県銚には漫画部というのがあるのです。
先週、シティオで作品の展示をしておりました。
あなたもやってみませんか?
部活動紹介をしていきます。
バスケットボール部とバレーボール部です。男女ともあります。
江戸時代の学者という方々は、実に興味深いものであります。
細井平洲先生がわたくしには一番であります。母校をつくってくださった先生でもあります。もっともこちらの方は上杉鷹山ということにもなりましょうか。また、岩波の日本思想大系でもその著作にふれることができます。教育の根本について言われています。
吉田松陰先生にも興味があります。茅屋の和室床の間に先生の掛け軸を掲げております。俊秀松陰先生の心意気を学びたいものであります。
地元では大原幽学先生であります。この方もまたその碩学たるや、雲の上の方であります。
江戸時代の学者は多く私塾を作っておられる。
緒方洪庵先生の適塾も見に行きました。
ここで福沢諭吉先生が学ばれたのは有名な話です。
福翁自伝はなかなか面白い。
2年前に終業式でその一部を印刷して配布、そのことについてお話をさせていただきました。
3年生しか覚えていないでしょうけれども。
最近、博多の親戚に用事があって、その帰途に大分県日田市の広瀬淡窓先生の私塾咸宜園(かんぎえん)に行って参りました。校長から在校生への語り掛け動画でも淡窓先生のことは紹介してあります。
「人材を教育するのは、善の大なるものなり」とおっしゃっているのです。まったく同感であります。
淡窓先生は、その生涯を通じて、この「善」という言葉に非常にこだわりをみせています。案内所にあったしおりにいろいろなことが書いてありました。むろん関係の書籍もわたくしは集めて拝読させていただきました。
例えば、淡窓先生は『万善簿』というものをつけておられた。その日に行った「善行」と「悪行」を帳面に記載する記録でありました。「善行(善い行い)」と「悪行(悪い行い)」を毎日帳面に記載し、月末になると、その帳面につけた「善行の数」から「悪行の数」を差し引いて集計しておられた。
いわゆる『万善簿』とは、善行から悪行を差し引いた、純粋な善行の数が一万回になるのを目指して行われた淡窓先生独自の業のことであります。常に己の生活を戒めることを忘れなかったのであります。見習いたいことであります。ともすると他者批判ばかりして、自省をすることがおろそかになっていないかと、わたくし自身猛省しなくてはなりません。
淡窓先生を知ったのは次の漢詩からでありました。
休道他郷多苦辛
同袍有友自相親
柴扉暁出霜如雪
君汲川流我拾薪
道[い]うを休[や]めよ
他郷苦辛多しと
同袍[どうほう]友有り
自[おのず]から相い親しむ
柴扉暁に出[い]づれば
霜 雪の如し
君は川流を汲め
我は薪[たきぎ]を拾わん
(訳)
よその地へ来て苦労が多い、などと言ってはいけない。
仲の良い友だちが出来て、親しみ合うではないか。
朝早く、柴の戸を開[あ]けて外へ出ると、雪のように霜が降りている。
さあ、君は川の水を汲んで来たまえ。僕は山で薪を拾って来よう。
塾での共同生活の一コマです。塾生同志の暖かい心の通いが、互いに分担して朝の食事の仕度をする場面であります。学ぶことの厳しさが伝わって参ります。
また、道[い]うを休[や]めよ 他郷苦辛多しと・・・という部分はまったくわたくしの人生の指標でもありましたから。本当に、参上したい史跡でありました。
案内所がありましたので、料金を問うと無料でありました。
そして、案内所におられた謹厳たる古武士のような紳士に案内されて入り口から入りました。
和室で、なんと正座をしてご説明をいただきました。
手には、岩波文庫の「大学・中庸」がありました。
恐縮して、わたくしも正座をしてお話を拝聴いたしました。
いいものです。
こういう古武士のような方から、広瀬淡窓先生のことを聞かせていただくのですから。
私塾咸宜園の教育システムというものをとくと拝聴させていただきました。
また論語について素読を授けていただきました。
わたくしの祖父の読み方とちょっと違っていましたので、妙な顔をしていたのがおわかりになったのでしょう。逆に質問されました。参りました。こういうところで知ったかぶりをしてもなにもなりません。他流試合をしにきたのではありませんから、ね。
日田市の方々は、広瀬淡窓先生を心から尊敬しているのだということが伝わって参りました。世界遺産にもしたいとおっしゃっていました。応援したいものであります。
タクシーを予約してありました。
ドライバーが、「ここの説明をしていた前の人がわたくしの叔父なんですよ」とおっしゃっていました。皆それぞれに広瀬淡窓先生のことを誇りにしているのだと気づかせていただきました。ありがたいものでありました。
歴史と伝統がここにも息づいておりました。
本当に日本という国はいいものであります。教育を大切にしているという点において。
本校も頑張りましょう!
またお目にかかりましょう。
細井平洲先生がわたくしには一番であります。母校をつくってくださった先生でもあります。もっともこちらの方は上杉鷹山ということにもなりましょうか。また、岩波の日本思想大系でもその著作にふれることができます。教育の根本について言われています。
吉田松陰先生にも興味があります。茅屋の和室床の間に先生の掛け軸を掲げております。俊秀松陰先生の心意気を学びたいものであります。
地元では大原幽学先生であります。この方もまたその碩学たるや、雲の上の方であります。
江戸時代の学者は多く私塾を作っておられる。
緒方洪庵先生の適塾も見に行きました。
ここで福沢諭吉先生が学ばれたのは有名な話です。
福翁自伝はなかなか面白い。
2年前に終業式でその一部を印刷して配布、そのことについてお話をさせていただきました。
3年生しか覚えていないでしょうけれども。
最近、博多の親戚に用事があって、その帰途に大分県日田市の広瀬淡窓先生の私塾咸宜園(かんぎえん)に行って参りました。校長から在校生への語り掛け動画でも淡窓先生のことは紹介してあります。
「人材を教育するのは、善の大なるものなり」とおっしゃっているのです。まったく同感であります。
淡窓先生は、その生涯を通じて、この「善」という言葉に非常にこだわりをみせています。案内所にあったしおりにいろいろなことが書いてありました。むろん関係の書籍もわたくしは集めて拝読させていただきました。
例えば、淡窓先生は『万善簿』というものをつけておられた。その日に行った「善行」と「悪行」を帳面に記載する記録でありました。「善行(善い行い)」と「悪行(悪い行い)」を毎日帳面に記載し、月末になると、その帳面につけた「善行の数」から「悪行の数」を差し引いて集計しておられた。
いわゆる『万善簿』とは、善行から悪行を差し引いた、純粋な善行の数が一万回になるのを目指して行われた淡窓先生独自の業のことであります。常に己の生活を戒めることを忘れなかったのであります。見習いたいことであります。ともすると他者批判ばかりして、自省をすることがおろそかになっていないかと、わたくし自身猛省しなくてはなりません。
淡窓先生を知ったのは次の漢詩からでありました。
休道他郷多苦辛
同袍有友自相親
柴扉暁出霜如雪
君汲川流我拾薪
道[い]うを休[や]めよ
他郷苦辛多しと
同袍[どうほう]友有り
自[おのず]から相い親しむ
柴扉暁に出[い]づれば
霜 雪の如し
君は川流を汲め
我は薪[たきぎ]を拾わん
(訳)
よその地へ来て苦労が多い、などと言ってはいけない。
仲の良い友だちが出来て、親しみ合うではないか。
朝早く、柴の戸を開[あ]けて外へ出ると、雪のように霜が降りている。
さあ、君は川の水を汲んで来たまえ。僕は山で薪を拾って来よう。
塾での共同生活の一コマです。塾生同志の暖かい心の通いが、互いに分担して朝の食事の仕度をする場面であります。学ぶことの厳しさが伝わって参ります。
また、道[い]うを休[や]めよ 他郷苦辛多しと・・・という部分はまったくわたくしの人生の指標でもありましたから。本当に、参上したい史跡でありました。
案内所がありましたので、料金を問うと無料でありました。
そして、案内所におられた謹厳たる古武士のような紳士に案内されて入り口から入りました。
和室で、なんと正座をしてご説明をいただきました。
手には、岩波文庫の「大学・中庸」がありました。
恐縮して、わたくしも正座をしてお話を拝聴いたしました。
いいものです。
こういう古武士のような方から、広瀬淡窓先生のことを聞かせていただくのですから。
私塾咸宜園の教育システムというものをとくと拝聴させていただきました。
また論語について素読を授けていただきました。
わたくしの祖父の読み方とちょっと違っていましたので、妙な顔をしていたのがおわかりになったのでしょう。逆に質問されました。参りました。こういうところで知ったかぶりをしてもなにもなりません。他流試合をしにきたのではありませんから、ね。
日田市の方々は、広瀬淡窓先生を心から尊敬しているのだということが伝わって参りました。世界遺産にもしたいとおっしゃっていました。応援したいものであります。
タクシーを予約してありました。
ドライバーが、「ここの説明をしていた前の人がわたくしの叔父なんですよ」とおっしゃっていました。皆それぞれに広瀬淡窓先生のことを誇りにしているのだと気づかせていただきました。ありがたいものでありました。
歴史と伝統がここにも息づいておりました。
本当に日本という国はいいものであります。教育を大切にしているという点において。
本校も頑張りましょう!
またお目にかかりましょう。
先日ある生徒とお話をしておりました。
そして、気が付いたのがTitleのようなことでした。
文武両道とは言いますが、文だけ、武だけでそれでいいのかということであります。なにか物足りないと思ってきました。手段としての文、同じく手段としての武。それでいいのかとずっと思ってきたものです。手段としての、あるいはツールとしての学問や、武道であってはならないのではないかと感じているのです。究極に何があるのかということをもっと考えなくてはならないのではないかと。
プラグマティズムというのもそれはそれで結構でしょうけれども、あまりそちら方面に偏りすぎるといかがなものかと考えています。
明治維新以来、実学教育が流行してきました。それはそれでそれなりの成果もあがったのでありましょう。
それでもなおかつわたくしは物足りない部分を感じてしまいます。
あまりはっきりと言えないのがもどかしいのであります。退職したら、その辺は明確にしていきたいのでありますが、今は封印します。
ツールとしての勉強をして、最終的には人物をつくっていただきたいと本当に思います。幅の広い、大きな展望を持った飛躍することのできる人物になっていただきたいと在校生には切望します。
本校から、世の中の役に立つ有為なる人物が育ってほしいと願っています。
それが可能なような気がしてならないのです。
なぜそう思うか。
ただ単なる進学校ではないと感じるからであります。進学校と言っても全国には名だたる学校がたくさんあって、心から尊敬できる教育を実現している学校もあるからです。反対に最近急激に進学成果をあげてきた進学校で、部活動をやりたいのなら他の高校に行ってくれとのたもう学校もあると聞いたからであります。
オリンピック選手を出している進学校もあるからです。
そういう学校をどう評価するのでありましょうか。
「中庸」がもっとも大切なのではないでしょうか。
中正普遍。
偏りがあっては、総合力としての人間教育にはならないと思うのであります。むろん、現在の本校がそれを実現していると広言するつもりはありません。まだまだ課題もありますから。一歩一歩明日を夢見て努力するしかないのであります。そういう意味で上から目線ではありません。ましてや、進学成果を誇るようなこともできません。そんなことが言える学校は千葉県内でも3本の指しか数えられないでありましょう。
余計なことを書きました。
いつもそうです。本校の将来のことばかり考えています。杞憂かもしれません。それでもわたくしは、本校を永遠の成長路線に載せたいのであります。
力不足はわたくしの方です。
一気に力をつけた全国名だたる学校のように、あるいは明治維新後に急速に力をつけた現在の私立大学が専門学校であった時のような成長路線のコツを知りたいものです。
今日は県民の日で、生徒諸君はまばらでありました。
静寂な校長室でそんなことを考えておりました。
またお目にかかりましょう。
そして、気が付いたのがTitleのようなことでした。
文武両道とは言いますが、文だけ、武だけでそれでいいのかということであります。なにか物足りないと思ってきました。手段としての文、同じく手段としての武。それでいいのかとずっと思ってきたものです。手段としての、あるいはツールとしての学問や、武道であってはならないのではないかと感じているのです。究極に何があるのかということをもっと考えなくてはならないのではないかと。
プラグマティズムというのもそれはそれで結構でしょうけれども、あまりそちら方面に偏りすぎるといかがなものかと考えています。
明治維新以来、実学教育が流行してきました。それはそれでそれなりの成果もあがったのでありましょう。
それでもなおかつわたくしは物足りない部分を感じてしまいます。
あまりはっきりと言えないのがもどかしいのであります。退職したら、その辺は明確にしていきたいのでありますが、今は封印します。
ツールとしての勉強をして、最終的には人物をつくっていただきたいと本当に思います。幅の広い、大きな展望を持った飛躍することのできる人物になっていただきたいと在校生には切望します。
本校から、世の中の役に立つ有為なる人物が育ってほしいと願っています。
それが可能なような気がしてならないのです。
なぜそう思うか。
ただ単なる進学校ではないと感じるからであります。進学校と言っても全国には名だたる学校がたくさんあって、心から尊敬できる教育を実現している学校もあるからです。反対に最近急激に進学成果をあげてきた進学校で、部活動をやりたいのなら他の高校に行ってくれとのたもう学校もあると聞いたからであります。
オリンピック選手を出している進学校もあるからです。
そういう学校をどう評価するのでありましょうか。
「中庸」がもっとも大切なのではないでしょうか。
中正普遍。
偏りがあっては、総合力としての人間教育にはならないと思うのであります。むろん、現在の本校がそれを実現していると広言するつもりはありません。まだまだ課題もありますから。一歩一歩明日を夢見て努力するしかないのであります。そういう意味で上から目線ではありません。ましてや、進学成果を誇るようなこともできません。そんなことが言える学校は千葉県内でも3本の指しか数えられないでありましょう。
余計なことを書きました。
いつもそうです。本校の将来のことばかり考えています。杞憂かもしれません。それでもわたくしは、本校を永遠の成長路線に載せたいのであります。
力不足はわたくしの方です。
一気に力をつけた全国名だたる学校のように、あるいは明治維新後に急速に力をつけた現在の私立大学が専門学校であった時のような成長路線のコツを知りたいものです。
今日は県民の日で、生徒諸君はまばらでありました。
静寂な校長室でそんなことを考えておりました。
またお目にかかりましょう。
再度衣替えをさせていただきます。
結局二週間で元どおりになりました。
(^0^)/
今日は、生徒会役員の在校生と一緒に、本日動画コーナーにアップした「県銚の魅力を語る」というテーマの動画を放課後作成しておりました。簡単なシナリオを作って、共同作業でした。かつて、千葉テレビに出演したことがあったので、作り方は素人ながら知っていましたから。そして、やはり文章のカテゴリーも復活させようと思い直したわけです。シナリオを書いていて、です。しかし、本校の生徒諸君は実にいい。ぶっつけ本番の動画作成でも堂々としている。直前に資料を渡して、ちょっとリハーサルをして、もうそれでOK。生徒とのふれあいも実に楽しい。やはり生徒とのふれあい無くして教員は勤まりません。しみじみと感じました。
そのカテゴリーを「残日録」とします。カウントダウンのつもりです。藤沢周平の影響大であります。もう一つのは、画像・動画主体ですから、こちらは文章主体にします。むろん、中学生や在校生対象のブログですので、語り掛けのつもりです。
わたくしの駄文を可能な限り排除させていただいて、画像主体としておりました。駄文ですから読んでいただいていないのかなと感じておりました。そうしましたら、まことにありがたいことに、復活せよと言われる方が何人かおられました。直接電話もかかって参りました。東北の中学生もおられた。読書感想文で役にたったのだそうです。
それならやりましょうと決意したわけです。
決意は大げさですかな?
そんなたいしたものはやっていないですからね。
正直、わたくしの書庫を造っていましたので、居場所がなく、コンピュータをさわれる立場にありませんでした。困ったものです。機械が無いとなにもできません。
書庫が完成したので、毎日、書庫に入っている書籍を眺めながらうっとりしております。しかし苦労をしました。暫定的に置いてあった和室から運び込むのに難行苦行。雑書(処分した)があったらここには入りきれませんでした。古文漢文、教育書、思想書がわたくしの興味ある分野ですから、もう雑書は要らない。スキーとかの趣味の本も要りません。下手くそなままスキーは生涯スポーツとしてやり続けるでありましょうけれども。同じ趣味でも柔道の本だけは捨てられませんでした。もう誰もやらないのに、です。家人の一人は剣道ですから。柔道だってあと何年やれるのかあやしいものであります。
注文した机がまだ来ていません。これまでは、2メートルの板を使って上板として、脚としてB6情報カード専用のスチール製ロッカーを置いていました。作業台のようでこれはこれでなかなか良かった。周囲にどんなに本を積んでもまったく気にならないのです。しかし、どうしても家人が反対していたのです。みっともないというわけです。ましてや、椅子は結構わたくしのようなものには高かったものですから、よけいつりあいがとれない。とうとう陥落したわけです。映画監督の北野たけし先生もこんなスタイルで勉強されているのですが、ね。
ずいぶん読んできたなぁとしみじみ思っております。質より量を追求してきたのでした。いかんです。雑書と、一冊の古事記では勝負になりません。もうそろそろ質を重視していきたいものです。量で勝負しているようではまことに恥ずかしい限りであります。
だからどうなんだ?と聞かれると「無」としか答えようがないですがね。
まるで禅問答のようではあります。
これからは古典だけを読みたい。
「残日録」です。
もう残された時間はあまりありません。珠玉のような古典と共に老いていきたいものであります。
いろいろな本を読み、感想をポメラというテキスト専門に書くことのできる機械で書いていきたいものです。これはけっこういい。データをさらにアクセスというデータベースソフトで読書録というファイルに落とし込んで使うつもりです。昔から、データベースは好きでしたから。
ご紹介をしていたく方があるからできるわけです。こんなありがたい機械はありません。
ありがたいものであります。
すべての人に感謝です。
こんな懶惰な人間でも、相手していただくだけでありがたいと思わなくてはなりません。
まったくその通りです。
またお目にかかりましょう。
結局二週間で元どおりになりました。
(^0^)/
今日は、生徒会役員の在校生と一緒に、本日動画コーナーにアップした「県銚の魅力を語る」というテーマの動画を放課後作成しておりました。簡単なシナリオを作って、共同作業でした。かつて、千葉テレビに出演したことがあったので、作り方は素人ながら知っていましたから。そして、やはり文章のカテゴリーも復活させようと思い直したわけです。シナリオを書いていて、です。しかし、本校の生徒諸君は実にいい。ぶっつけ本番の動画作成でも堂々としている。直前に資料を渡して、ちょっとリハーサルをして、もうそれでOK。生徒とのふれあいも実に楽しい。やはり生徒とのふれあい無くして教員は勤まりません。しみじみと感じました。
そのカテゴリーを「残日録」とします。カウントダウンのつもりです。藤沢周平の影響大であります。もう一つのは、画像・動画主体ですから、こちらは文章主体にします。むろん、中学生や在校生対象のブログですので、語り掛けのつもりです。
わたくしの駄文を可能な限り排除させていただいて、画像主体としておりました。駄文ですから読んでいただいていないのかなと感じておりました。そうしましたら、まことにありがたいことに、復活せよと言われる方が何人かおられました。直接電話もかかって参りました。東北の中学生もおられた。読書感想文で役にたったのだそうです。
それならやりましょうと決意したわけです。
決意は大げさですかな?
そんなたいしたものはやっていないですからね。
正直、わたくしの書庫を造っていましたので、居場所がなく、コンピュータをさわれる立場にありませんでした。困ったものです。機械が無いとなにもできません。
書庫が完成したので、毎日、書庫に入っている書籍を眺めながらうっとりしております。しかし苦労をしました。暫定的に置いてあった和室から運び込むのに難行苦行。雑書(処分した)があったらここには入りきれませんでした。古文漢文、教育書、思想書がわたくしの興味ある分野ですから、もう雑書は要らない。スキーとかの趣味の本も要りません。下手くそなままスキーは生涯スポーツとしてやり続けるでありましょうけれども。同じ趣味でも柔道の本だけは捨てられませんでした。もう誰もやらないのに、です。家人の一人は剣道ですから。柔道だってあと何年やれるのかあやしいものであります。
注文した机がまだ来ていません。これまでは、2メートルの板を使って上板として、脚としてB6情報カード専用のスチール製ロッカーを置いていました。作業台のようでこれはこれでなかなか良かった。周囲にどんなに本を積んでもまったく気にならないのです。しかし、どうしても家人が反対していたのです。みっともないというわけです。ましてや、椅子は結構わたくしのようなものには高かったものですから、よけいつりあいがとれない。とうとう陥落したわけです。映画監督の北野たけし先生もこんなスタイルで勉強されているのですが、ね。
ずいぶん読んできたなぁとしみじみ思っております。質より量を追求してきたのでした。いかんです。雑書と、一冊の古事記では勝負になりません。もうそろそろ質を重視していきたいものです。量で勝負しているようではまことに恥ずかしい限りであります。
だからどうなんだ?と聞かれると「無」としか答えようがないですがね。
まるで禅問答のようではあります。
これからは古典だけを読みたい。
「残日録」です。
もう残された時間はあまりありません。珠玉のような古典と共に老いていきたいものであります。
いろいろな本を読み、感想をポメラというテキスト専門に書くことのできる機械で書いていきたいものです。これはけっこういい。データをさらにアクセスというデータベースソフトで読書録というファイルに落とし込んで使うつもりです。昔から、データベースは好きでしたから。
ご紹介をしていたく方があるからできるわけです。こんなありがたい機械はありません。
ありがたいものであります。
すべての人に感謝です。
こんな懶惰な人間でも、相手していただくだけでありがたいと思わなくてはなりません。
まったくその通りです。
またお目にかかりましょう。
平成22年6月12日(土)に銚子市内のコミュニティセンターで同窓会総会を行いました。百周年にむけて、いろいろなご協議をいただました。ありがとうございました。
また、千葉科学大学薬学部の准教授田井中幸司先生に「やってみよう!アンチエイジング運動法」というご講演(実技指導を含む)をいただきました。非常にためになるご講演と実際の実技を体験しながらのひとときでありました。感謝いたします。
動画で新校歌を歌われる有志の方々もアップしてあります。
☆情報の教員免許をとるための精錬授業です。高大連携をしてくださっている千葉科学大学の学生です。一生懸命です。
こういう若い学生の授業を見ると実に心がわくわくしてきます。なぜなら、そこには「未来」があります。発想の新鮮さもあります。わたくしのような者にはないものがあります。「学び」があります。「希望」があります。
久しぶりに、いい体験をさせていただきました。
そして、最近の情報教育についての情報収集もさせていただきました。やはり、見ることによって得るものは大きい。エクセルでしたから、体験はしております。最近のわたくしの興味関心はコンピュータによる映像処理一辺倒でありますから、ちょっと分野違いではありましたが。
昨日あたりから、我が茅屋の書庫が完成しましたので、書物を運ぶ作業を開始しました。
天井までの書棚をたくさん作っていただきました。個人全集と、古文漢文を中心に収めるつもりです。
整理が苦手でしたから、やっとここまで辿りつくことができました。
贅沢なものであります。家人に感謝しております。これもわたくし亡き後はどうなるかまったくわからない代物でしかありませんが。それで家でのブログ更新が困難になっておりました。
浪速高校の校長先生が今月いっぱいでブログを閉鎖されてなにか新しいことを始められるそうです。実は楽しみにしております。どんなことをされるのか、ということであります。
ポメラというテキストファイル専門に書けるキーボード付きの機械も買いました。これもまた楽しみであります。早く、マスターしたいと思います。使い方を。
また更新いたします。
↓
進路相談会
↓就職相談会
平成22年6月5日(土)PTA総会と、授業公開をしました。PTAの皆さん、いろいろとありがとうございました。
今日は校長から、ということでちょっと書かせていただきます。やはり書きたい症候群が出て来たようです。ノルマになってはいかんと思って止めたつもりですが、書きたいことが猛烈に出て参ります。それこそ参っています。笑い話のようですが。
最初にご挨拶をさせていただきました。県銚に対する思いを述べさせていただきました。
最初に「学ぶ姿勢」というところから申し上げました。
英単語が覚えられないというのは、果たして先生のせいなのか?ということです。楽して覚えられるワケがありません。自ずからそこには努力があってしかるべきであります。わたくしの在校生への動画メッセージでも「師資相承」と言っておりますが、先生からの情報をインプットして「蔵」しなければなりません。それには努力です。
米沢東高校のことも申し上げました。本校と同じ、旧制女学校。5クラスで共学化した学校です。昨年の国公立進学が61名。地域的にも本校と全く同じです。すぐそばに進学トップ高校があります。真似たいことです。実にうらやましいことです。
それは、図書館での出来事から考えさせられたことであります。本をお借りしようとして、生徒から「どちら様ですか、先生ですか」と聞かれたことからスタートしております。なんという情けない校長なのだろうかという自省の思いからスタートしているということです。存在感がない。わたくし自身に。なにがアイデンティティだろうかと自嘲しました。
ですから独自性を確立したいのです。
県銚を覚えてもらうために、考えられる範囲で広報を盛んにしていきたいと思っています。
覚えられる学校になりたいものです。
行きたい学校になりたいものです。
駄文を書かないようにしようと思いましたが、今日は駄目でありました。書きたいときは書かせていただきます。効果があるかどうかは別として。
ではまた来週!
しばらく更新できませんが。
2010年05月28日(金)行われました。
楽しそうな笑顔をごらんください。
生徒諸君に語りかける校長
確か、自分の骨折の話をしていました。