今日は、広瀬淡窓先生の詩を使って、プレゼンテーションソフトで授業をやった場合という想定で教材を作っておりました。
時間にして、2時間で作ってしまったから、ちょっといただけない。後で、検証しますが。むろんそういうことでメールで検証の依頼もしました。
なぜか。
相手が小学生だからです。
実態把握ということは、授業の本質であります。
レベルの問題ではありません。
そのことに触れない授業者はアマチュアであります。
これまで何度か自分の学校以外で授業をやってきたからこそ、身にしみているのです。
ですから、授業の怖さも身にしみています。
成功するかどうかは、まさに実態把握にかかっているからです。
なかなか難しいものです。
テクニックならある程度の経験年数を重ねれば修得可能です。教育法則化という手法論もあります。これひとつマスターするのも、実に大変でしたが。
なぜそういうことを言うかというと、実態は毎年違ってくるからです。
ま、これくらいにしましょう。
当ブログでは、政治と思想信条、経済、宗教、時代性についてはあえて何も発言しておりません。その気もありません。私学では無いのですから。
今日は、たいへん楽しい経験をさせていただきました。
本校の新進気鋭の若手講師の先生と、校長室でちょっと話をさせていただいておりました。
先生の、大学時代の研究論文を見せていただいていたのです。
東北の民俗学にもとづいた、研究論文集であります。
これは楽しい。
國學院大學の教授をなされた折口信夫先生という碩学がおられます。
全集を徹底的に読ませていただきました。金も無いので、文庫本全集です。それでも、ノートを徹底的にとって楽しんでおりました。そして、とうとうその方面の学問をされた先生と同僚になったわけです。これはうれしい。
学校の教師を長いことさせていただいておると、いろいろなご専門の先生がたと接することができて、これは実に楽しい。柔道のご専門の先生とも楽しい会話をさせていただいておりますが、まことに残念ながら本校に柔道のご専門の先生がおられない。これはちょっと寂しい。ですから、校長先生で柔道専門の先生とはこれまた味わいのあるおつきあいが可能になります。旅もいっしょにさせていただき、たまには講道館での修行について、斗酒なお辞せずばかりに、まるで李白を気取っておつきあいをさせていただいております。本心で、実に得るところが多い。
こういうのを人材に学ぶというのでしょう。
自分だけ知識人のような錯覚に陥ってはなりませぬぞ。ソクラテスの言ったことはまさにこれであります。自分より優れた人はゴマンとおられる。他者批判ばかりして、まるで他人を見下しているようでは、成長はないのであります。批判が好きな方は、ご自分が批判されると実にもろいですからね。
トランスパーソナル心理学で一本レポートを仕上げました。これでまたまた勉強になりました。まだまだ知らないことがたくさんあります。
さらに今日は資料を読むのに四苦八苦。倫理学まで手を広げていますから。倫理学のレポートで全面的な書き直しを師匠に命じられているからです。高校にも道徳教育が導入されます。それには倫理学が必須になります。それの理解なしに教育課程は組めないからです。ヤスパース理解にちょっと問題がありました。資料を再度読み直して、齟齬を訂正するわけです。こういうのが実に楽しい。錯覚かもしれませんが、学問をさせていただいておるような気がしてきます。当然、論理学も必須です。だんだん、哲学徒のようになってきました。幼少期からの憧れの分野です。本当に哲学科に進学したかったからです。
それが不可能でした。親の理解と金が無かった。苦学せざるを得ませんでした。
退職したら、今度こそ自分のやりたい学問をさせていただきたいものであります。でないと死んでも死にきれません。自学自習でチャレンジです。
夢見る老年、ここにありであります。
在校生諸君!
こんなわたくしでも、資料読み、レポート書きで多忙なのです。つまらんことで、時間つぶしをしていては、それこそもったいないですよ。保護者の尊いご支援で働かなくても勉強できるというしあわせをかみしめてください。生活費も、学費も自分で稼いでいたわたくしに比べれば、100倍も幸せです。感謝して勉強させていただきましょう。
また、小言になってしまいました。
明後日またお会いしましょう。
お休みなさいませ。