出先の新幹線で志村けん氏が亡くなったことを知った。インターネット情報であった。なんということだ。ボキとほぼ同世代の偉大なコメディアンである。才能溢れる御仁だった。彼のような才能ある方でも病魔は容赦なく攻めてくるのだから。
ボキは彼の明るさが好きだった。めげそうになっても、彼の番組を見て大笑いしているとなんでも全部吹き飛んだからだ。
しかし運命ちゅうのは過酷なもんですなぁ。
誰でも死んじゃうとはわかっていても、いますぐとなるとゴメン被りたいからだ。
いきなり入院して、いきなり死がきたら慌てるだろうなぁと思った。ボキも、定年退職後に入学した某大学大学院在学中に死にかけたけど、いきなりだった。熱い、熱いと言った覚えがあるけどすぐ気絶した。仰向けにベッドでひっくり返った。記憶はいっさいない。熱いと家人に言っていたのは覚えているけど、その後にひっくり返ってしまった。個室ベッドの上である。それから医療関係者が即対応してくれたらしい。らしいというのは、まったく知らなかったからだ。
幸い、生き返ってしまった。意識が戻ったからである。あのまま死んでいたら、その後の海外旅行なんぞ夢のまた夢であったよん。
循環器系の病気で死ぬのがもしかして一番ラクなのかもしれないと思い始めてしまったのじゃが。気を失うのだから、痛みはないからだ。痛みに堪えながら、苦しい、苦しいとやっていたらやってられないではないか。
だから、死ぬときは痛みに耐えられるかというのが、一番大切なのだろう。もっとも誰も死んだことのある方はいないわけであるが。死んで、その経験を語ってくださる方は皆無であるから。
昨日、実はクルマでA地点に移動していた。ところが、大雪でにっちもさっちもいかなかった。それで、クルマを捨てて新幹線にしたのである。用事があったからだ。不要不急の用事だと東京には行けなかった。だから、反対側に移動していたのである。東京都知事に怒られてしまうからだが。
ううううううううううううううううううううううううううううううううむ。
コロナが憎い。大好きな志村けん氏を奪ってしまったのだから。
合掌。