ここのところ東奔西走という言い方がぴったりです。
非常に多忙であります。
つまりそういう季節になったということであります。
思うに、三年生の受験と同時性を持っています。三年生が多忙になるとわたくしも同様の過ごし方をすることになります。
何を言っているのかよくわかっていただけないとは思いますが。つまり来年の本校をどうするかということを、やらしていただいております。
常に意識しているのが、このブログと一緒でカウントダウンということです。
次の校長先生にお渡ししなくてはなりません。良い形でです。
「組織行動の『まずい学』」という新書を昨日読了したのですが、実に笑ってしまいました。
なぜか?
ちょっと目次から抜粋してみましょう。
「熟練者の落とし穴」
「組織的な焦りが無理を生む」
「三人寄ればグールプシンク」
「リーダーシップの負の側面 強すぎるリーダーは裸の王様」
「管理職不適応症」
「専門家の落とし穴 『始めに結論ありき』」
等々であります。
これは実におもしろい。そして、戒めとなります。なんでも知っているという自称エリートにもいい薬になりまする。あ、わたくしは自称でも他称でもエリートとはほど遠い懶惰な人間でしかありませぬが、ね。
もっともわたくしのような実践主体の、生粋の現場人には当たり前の常識であります。わたくしはいまだに、知を求め、知を愛し、学びの場を求め続けておりまする。学びの場というと、大学も、履歴書に残らない程度に、仕事に差し障りのない程度に、部活の邪魔にならない程度に、4つほど学ばせていただいてきました。教育学とかを中心にやってきました。心理学もです。就職のためではありません。もう就職しているわけですから、ね。仕事の役に立つ学習をさせていただきました。むろん履歴書に残っている大学(母校)を卒業してから学びの場を求めてです。ですから悔いはありません。もっとも何が専門なのかというとこれが怪しくなってまいりました。その点では、国語国文学ということにもっと執着すべきであったと自省しております。ある意味、財産にはなっておりますが。最終学歴なんというものはわたくしにはなんだったのでしょうと思わざるを得ない。これからも、生涯学習の鬼でありたいというのがわたくしの本音であります。おそらく、90歳になってもどっかで学び続けていることでありましょう。
しかし、冗談でも、なんでもおいらは知識人だとか、なんでも知っているとは絶対に言えないし、その資格もない。誰しも認める鈍才であります。鈍才であるが故に学ぶわけです。うぬぼれてはいけません。
おいらは秀才だとか、天才だとか、そんなことを言ったら天が見ている。世界で最も尊敬をしているソクラテス先生に、鉄槌を下されてしまいます。知に完全は無いからであります。うぬぼれるのもいい加減にせよと言われてしまいます。
この新書で一番笑ったのが、グループシンクを防ぐためには「なんでも反対者」が必要であるとも書かれています。事実、キューバ危機を救ったのは、そういう噛みつき亀の存在でもあったとも。
これは久しぶりにおもしろい本でありました。
世の中はいとも簡単に組織的に行動することを賞賛します。組織というのは、そんなに簡単にまわるものでありましょうか。ドラッカーをずいぶん学習させていただきましたが、名人芸を組織として吸収するのが容易ではないのと同じように、世の中そんなに簡単ではありませぬ。組織マネジメントの権威であるドラッカーですら、簡単にできるとは一言も言っていません。
そんなことを感じたからであります。
柔道の技でも、まねをするのですらなかなか容易ではありません。
三船十段の空気投げなど、動画を見てもできるわけも無い。
あまり名人芸を馬鹿にしない方がよろしいですよ。
名人芸の域に至るまで、どれだけ苦心・苦労があったか。
ですから、在校生諸君は本校の先生方にその名人芸のさわりを教わっていたたきたいのです。しかし、それは簡単にマスターできるものではありません。自分なりの苦心・苦労を経て本物の実力になると思うからであります。しかもそれを表に出さずに努力をすべきでありましょう。
わたくしのずっと申し上げていることは、そういうことであります。安易な手法で、実力は身につきません。ノートの取り方だけをまねしても、要するに頭の中に沈潜するくらいの耽溺が無くてはなりませぬ。時間だけ勉強しても駄目です。もっとも、四時間程度の家庭学習もしないようでは、これは論外。
もっともっと勉強していただきたい。
そのために優秀な先生を求めて、わたくしは東奔西走をしているのです。それが最大の校長としての仕事でありまする。
勉強なさいませ。こんなわたしですら、高校時代に5時間程度はやっていたのですよ。それでも、同級生にはもっともっとやっていたのがたくさんいました。わたくしは、応援団、柔道部、文芸部と3つも部活動をやっていました。全部ものにならなかったという青春のほろ苦い思い出しかありませんでした。その応援団の団長をやった同級生は、仙台の旧制帝大の医学部に現役で合格していきました。勉強をしている格好もしませんでしたが、高校を卒業してからそっと聞き出しましたら、それこそ5時間程度ではありませんでした。すばらしいものであります。1・2年生の時はさしたる成績もあげていませんでしたが、3年になってからはすごい努力ぶりでありました。それでも、学年の頂点を極めることはなかったのです。ベスト10にも入っていなかった。ただし3学期になってからは、非常に実力がついたと言っていました。しかし、10傑に入れなかったこと、それが一番悔しかったとのたもうておりました。
世の中秀才だらけでありまする。
勉強なさいませ。
もう一度言います。
勉強なさいませ。
本当にいくらでもクチ酸っぱく申し上げたい。
また明日!