・女子サッカーまであと数時間というところで、この記事を書き始めました。スポーツ観戦は実は非常に好きな分野です。むろん一番は柔道。
・昨日は、県の図書館にずっと缶詰になっていましたから、今日のサッカーはある意味自分自身へのご褒美。なにしろ、読まねばならない基本文献がたくさんあって、実に困っています。
・中国の随の時代の石窟に彫ってあった古代の文章をどう解釈するかという細かい作業を要するものでした。おそらくこの記事に書いても内容は殆ど普遍性の無い誰も知らないような分野ですから、退職したら明らかにしたいくらいでありますが、そんな必然性も無いし、今は黙っておりましょう。
・ノートも相当書いておりましたので、指先が痛いくらいであります。やせ我慢の極地であります。物好きだなぁと思うのであります。こんなことをやってもなんも履歴書には残らないし、利益にもならない。老化による記憶力の減退を防ぐという意味だけでしょうから。
・やせ我慢の説というのは、福沢諭吉先生の説。これは有名であります。最近の新聞紙上を賑わしている記事の当事者達に読んでいただきたいくらいでありますが、中正不偏の仕事をさせていただいている以上、これくらいにしておきます。されど、実に面白いことを福沢先生は述べておられる。
・紆余褒貶、右顧左眄。時代が変われば、さっと思想まで変えてしまうという変わり身の早さ。そういうことを皮肉っておられる。主として勝海舟と榎本武揚に対しての説であります。ここのところは実に面白い。
・思い当たることは数知れずであります。現代にも通じる。わたくしも書いてみたいと感じるくらいです。いろいろ体験させていただきましたから。
・もっと面白いのが、昨日の産経新聞に書かれている相撲の白鳳関のこと。これもまたある意味やせ我慢の極地でもありましょう。もっと言えば学問への心構えにも通じます。
・タイトルに「彼らの心が折れない理由」とあります。さらに『横綱への一本道を歩いてきた』ともあります。モンゴルから日本に来て、逃げ帰れないという我慢を貫いた白鳳関の強い意志。これぞやせ我慢の極地でもあります。
・ある意味、「心が折れない」ということに本校の生徒諸君にも見習っていただきたいと思うのであります。心が折れない、また折れているようではいかんのであります。折れたら折れたで、またその時は救いの手はさしのべますが、最初からやはり折れない、めげないという強い意志を持っていただきたいと思うのであります。
・それともう一つの記事。後藤新平の次代への名言 シリーズで扱われていたやはり産経新聞の昨日の記事。最悪のことを考えつつ、本当に難しいのは退き時だということ。
・柔道で言えば、絞め技をくらって、参ったを言わないとあの世に行ってしまいます。
・くらった時は、素直に認めるしかないようであります。そうなったのは自分の力量が不足していたからであります。日頃の稽古が不十分であったということでありましょう。
・ここで反省をしなくてはならないのであります。もっとも反省だけなら、**でもできるということをのたもうた方もおられましたが。
・反省はあくまでも自己の向上のためにあるようであります。そういうことです。そういうこと。
・また明日!