ゴルゴ松本の「漢字」感動の授業in少年院
昨日塾に行ったら(バイト)、コロナ予防のための机とか椅子のアルコール消毒が始まっていた。もっとも、ボキ、週に二回しか行っていないのでいつから始まったかはわからない。ともかく警戒はすべきだろうから念入りにボキもやった。
九十九里浜は、昔から結核治療のためには良いとされてきたのだそうな。温暖で、隣はアメリカである。潮風も体に良いのであろう。だから、呼吸器系の疾患にかかっている方々は九十九里に来てくださったのであろう。でも、今では薬が発達しているから、あまりその手の話は聞かない。
心配しているのは中高生である。学校が休みになっているから、なにをしているのだろうか?と思っているからである。
それで昨日塾でちょっと聞いてみた。そしたら、ずっと家にいるとのことであった。本を読んだり、好きな英語をやっているという。飽きないとも言っていた。たいしたもんである。ゲームをやっているというのもいたが、こっちは当然のような気がした。
学校関係者も大変なものであろうなぁと思う。心配の種は尽きないだろう。こころから応援したいと思っている。
教育が、我が日本の柱石だからである。資源もなにもない我が日本である。教育でもって知的な活力を持たないと、発展しないではないか。マジにそう思っているからである。
ただし、あまりにも地獄の特訓ばかりやっていると病む。極端は良くない。徹底的に勉強する時期はあっても良いだろうが、悪魔に取り憑かれたようにやったらアカン。病む。
ボキのように庶民であることを自覚したら、エリートを目指さないこともあり得るではないか。エリートを目指して精神を病んだら、かわいそうである。ある程度生活していければ良いのである。完全はないからである。天才と言っても、それは程度が上であるというだけで、実は庶民の焼き直しであるかも知れないではないか。
受け入れることである。
ボキのように。
アホでも生きてられるのだから。
学校教育というのは、そのあたりを教育しない。努力はすべてを解決するというけど、ホントにそうかと思っているからである。今の自分を受け入れるという教育もあって良いのではないのかとも思っているからである。
病んじゃいけないからだ。
ボキはもう手遅れだが(^_^)。
BYE-BYE!