桂歌丸師匠の効用・・・毎日一緒に寝てくださっているのじゃよ(@^▽^@)
寝るときのお友達に桂歌丸師匠がいる。いろんな手段で録音してある。Kindleにそれを入れていつでも聞けるようにしてある。約30本くらいある。
それを毎晩聞きながら寝ることにしている。
昨日の晩も聞きながら寝た。
ところである。最後まで聞いていられない。完全に寝てしまったからである。心地よいのである。歌丸師匠の声がである。声の質が軽いのである。耳にいい。こういう声に産まれたら、ボキもずいぶん人生が変わったであろうと思う。だからある意味目標の声でもある。
つまりボキにとっては、睡眠導入剤みたいなものである。もっともそんなクスリを使ったことはないが。
しかしである。毎晩の楽しみに落語があるってぇのは、これまた仕事をしているときには経験できなかったことだ。毎晩やること・やらねばならないことが山ほどあって、忙殺されていたからである。
今は忙殺の「忙」がない。仕事がないからである。
わははっはははっははっはははっは。
ただし、あまりに忙殺されていると現在いろいろとマスコミで騒がれているような自死問題が出てくる。これはいただけない。ブラック企業問題である。
さらにある。世の中がダンダンと「イヤならやめればぁ~~」という雰囲気になっている。これはいかがなものか。
確かに、一生懸命働くというのは立派なことである。アリとキリギリスでは、アリの方に軍配が上がる。どうしてもそうなる。なぜか。
それは世の中、ほとんどの方々がアリとして一生懸命働いてこられたからである。だからそういう価値観を上に置くのである。
仕事もしないで遊んでいたら、そりゃアカン。貴族階級ならわかる。働かないで一生遊んで暮らせるのなら、ボキだってそうしたい。
しかし、世の中そうはいかない。
そもそもボキのような庶民は、働くことによって生きがいが生まれるのである。だから、ボキも定年退職後もバイトをさせていただいている。まるっきり朝からぼ~~~っとしているのではない。
そういう生活をしていたら、確実に惚ける。それにまだ惚けたくない。
しかし、働き過ぎて自死をするようではいけない。周囲の環境もいただけない。回りも注意してあげないと。
弱いからだと言われがちであろう。そういう方々への批判もあるかもしれない。真のエリートは、ブラックだろうがなんだろうが、仕事一筋で生きるのが当たり前だろうとのたもう方々も多い。事実、徹夜してまで仕事しているエリート社員も公務員もいるからである。
最初に戻ろう。
落語というのは、「軽み」がある。
だからいいのである。俳句と通じることもある。俳句は俳諧である。諧謔と軽みでもって、成り立っているとボキなんか思っているのだが。
落語は、眉間に皺を寄せて聞くようなものではない。深刻ぶって、命がどうのこうのと言って聞くようなものではないのである。
たまには息抜きのためにも、落語は必須である。軽い気持ちで聞くことである。
このあたりは、狂言とも通じる。能はかしこまって見るような雰囲気を持っているけど、狂言は違う。楽しみで見る。滑稽であるからだ。あるいは、軽いからである。笑いながら見ていても、国立能楽堂のお客さんたちは怒らない。
楽しみで見ているのがわかるからである。
今日も雨である。
(*_*) マイッタ。
図書館もコンピュータシステムの更新で、10日ほど休館である。行くところがない。
あ、gymはやってくれる。こっちは月曜日だけ休館である。ありがたいものである。
運動だけは欠かしたことがない。
なぜなら、長生きしたいからである。
Bye-bye!