学でも、実はこの形式が多く、かの有名なハーバード大学でも積極的に用いられているそうであります。
確かに効果的な方法であります。しかし、これほど難しい授業形態もありません。学生に下準備が最も求められます。授業は討論の授業がもっとも困難で、かつ理想的ではないかとずっと思ってきました。
中学校で研究してきた「話し合いの組織化」ということを思い出しました。
これについては、いろいろと激論をしてきました。話し合いが組織化できるのか?というそもそも論からスタートして、理論武装もしてきました。対話がいつもぶっつけ本番でいいのかという視点もありますから、これはこれでなかなか今でもおもしろい分野であります。特設道徳授業の時間の展開方法において常識とされている分野でもあります。議論法と言ってもよろしいと思います。
それにつけても、討論という形で授業を見せていただいたことを感謝しております。また、現代っ子たちがこのような世界について何を感じ、考えているのかも、ちょっとだけ触れさせていただきました。こういう内容の授業を通して、深く、深く思考することのできる人間が育ってほしいと思っております。
ある意味で、わたくしの専門分野のような気がしましたから。
またお目にかかりましょう。