と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

一生なんて劇場である。ある種の劇で演じているだけである。その意味で、今回の選挙は実に楽しい演劇を見せていただいているようなもんである。

2017年10月14日 07時56分14秒 | とーま君の流儀2017

選挙が始まった。

実に楽しい。特に、小池劇場を始めとする野党の皆様がたの演技が楽しい。見応えがある。デタラメだと批判する方々も多いけど、ボキは、豊臣秀吉が見ていたら大笑いをするだろうと思った。

なぜなら、豊臣秀吉こそ劇場型人生を送った先達だからだ。

まるっきり演技を繰り返した人生であったではないか。劇場そのものである。

大阪城のような巨大なおもちゃを作ったし、しかもほとんど一人で作り上げ、一人で滅亡してしまった。実際は息子の秀頼の時代に断絶してしまったけど。

彼の人生こそパフォーマンスと、劇場そのものであったと思う。

もっとも、秀吉ばかりではない。モスクワの赤の広場のお歴々もそうである。中国の政治史もそうである。西安の始皇帝だってそうだ。劇場なのである。歴史というのも、シナリオのない劇場であるとすらボキは思ってきた。

行動が、結果となって現れてくるからである。

秀吉も行動主義の典型である。結果がついてきたのだ。むろんまったく計算がなかったとは言わない。

結局、ギャンブラーなのである。小池劇場の主催者の小池百合子都知事も、豊臣秀吉も。結果を怖れていたら、今回の選挙も都知事は打てなかったにちがいないし。

空海もそうだったのではないのか。ギャンブラー的な要素がないと、西安までわざわざ出かけることもなかったに違いない。最澄は、その意味でまことに慎重居士である。生き方そのものが、堅実である。マジメ人間である。だからあまり面白くない。空海のような自由闊達さがない。行動がともなわないからである。ま、これについては当時の南都仏教界との対立もあったから、なんとも言えないけど。

でもねぇ、人生なんてある意味でギャンブルなんではないのかと思う。

勝負するときは、勝負しないとアカンでっせ。

いつも逃げてばかりいたら、美味い蜂蜜も味わえない。

負けて元々である。どうせ裸で産まれて、裸で死んで行くのである。最後は、焼かれてオシマイである。

だったら、おもしろおかしく生きてなんの悪いことがあろうか。

生きても一回、死んでも一回である。

美人だって、遠くから眺めてばかりいたら一生ご縁がないではないか。

思い切ってクチをきいてみなはれと申し上げたい。

独身男性よ!

頑張りたまえ!

そうである。

劇場だからである。

キミは、その劇場の主演男優なのである。

マジに。

 

さ、つまらないことばかり打鍵していないで、これくらいにしよう。

出かけます。

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これから大都会千葉市へ出かける、ボキのクルマで。楽しみである。文化講座と古文書講座である。

2017年10月14日 07時39分25秒 | とーま君の流儀2017

それにしても、ボキは行動的なジジイですなぁ。基盤は、「即行動主義」である。あれこれと考えて計算高く生きてこなかったから。もっともあれこれと考えてもロクな結論は出なかっただろうけど。



今日は古文書講座と文化講座がある。千葉市である。千葉市民会館である。

ほぼ毎月のようにある。楽しみにしているのだ。

なんでか。千葉市に美人が多いから?違う、違う。所詮北欧美人にはかなわないから、大都会千葉市と言ってもそんなもんに興味はない。

古文書講座は、有段者クラスの非常にレベルの高い史料がいただけるからである。古文書講座も文化講座も一流の講師である。しかも、ボキは事務局員だから準備もある。これがありがたいのである。直接、講師の先生と接することができるからである。

ある意味カルチャーショックである。

ホントウに惚けているヒマがないのじゃ。あ、気がつかねぇだけでもう惚けかかってるかもしれないけど。まだ大丈夫だろう。タブン。

わははっはははっはははっはは。

ホントは、今日の午前中にバイト先の塾の研修会がある。けっこう大規模な塾であるから、研修会もやってくださる。ありがたいではないか。まだまだ研修をさせてくださるのである。ということは、まだクビにはならないのかもしれないということであるから。

そんなワケで、研修会には参加できない。だから、来週別の塾で行われる研修会に参加する。午前中である。それから東京に出る。翌日東京で試験があるから。会場は、あの憧れの東大駒場キャンパスである。むろん大学入試ではない。あたりまえである。ボキ如き、東大に入れるわけもない。門をくぐることはできるけど。もっとも、ボキは仙台の東北大学が憧れの大学だったなぁ。こっちも入れるわけなかったがねぇ。だったら、なんの試験かって?・・それはねぇ、長生きの試験。←ウソだけど。

ともかく、充実している。

老人性鬱になっているヒマもない。(鬱ってぇ字書けますか・・・笑=ボキは小学生でコレ書けるようになっちまったです)

ある意味、自分を追い込んでいるからなぁ。

だからヒマを持て余しているご同輩を見ていると、嘆いてしまう。やることなんか、テメェで見つければいいのである。漢検でもなんでもいいではないか。なんでもいいのである。原付バイクで千葉県一周でもいい。実際、ボキはそれをやったことがあるから。

若い人でも、やることがないってぇ悩みを持っているのがいるが、ボキには信じられないですなぁ。好きなことをやっていればいいのである。つまらん計算をするからやる気がなくなってしまう。失敗したらどうしようとか、他人がどう言ってくるかというようなことばかり計算しているから、行動できなくなるのである。マジにそう思っているのだ、ボキは。

それになんでも他人のせいにするってぇのは、キタナイ。考えて、決定して、行動したのはご自分である。自分で考えて、決定したのである。そうなのである。アドラーの言うごとくである。

なにを今さら他人のせいにできようか。大学院を中退したのも、ボキ自身が考えて決めたことなのである。他人のせいではない。絶体にない。ましてや大学のせいでもなんにもない。恨み辛みはまったくないのである。かえって感謝しているくらいである。中退したことで、長生きへの意欲ができたし、こうやって千葉市に出かけたりできるようになったし。あのまま、大学院博士生活でござると気取っていたら、死んでいたからである。そもそもが、一番最初に卒業した大学の学部事務室で修士課程に進学したいんですけどと相談したら、「キミィ!この成績では無理だよ」と言われたくらいのアホである。残念ながら。

ま、ボキのアタマが軽いから、行動にすぐ移してしまうのかもしれないけど。なにしろ家に閉じこもっていることができないから。


今朝から雨が降っている。

気をつけて行きましょう。

無事帰ってこないとアカン。そろそろ内孫が産まれそうだから。孫3号である。

わははっははっはははっはははっははは。

 

Bye-bye!

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10月13日(金)のつぶやき

2017年10月14日 05時57分15秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/