と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

本相ということ

2010年06月30日 19時39分35秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 種々様々な書籍が売り出されております。
 それこそ雑多な雑学本ばかり追いかけて来たものですから、このブログでもたびたび書いて来ましたように、いい加減に一冊の書籍を大切にしていこうと思っています。書庫を茅屋に作り、机も椅子も新調しましたから、これからの老年期を読書三昧に過ごすつもりです。後は、近所のわらしべに論語の素読でも・・と思いましたが、こんな恐ろしい面相では誰も来てくれないだろうなと自己反省の日々であります。

 ところで、人間にも顔の相というのがあるそうです。愚生はとてもとても他人のことは言えない相でありますから、言及は避けます。それもちょっと言わせていただければ、なんとも言えない福相をしておられる方はいます。博多に行った時に、そんな方とお会いしました。いつもニコニコで、天満宮の近くでしたから、いろいろ斟酌をしてしまいました。まるっきり悩みなぞ無いのではないかとか考えてしまいました。人間ができている、人物も相当なものかもしれないと警戒までしました。あまりの人物の見事さに呑み込まれてしまうと。笑い話のようでありますが。
 
 つまり何を言いたいかと申しますと、いつもにらめっこしているような顔の相ではいかがなものかと思うからであります。少なくとも眉間の皺を寄せない方がよろしい。高校生は元気はつらつ、健康であってほしいのであります。そして夢を語って欲しいと思います。夢が無くてはなんの展望も開けません。大学に行っても何をしたらよいかわからないという超進学校の生徒を知っていますが、本末転倒であります。大学に行くことだけが目標で、そこで何を勉強するのかという意識が欠けているからです。

 目標があって、夢があって、その実現のために人間はがんばれるわけです。勉強オタクになってもいい。学者になってしまえばいい。そんな簡単に学者になれるわけもありませんが、ね。

 学問、体力養成、人物をつくる・練り鍛える。
 そういう生活であっていただきたいと思います。県銚ならできるわけです。しかし、そういうものは短期間に得られるものではありません。そこが教育の尊いところであります。2週間で、僕の私の人格を完成させてくださいというのでは、根本的なことを疑ってしまいます。

 本にも「本相」というのがあります。愚生の造語ですが。本の質、相というような意味です。
 本に囲まれていると、毎日違った本の相が見えるのです。今日は是非ともわたくしを読んで欲しいと本がささやきかけているような気がするのです。

 そういう本は、最初の10ページで「本相」がわかります。精読すべき本は、また違った魅力を持っています。内容の軽重もすぐわかるようになります。薄っぺらな内容の本にだまされることなかれ。
 
 朝早く起きて、一冊の書籍を味わう。時間を有効に使いましょう。夜は、テレビとメールだけで過ごしていては、ただ生きているだけでありまするぞ。もったいない、もったいない。あっという間に、愚生のように年をとってしまいます。

 静寂な部屋の中で、ぽつねんと座りながら沈思黙考することもまた大切な気がします。部屋がなくともいい。耳栓をしてしまえばいい。ノートでも傍らに置きながら。在校生諸君なら、教科書、参考書、問題集でありましょうか。そういう雰囲気を楽しむことであります。そうやって学問をしている自分を大切にすることであります。

 長い目で見たら必ず成果はあがります。
 2週間とか、そういう話ではありませんよ。



 勉強なさいませ!




コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/