最初に構造を知ることだと教えていただいた。非常に納得している。さすがに大きな大学の総長をつとめておられるだけのことはある。
法政大学総長の田中優子教授は、江戸文化研究の泰斗である。なかなかの学者・研究者であると思ってきたが、先日NHK文化講演会で初めてご専門の話をお伺いした。
テレビでは時々コメンテーターとして拝見はしていた。多様な見解をものしておられて、さすがと思ってきた。しかし、政治問題についてはちょっとついていけないと感じてきた。
それにボキより年長だと思ってきたが(なにしろ貫禄が違うから)、ボキよりお若いのだ。しかし、ほぼ同世代である。しかも、同じようにあの大学動乱期を過ごしてこられたから、ラジオの内容にはいちいち納得できた。
あの大学動乱期では法政大学はメッカであった。かなり混乱していた。明治も、中央も、日大もあのあたりにある大学は全部混乱していたからである。
ラジオを拝聴していて、一番良かったのは小田切秀雄ゼミと石川淳の話であった。
江戸文化研究に入るきっかけになったと言われていた。つまり、知識より江戸文化そのものの構造を知ったと言われたのである。これにはっとなったのである。
小田切秀雄は嫌いな人であったからでもある。あの大学混乱期を招来したのはこの人の思想があったからだとも思ってきたからである。しかし、もうボキも老いた。どうでもよくなった。だから、小田切秀雄の近世文化・文学に関する評論を県立図書館から借りてきた。そして読んで見た。メモもとってみた。メモは、吉増剛蔵センセ流である。ルーズリーフの方眼紙タイプを買ってきてあるから、それに縦書きを中心にして自由にメモるのだ。
それまでの日本古典は貴族や武家、さらに高僧などの宗教人のものであったのが、江戸文化・文学に到ってボキのような平民・一般大衆のものになったという指摘である。ずっとボキもそう思ってきたが、小田切秀雄と田中優子先生によって確信に変わってしまったのだ。
芭蕉のような俳諧も、ボキは誤解をしてきたことを数年前に知ったが、あれと同じ体験であった。
石川淳も誤解していた。「江戸人の発想法について」を読みなさいと田中優子先生はおしゃる。これも読んだことがない。だから、「日本文学全集 19」石川淳 河出書房新社を借りた。
構造が先であったのだ。これはこれは。目から鱗とはこのことである。
ありがたいものである。
まだまだやることがたくさんある。
リタイアしたからと言って、一日何をしているのだ?と聞かれることがよくあるが、これである。
朝からヒマでしょうがねぇだろうという意味で聞かれているのである。
確かにヒマである。
やることがないと言われれば確かにそうだから。
しかし、構造から知ってしまったことは、これから追求していくしかないのである。
だって、生涯学習ごっこなんだから(*´∀`*)。
Bye-bye!