今朝は寒かったけど、天気は良さそうだ。
昨日の晩、塾から帰ってきてちょっとメールチェックをしていた。そしたら、ボキの書屋にある灯油ストーブの灯油が切れてしまった。昨日の晩は、そんなわけで11時頃寝てしまった。
で、今朝起きて灯油をストーブに給油した。でないと、ボキ、風邪をひいちまう。
これから孫(四ヶ月)の初節句をやる。午後である。女の子の孫もかわいい。まったく、だらしないジジイである。嫁さんのご両親もお呼びしてである。順調、順調またまた順調である。
こんな老後が待っているとは考えもしなかった。
孫三人。男児二人と女児一人。
我が子よりも、孫は育児責任がないから、かわいいの一点張りで良い。だから、かなりの甘ちゃんになってしまう。それはそれで仕方なし。それでいいではないか。
家族はありがたいものである。
まさに、家族のためになるのならなんでも出来るというものである。太平洋戦争で亡くなった方々も、日本を守るということと家族を守るということは共通していたのではないかという書物を読んだことがあったが、然りである。
しかも、ボキは九十九里浜には親戚がいない。ボキの血族の関係である。身寄りがないのである。自分で作った家族だけが身寄りである。
これをサミシイととるか、楽しいと受けるか。
それは自分の心のあり方に関わることである。
微笑ということにずっと関心があって、円空という僧侶の作った円空仏について調べている。微笑の仏たちを彫った人である。
微笑だから関心がある。
タイに行ってから、微笑にさらに関心が高まった。タイの人々は微笑の国である。なぜ、あんなにまで魅力的な微笑ができるのか。
タブン、人間が出来ているんだろうと想像しているけど。
癒やされたねぇ。
微笑に。
と、ここまで書いてきてハタと気がついたことがある。
それは、孫の微笑である。
男児の孫も、女児の孫も微笑みをボキに見せてくれる。
抱きしめたくなってしまう。
かわいいからである。
あああああああああああああああああああああああああ。
ホントに独居老人でなくて良かったと思うひとときである。
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ