大正6年の卒業生。第5回。
外川への遠足。大正5年とあります。
大正7年第6回卒業生 実に素晴らしい!
大正7年の同窓会風景
大正7年 補習科があったころの写真です
大正8年 第7回卒業生
庭園における職員・生徒
年表
作法室 実に立派な部屋であります
大正年間の国文の教科書です。レベルの高い教育が行われていたことを示しています。
・外川遠足の写真が、現在とかなり違った風景に見えるのは気のせいでありましょうか。よくわかりませんが。まだ生まれておりませんから。
・やはりスタイルがずいぶん違います。さすが、この時期に本校に学ぶことができた方々は、違っています。
・本校の草創期のことを知ることが、実に勉強になります。昨日もちょっと書きました。実は明治大正時代の精神文化を知ることができるからであります。なぜあれだけのパワーを持つことができたのかということをちょっとでも在校生諸君には考えていただきたいからであります。
・逆に言えば、現代の若者や大人達が何を失い、右顧左眄しているのかということを分析していただきたいのであります。
・若者の目から見たら、どういうふうに現代の社会が映るのか。それを聞いて見たいものであります。
・たとえば国文の教科書にしても、今よりはるかにレベルの高いものをやっていた可能性があります。つまり、基礎力が違う。
・それがすべてに当てはまるとは思っていませんが、すくなくとも警戒レベルにはある。
・時間をどう理解するかということでは、普通われわれは時間というのは、流れで理解している。それが、断片であってもよいとなるとこれはまったく異相の世界が展開してきます。
・古典を読んでいても、それが時間を超えて、まさに今現在目の前で展開されているような気にもなってしまう。
・明治維新や、二度の大戦なども、遠い昔のような気がしないのです。むろん普通に積み重ねの時間として理解すれば、そのことはちょっとおかしいというのはわかって言っています。
・持つべきは意識のレベルでありましょう。いかに現代のわれわれにとって意味のある出来事であったのかということを、常に自問自答しながら考えることが大切であるような気がするのです。
・だから、県立銚子100周年記念誌を座右に置いて、諸先輩達がどのようなことをなされていたのかを考えることが重要になるわけであります。
・伝統は、ただ古ければ良いというのでは決してありません。遺跡ではないのですから。もっとも遺跡は遺跡としての歴史的価値がありますから、それはそれ。
・時間の流れを流れとして理解し、それとともにいくつかの時間的断片を歴史として記憶にとどめていくことが、この学校に学ばせていただいていることの記念碑になると思うのであります。
・ただぼんやりと学校生活を送ってはならないのであります。ぼ~っとして生きているのもそれはそれでいいかもしれません。されど、せっかく生命を与えられて、人間としての姿形をさせていただいているのですから、考えることであります。
・大学受験で勉強が終わりになるのではありません。勘違いをしないことです。大学はゴールではないのであります。解放されるわけではありません。ましてや、大学3年くらいで就活をして、あとは勉強は終わりではありません。
・自分の履歴だけが自慢で、それでもって定年まで食っていき、ちっぽけな自己満足をもって、ことたれり。そして、やがて亡くなっていく。たいていはそういう生き方でありましょう。定年までもたないサラリーマン生活もあるわけです。愚生だってこれから数ヶ月どうなるかわからんのです。他者のことで責任をとらせていただく役割でありますから。
・県銚の記念誌に載っておられる方々は、生きておられるならば、とっくに100歳を超えておられる。ですから、諸先輩たちがなにを考え、どのように生きておられたのかということに思いを致すのであります。
・このような記事はあまり読まれることはないのかもしれません。明治、大正時代のことを書いても、あるいは写真を掲載してもアクセス数は伸びません。それでもなおかつ愚生はここに紹介をしたい。在校生のためにも、あるいは本校を希望してくださるかもしれない中学生のまだ見ぬ未来の県銚生たちのためにも。
・今の中学3年生と共に県立銚子で学ぶことはできませんが。
・また来週!