と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

カンボジアの日本語学校で教師になってみた←これ面白い!

2018年02月26日 21時16分09秒 | とーま君の流儀2018

カンボジアの日本語学校で教師になってみた

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最近感謝が足りないなぁとしみじみ思うケド、なかなか難しいですなぁ。

2018年02月26日 07時56分38秒 | とーま君の流儀2018

生涯学習ごっこで、最大のマイナスになったのが感謝を忘れてしまったということなり。

つまり、たいした能力もねぇのに博士を目指したから理屈っぽくなってしまったということである。それに、学会でも査読とか質問とか色々と責められたから防衛本能が発達してしまったのだよん。

そもそもそんなことぐらいで自分を守ろうとするんじゃ、要するに能力もなかったということである。

かえって良い体験だったということだ。

自分のくだらなさ、しがみつき根性がよ~~~~く分かったから。

家人に感謝。

長女と長男に感謝である。よくまぁボキのようなアホジジイの子供に産まれてくださったと感謝すべきである。

中年くらいまでは、まだマシだったなぁと思う。管理職をさせていただいていた時のことである。職場の方々に感謝していたからである。ブラック企業と揶揄されるほど、努力していた方々が多かったからである。土・日もなくて、練習試合の連続で、補習とかでかえって健康と家族関係を心配していたからである。尊敬に値する。ボキだって、土・日もないし、柔道の練習練習またまた練習、大会の連続であったのだ。だから旅行なんか行ったこともないのだ。

でも、あの頃は、自分の周囲すべての方々に感謝していた。太陽にも感謝していた。道ばたの雑草にも感謝していたっすよん。

基盤にボキが悪業三昧のアホだからという意識があったからである。

それが、いつのまにか自尊心のかたまりになってしまって、他人の論文批判という狭いカテゴリーにはまってしまった。

それが生涯学習ごっこの悪しき影響であったのだ。

 

テメェだけがエライのではない。

周囲の支えがあったから、職業人生活をまっとうできたのである。

こいつを忘れてしまっては、話にならない。

 

高い学費を払って、それだけを学ばせていただいたのである。

それもまた感謝である。無駄だったかもしれないが、それなりに意義があったのだ。

 

うううううううううううううむ。

 

今日は、これから家人と一緒にちょっと出かける。高速に乗って。行くところがあるからである。

感謝である。

やることがあるだけ、シアワセである。

 

ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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2月25日(日)のつぶやき

2018年02月26日 06時56分06秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/