・諸君たちは、今、この記事を見ている。しかしです。どうして、愚生のこのつまらない文章を見て、意味がわかるんでしょうか?もっと言えば、言葉を読むという行為から、なぜその意味がわかるんでしょうか。疑問に思ったことはありませんか?
・僕の、わたしの母親なんか何を言っても通じません。いつも叱り飛ばされます。そんなつぶやきも聞こえそうです。ま、保護者は心配だから小言を言うのであって、それはそれで別世界の話です。
・しかし、小言をいう保護者にも、言葉は通じているのであって、その証拠に「バカなことばかり言ってないで、勉強しなさい」という反応が返ってくるでしょう?
・難しい本を読んでいるとき、あるいは、大秀才のお話をお聞きしているときは、不勉強の愚生にはなにをおっしゃっているのかさっぱりわからない時があります。それでも、「わからない」ということは、「わかる」わけです。ここのところが言語というもののおもしろさであります。
・自分がわかっていないということだけは、わかるわけです。だから、言葉の意味がわかるということはどういうことなんでしょうか?
・たとえば、「あなたの目の前にいるのは、とやまひでおです」という文章がなぜわかるのでしょうか。昔から知っているから?違います。本校に入学してきて、初めて愚生に会ったから、とやまひでおが校長だとわかるわけです。もっとも、たいへんありがたいことに、入学前から愚生のことを知っている新入生が出てきたことには感謝感激。ことしの入学式でも「きゃ!ほんものの校長先生だ」と。ブログのファンだったという生徒がいたのはこっちがびっくりしましたが。ありがたいことです。実にありがたい。
・赤ちゃんの時は、周囲に教えられながら、「あれはワンワンじゃなくて犬というのよ」「あれはぶーぶーではなくて、自動車というのよ」と教えられたから、犬とか自動車とか覚えていくわけであります。ここが実に面白いのであります。
・言葉は、だから私より先にあるのかもしれません。しかしです。言葉よりも先にあるのはモノではないかと思う人もいるかもしれません。
・このことの疑問は実は大問題であります。これだけを追求していけば博士にもなれますでしょう。
・回答は留保するとして、それでも、あのわんわんという動物を「犬」というように決めたのは誰なんでしょうか。太古の人が、みんなで決めたんでしょうかねぇ。
・犬は、大きいのもいるし、白や黒のもいるし、違いは明らかなのに、なぜ犬というんですかね。辞書を引いてもこれは解決しません。説明は、辞書ですからいろいろ書いてあります。しかし、全部納得できないのです。愚生には。
・さらに、「犬」という言葉でもって、実際は目の前にいないのに、なぜ犬という姿・かたちを思い浮かべられるのでしょうか。言葉というのは、目の前に見えない事象でも、思い浮かべられるということで、非常に面白い存在であるということが、これでおわかりいただけたかと思いますが、いかがでしょうか?つまり意味の世界って、この現実の世界には存在していないかもしれないということなんです。
・こんなことを考えることもまた学問の世界であります。
・特に3年生。いろいろと考えていただきたいものであります。力のかぎり、考え、思考し、ため込んだ知識を演習でためし、思い切り高校生活をエンジョイしていただきたいと思います。
・また来週!明日から、図書館に入り浸りですから。原稿を書かなくてはなりません。焦っていますです。(^-^)/