と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

10月18日(火)のつぶやき

2011年10月19日 01時12分57秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
21:29 from gooBlog production
心友、真友について #goo_kencho943 http://t.co/ftubpb6p
21:40 from web
今日は以前から欲しかったT女史の著書を古書店で購入しました。250円でありました。N大学の哲学科卒の女史で、なかなかの本。そして、申し訳無かったのですが、ジムで読み始めました。堅い本ですから、こちらは読了できず。しかし、ある意味わたくしの原点を確認してしまいました。
21:42 from web
学びをスタートさせた時のことを思い出しました。最近は、情報カードも、ノートの取り方もどんどん若いときのスタイルに戻っているような気がしてなりません。朝早く起きて読書し始めましたし。
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心友、真友について

2011年10月18日 21時29分21秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・順調に中間試験が推移しております。いいものであります。在校生諸君が真剣に学習に取り組んでいます。こういう姿を見ると、自分もまた努力せにゃいかんと思います。若人に学ぶことが、なんともいい気分になります。

・今日は、香取郡の中学校様にちょっと伺いました。来年度以降のことについて説明を申し上げなくてはならないことが今年はありますので。

・ある中学校の校長先生に言われました。自分で説明にいった方がいいとアドバイスを受けたからです。なるほど、なるほどでありました。

・いつもわたくしには、こうやって貴重なアドバイスをくださる方々が必ずおられる。ありがたいかぎりであります。日頃からの交流の結果でありましょう。

・しかし、今日は参りました。わたくしの古いクルマのナビが、道に迷ってしまったのです。これじゃぁナビの役にたたないではないかと思いましたが、これもまたわたしと一緒でくたびれてきたのでありましょう。ナビに苦笑してしまいました。疲れたのかい?というわけです。

・先生方との面接も平行して行っておりますから、中学校様に伺うのもまた時間的にたいへん厳しいものがあります。

・しかも、わたくしはどんなに多忙でも顔にでることがあまりありません。さらに、仕事が非常にスピーディですから、いわゆる先取り主義であります。どんどん仕事をこなしていかないと、追いつかないからです。

・多忙を言い訳にしてはならんと思っています。忙しいから、あれもこれもできなかったというのでは、就職してから困りますぞ。これだけは在校生諸君に申し上げておきたい。



・そして、群れないことであります。利害関係のからむ小さな集団で生き馬の目を抜くような生き方をしたって、所詮器は小さいのであります。そんなのよりも、異質な方々に学ぶ方がよろしいのです。もっとも、受験勉強しかしたことのない人間にそれを言っても無駄でありましょうけれども。ですから、今は受験勉強に徹底して、そこから器を大きくするための学びに変更されていった方がよろしいと、わたくしは思っているのです。

・18歳の大学受験年齢で勉強を修了させてはならないのです。一生勉強ですよ、ほんとうに。

・知人で、50代の方が天下のW大学の政経学部に社会人編入学をされた方がおられます。たいしたものであります。こういう方の学びもまたすばらしいものであります。

・どこまで続くぞ、大草原の道であります。かえって、先が見えないだけに楽しいものであります。何かになってやろうという計算・打算が無いからであります。そういう***根性というモノからは無縁でありたいと思ってきましたから。

・学んだことを、駄文であっても小論文にしたり、レポートを書いたりしていると、頭がすっきりしてきます。これこそ生きている甲斐があるというものであります。そして学びの仲間ができていきます。心友、真友とでも書くべき生涯の友であります。メリット、デメリットで人間関係を計算することが無いからであります。

・テスト勉強はかどっていますか?

・がんばりなさいませ。

・また明日!


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10月17日(月)のつぶやき

2011年10月18日 01時12分31秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

21:26 from goo
今日一日を振り返り #goo_kencho943 http://t.co/NC67Zx5u
21:45 from web
考えることは自由ですが、書くことは不自由ですねぇ。まったくそう思います。
21:46 from web
来年の楽しみにとっておきましょう。ノートの落書きのようなものですが、愚生のでは。
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今日一日を振り返り

2011年10月17日 21時33分32秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・今日から中間テストです。柔道で言えば、普段の稽古で鍛えた知識・技を試すようなものです。

・今日のできはどうでしたか。あまりふるわなかった生徒も、頑張りましょう。今晩が勝負です。もっとも普段からの鍛錬がものをいうのでしょうけれども。良かった生徒は、油断せずますます奮闘されたい。それが学生の義務であります。

・間をぬって、先生方と面接を開始しております。年、3回やることになっております。その2回目。授業のことを中心にいろいろなことをお話させていただいております。その内容については絶対に書けませんが、こうした対話の姿勢が重要であります。

・ですから、在校生諸君は、コミュニケーションというか、対話というものを大事にしていっていただきたいと切に思っているのです。人間関係があるから、学ぶことができるのです。それを唯我独尊。我一人エライというんでは、これはいかがなものか。



・市役所の職員から、哲学者になった小川仁志先生の書籍『市役所の小川さん、哲学者になる 転身力』(海竜社)という本を一昨日読了しました。古本チェーンで105円で売っていたのでした。誰にも買われないでじっとしていたらかわいそうですから、買いました。こういう大型店に行くと、本の方から訴えてきます。・・・・読んで・・・・というような具合です。

・実はジムで読了してしまったのです。家に帰れば、愚生本来の専門分野の読書がありますから、こういうハウツー本は自転車をこぎながらトレーニングできる時に、同時に読み始めるのが一番いい。時間の節約と、むろん体力養成にもなる。一挙両得ということです。

・で、何を言いたいかというと、哲学者小川先生は、働きながら哲学博士になったことを紹介したいからであります。先生は、商社マンから、司法試験目指してのフリーター生活を経て(弁護士にはなれなかった)、市役所の職員と遍歴されている間に、ある大学の大学院の修士課程に32歳で社会人入学を果たして、そのまま5年間で博士を取得してしまったのです。「生涯学習」ではなく「生涯研究」だと言われておりましたが、見事なものであります。

・ブログを拝見したら、高専の准教授をなさってから、現在はアメリカの大学にて、研究生活を送っておられるようであります。

・もっと見事なのが、仕事をきっちりこなされながら、ヘーゲルの研究をなさったことであります。

・原典購読が最も困難なヘーゲルを研究なさったというそのことだけで愚生などは感動してしまいます。どれだけ困難な研究であるか、はかりしれないからであります。

・勉強法も実に参考になります。「図解」をなさって、難解な哲学書にはチャレンジしていったのだそうです。ある意味、マインドマップ法にも通じます。

・また、15分単位で、ぱっぱぱっぱと切り替えて、多様な分野の書物を読まれたそうです。社会人ですから、夜しか勉強できません。昼は会議や、日常業務がある。ですから土・日もずっと図書館にいる。

・研究者というのは、論文書きをするのが最も基本的なスキルですから、それが嫌なら研究者という看板をおろすしかない。そんなことも言われておりました。

・なかなかの人物であります。非常に参考になりました。





・今日はある方のお見舞いに病院に行っておりました。お見舞いが終わってから、エレベーターに乗って降りてこようと思いましたら、なんと懐かしいことに、柔道部で共に稽古をさせていただいた女子の県チャンピオンと一緒になりました。要するに教え子なんですが、すっかりいい母親になっておりました。実になつかしい。なつかしついでに、投げ飛ばされそうになりましたが、そこはそこ。老いたりといえども、まだ反射神経はある。(^0^)/

・まともに生きている方は実にすばらしいものであります。柔道の教え子然り。働きながら哲学の学者になられた小川仁志先生然り。そこには一生懸命何事かに取り組まれた方々の「精神」がある。

・なんでもかんでも人のせいにして、迷惑をかけて、それでもオイラが一番、アンタが二番などとうそぶいているようではいかんということです。唯我独尊の姿勢からは、なにもうまれない。そんなふうに思ってきたからです。


・中間試験、がんばってください。

・また明日!


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10月14日(金)のつぶやき

2011年10月15日 01時17分55秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
21:01 from goo
言葉とわかるということ #goo_kencho943 http://t.co/VGNAfoca
23:39 from web
今日も仕事三昧でありました。しかしです。仕事をすればするほど健康になっていくような気がします。怠けていたら、だんだん駄目になるような気がします。ホントウに。これって、若いときからのポリシーですがね。
23:42 from web
それに他人にケチをつけるような心は、卑怯でありまする。利己主義の固まりでありますから。利己主義は、人を貶めなければならんという錯覚におちいっています。相手の得点にケチをつけようと思い始めたら、もうそれで人間は終わり。
23:44 from web
人の魂を傷つけてはならんのであります。ナイフを突きつけてはならんのであります。人を妬んではならんのであります。
23:47 from web
働けば働くほど、人間は生き生きとする。生き生きとしていると明るくなる。明るくなれば人間は伸びます。能力も、人間性も。仕事は重荷ではありません。学生にとって、自分が成長するのが、仕事であります。だから、時間を有効に使って勉強することです。勉強すればするほど、自分の能力が太る。
23:49 from web
こんな愚生でも勉強させていただいております。ですから頑張りなさいませと常時言っているのですよ。
23:50 from web
県立銚子はそれだけの伸びしろがあります。伸びしろがあるということは、工夫次第でなんとでも成長するんであります。頑張りなさいませ。ホントウにそう思います。この土日を有効活用することです。
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言葉と「わかる」ということ

2011年10月14日 21時00分51秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・諸君たちは、今、この記事を見ている。しかしです。どうして、愚生のこのつまらない文章を見て、意味がわかるんでしょうか?もっと言えば、言葉を読むという行為から、なぜその意味がわかるんでしょうか。疑問に思ったことはありませんか?


・僕の、わたしの母親なんか何を言っても通じません。いつも叱り飛ばされます。そんなつぶやきも聞こえそうです。ま、保護者は心配だから小言を言うのであって、それはそれで別世界の話です。


・しかし、小言をいう保護者にも、言葉は通じているのであって、その証拠に「バカなことばかり言ってないで、勉強しなさい」という反応が返ってくるでしょう?


・難しい本を読んでいるとき、あるいは、大秀才のお話をお聞きしているときは、不勉強の愚生にはなにをおっしゃっているのかさっぱりわからない時があります。それでも、「わからない」ということは、「わかる」わけです。ここのところが言語というもののおもしろさであります。


・自分がわかっていないということだけは、わかるわけです。だから、言葉の意味がわかるということはどういうことなんでしょうか?


・たとえば、「あなたの目の前にいるのは、とやまひでおです」という文章がなぜわかるのでしょうか。昔から知っているから?違います。本校に入学してきて、初めて愚生に会ったから、とやまひでおが校長だとわかるわけです。もっとも、たいへんありがたいことに、入学前から愚生のことを知っている新入生が出てきたことには感謝感激。ことしの入学式でも「きゃ!ほんものの校長先生だ」と。ブログのファンだったという生徒がいたのはこっちがびっくりしましたが。ありがたいことです。実にありがたい。


・赤ちゃんの時は、周囲に教えられながら、「あれはワンワンじゃなくて犬というのよ」「あれはぶーぶーではなくて、自動車というのよ」と教えられたから、犬とか自動車とか覚えていくわけであります。ここが実に面白いのであります。


・言葉は、だから私より先にあるのかもしれません。しかしです。言葉よりも先にあるのはモノではないかと思う人もいるかもしれません。


・このことの疑問は実は大問題であります。これだけを追求していけば博士にもなれますでしょう。


・回答は留保するとして、それでも、あのわんわんという動物を「犬」というように決めたのは誰なんでしょうか。太古の人が、みんなで決めたんでしょうかねぇ。


・犬は、大きいのもいるし、白や黒のもいるし、違いは明らかなのに、なぜ犬というんですかね。辞書を引いてもこれは解決しません。説明は、辞書ですからいろいろ書いてあります。しかし、全部納得できないのです。愚生には。


・さらに、「犬」という言葉でもって、実際は目の前にいないのに、なぜ犬という姿・かたちを思い浮かべられるのでしょうか。言葉というのは、目の前に見えない事象でも、思い浮かべられるということで、非常に面白い存在であるということが、これでおわかりいただけたかと思いますが、いかがでしょうか?つまり意味の世界って、この現実の世界には存在していないかもしれないということなんです。


・こんなことを考えることもまた学問の世界であります。


・特に3年生。いろいろと考えていただきたいものであります。力のかぎり、考え、思考し、ため込んだ知識を演習でためし、思い切り高校生活をエンジョイしていただきたいと思います。




・また来週!明日から、図書館に入り浸りですから。原稿を書かなくてはなりません。焦っていますです。(^-^)/


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10月13日(木)のつぶやき

2011年10月14日 01時28分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
22:19 from goo
ツール、ネット、メディア、古典 #goo_kencho943 http://t.co/WnKCnWAR
22:29 from web
今日は千葉市に呼び出されまして出かけておりました。4時から職員会議がありましたから、とんぼ返り。在校生諸君の顔を見ないと落ち着きません。すっかりそういうタイプの人間になってしまいました。37年もやっていますからね。誇りに思います。本当に。
22:31 from web
とても嬉しいことがありましたので、余韻に浸っておりました。こういうときもあっていいのでありましょう。自分だけの世界ですがね。
22:34 from web
まだその理由は発表できませんが、これで私の広報活動がさらにヒートアップすることは間違いないでありましょう。今日のブログの記事ではありませんが、動画にも再挑戦します。さらに先生方にこれまで撮りためてきた授業風景を個々人にDVDで差し上げることもやります。ささやかなことでありますが。
22:35 from web
県立銚子は、まだまだ伸びしろがあります。これからの学校でもあります。楽しみです。
23:35 from web
広報という言葉、実はあまり好きではないのです。
23:36 from web
公教育の人間ですから、そこのところがネックです。
23:36 from web
本当は自由自在にいろいろ書いてみたいのですが、ね。無理でしょうけど。
23:38 from web
今日は嬉しいことがあったので、論文はちょっとしか書けませんでした。間で、Twitterやブログを書いていたような気がする。ま、明日も千葉市の本山に呼ばれていますから、電車でポメラを片手に論文書きです。これしかできんのですから、仕方なし。
23:40 from web
それでも、論文の字数2万字になってきました。ばしばしやるしかない。
23:42 from web
それにつけても木村智彦先生がうらやましい。民間人校長のはしりの方で、現在大阪國學院の理事長・校長先生であらせられる。スーパー校長先生です。
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ツール、ネット、メディア、古典

2011年10月13日 22時23分13秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・ニュースは新聞で知りますか?それともテレビですか?あるいは、ネットですか?

・生まれた時から、テレビを見て育った在校生諸君にあえて問いたいのです。どういう基準でそういうものを選択しているのですか?と。

・情報収集のためになにかをツールとして選んで、いろいろやっているのかもしれません。しかし、そもそも情報収集とは「なんのために」やっているのですか?

・大人なら、働くために、あるいは会社のため、メリットのため・・・・・・といろいろと回答を用意できるものなのでありましょう。しかし、その肝心な大人でも「情報収集はなんのために」という根本的な問いにはどう答えるのでありましょうか。

・また、ちまたにあふれる情報には、ホンモノとそうでないものとがあると言われる識者もおられる。

・はたしてそうでしょうか。確かに、ホンモノと嘘はあり得るでありましょう。しかし、それは一流新聞が言ったから、あるいはテレビの画面で言ったから正しいとは限らないかもしれません。

・自分で考えることの必然性がここから出てまいります。真実か、そうでないかということは、外から与えられて知るものではないからであるというのが、愚生の用意した回答であります。

・自ら考えて知ることが、「知る」ということの本当の意味でありましょう。情報を持っているだけでは、「知る」ことにはなりません。かつて、データベースソフトで、何万枚の京大式情報カードをコンピュータに移行して自画自賛しておりましたが、あれは「知る」ことの行為にはまったくつながっておりませんでした。

・正しく生きるとはどういうことか、生きているとはどういうことか、なんのために生きているのかということは、ネットや新聞には書いておりませんでした。愚生の乏しい経験では。たまには、それらしきことも書いてあることがありましたが、それは自分で考えていないということから「ただの情報」でしかない。ただの情報から自分の血肉となっている「知」とするためには、「自分で考える」ことを経由しないとなりません。

・何を何のために知りたいのかということを抜きにすると、手段ばかり追いかけてしまって、本末転倒の人生を送ってしまいがちになります。手段の目的化ということになってはならんのですぞ。

・仕事をするために生きているのか、生きるために仕事をしているのか。そうしたことの考察なくして、うかうかと齢を重ねてはいけません。

・ネットも電話も、むろん携帯もなかった時代から人類は、生まれて生きていろいろ苦しんで、喜んで、そして役割を果たして亡くなっていったのです。それを繰り返してきたのです。

・多くの古典は、そこのところをずっと追求してきています。「何のために生きていくのか」ということについて、古代から幾多の賢人達が考え抜いています。

・だから言葉を学ぶことが、あるいは古典を学ぶことが大切になるわけであります。

・一昨日、海上中学校にお伺いしたときに、校長先生から学校だよりをいただきました。そこには、「中学生のみなさんへ」と題して「読書の勧め」の欄がありました。すばらしい古典がたくさんありました。ドストエフスキーまであった。うなりました。すばらしい試みをなされています。

・自分で考えることを実現していただきたいものであります。4年前拙ブログを立ち上げた時に、秋田県の中学生からドストエフスキーについてメールで質問を受けたときがありました。

・そんなことを思い出しました。もう大学生にでもなっておられるのでしょうか・・・・

・いいものであります。実にこれからの世代は。

・また明日!


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10月12日(水)のつぶやき

2011年10月13日 01時15分34秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
21:49 from goo
中間試験に思う #goo_kencho943 http://t.co/x7GU5ic8
22:07 from web
ジムに行ってきて、夕食をいただきました。そして、レポートの下書きを。なかなか進まない。ブログの記事も書いていますし。あああああ、才能が欲しい。
22:08 from web
生徒も中間試験で頑張っているんだし、愚生もやるしかないですね。
22:10 from web
今日から、各中学校に先生方が説明に行っています。ありがたきかな。本当に、ありがたいものであります。
22:12 from web
レポートを書くのにちょっと工夫をしています。構成をちょこっと図解して、マインドマップ法でまとめると、書き過ぎになるくらい、順調にいきます。これも今日の新発見。
22:12 from web
さ、、、、これからもうひと踏ん張りです。
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中間試験に思う

2011年10月12日 21時49分29秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・中間試験前ですから、生徒諸君は学問オンリーの生活を送っています。これが最も尊い。なんだかんだ言っても、学生は勉強中心であります。健康で無いと困難が多いのと同じで、勉強は頭脳をリフレッシュする。頭脳が活性化しないと、知的活動に衰えがくる。愚生のように、もともと馬力の小さい頭脳だと、そこはそれで努力でカバーするしかないのであります。理論から、ワークへ。これであります。行動です。実際の経験です。

・若いうちはなかなか気がつかなかったのですが、自分の専門に閉じこもっていると知らず知らず凝り固まってくる。安住するからです。だいいち、その方が楽だからです。そうすると体の柔軟性を失ってしまいます。避けるべきでありましょう。確かに、我が茅屋にある書庫の古ぼけた書籍を見ていると、新規に異分野に挑戦するのは面倒になってくることは正直感じます。

・しかしながら、エビのように柔軟に絶えざる挑戦をしていくことがもっとも大事なようだと感じてきました。この年になってやっと気がついてきました。

・今日も、ある先生とお話をさせていただきました。ご専門の学問などについていろいろとお話をしていただきました。大学院での勉強ぶりも実に興味深いものがあるからです。ほんとうに親切な先生であります。

・年齢とか、経験とかそういうものは愚生は気にしません。優れた方には年齢の区別はないのであります。ありがたいものであります。教えてくださるだけ、愚生には幸運の時間が招来する。

・ですから一人でうぬぼれていると、誰もクチもきいてくれません。相手を大事にしながら、教えていただくことであります。先生との関係もそうであります。「乞う」のであります。教えをいだたくのであります。その姿勢がなくてはなりませぬ。自己を高めるためにです。先生との関係においてこそ、得るものがある。それを偉そうに教えてくれるのが当たり前だと思っていてはならんのです。

・そのような時間を過ごしていると、あるときはっと気がつくことがあります。インスピレーションというものです。

・実は、愚生の還暦以後の学問探究もこうした人との対話から生まれたものであります。はっと気がつく。気づかせていただくわけです。自分は本当にこれをやってみたかったのだとか、これからも探究をしていかなくてはならんのだと思うわけであります。

・灘高校の名物先生が、3年間で「銀の匙」一冊を読解していたということを時々マスコミが取り上げます。いいか悪いかは別として、あれは自己探究のツールであったから成功したのであって、探究をしようとしない輩ではいかんのであります。もっとも公立学校は不可能であります。理由は、言わずもがなであります。法規がありますから。

・「対話」ということを楽しまなくてはなりません。ソクラテスの言ったとおりです。対話から学ぶことは実に多い。

・最初から相手を否定して、関係性を拒否していると成長はない。相手から学ぶという姿勢がないと、対話は成立しないのです。一見、雑談のように見えるかもしれないそうしたひとときを、愚生はもっとも大事にします。

・観念を固定化して人を見ないことであります。固定化は柔軟性を奪う。決してエビにはなれない。

・さぁ、基礎力養成のために、今夜も勉強です。

・頑張れ、頑張れ!


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10月11日(火)のつぶやき

2011年10月12日 01時16分30秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
21:18 from web
今日は中学校へ。いろいろとお話をさせていただいておりました。なかなか参考になることばかりお聞きしました。愚生は、中学校から教師生活をスタートして8年もおりましたので、ホンモノの教育そのものを経験させていただきました。感謝のみあります。本当に、そうです。
21:21 from web
アマチュアの教師であってはならんのです。それを一丁前に、うぬぼれておりました。20代のころであります。まさにアマチュアでありました。それ以来、なんとかプロの教師を目指してきました。しかし、辿り来てまだまだ山の麓であったようです。
21:24 from web
これは愚生の専門分野であってもそうでありました。ですから、次年度以降は、再び学びの時を過ごしたいものであります。一人前になったという自覚はとうとう一生持てないようであります。死生学を基盤とした、日本古典を学んでみたいものであります。どこまでできるか怪しいですが。
21:28 from goo
ことばの持つ雰囲気 #goo_kencho943 http://t.co/16L6rxQg
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ことばの持つ雰囲気

2011年10月11日 22時43分55秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


いい雰囲気であります



蕪村の句「秋のくれ 仏に化ける 狸かな」・・・・・・なかなかであります。


人間にも狸に化けるのいますかな・・・・・・仏様では無理でしょうから(^0^)/




大震災で石が落下したんでしょうか・・・・・いたましいことであります


 


 


・このところ、私的に多忙でありました。というよりも、現在進行形でありますが、なかなか人生でも何度もない体験をさせていただいております。


・そこで、この休日は茨城におりました。ビジネスホテルに宿泊して実に細々としたことをやっておりました。


・否、書きたいことはそんなことではなく、地域によってこんなにもことばの持つ雰囲気が違っているのかということであります。茨城のことばは実に語調がやわらかく、イントネーションも美しい。京言葉のようでありました。


・なぜか。ずっとそれを考えております。


・特にU市には、U一族がいたのだそうですが、調べれば調べるほど、この地の平安時代から戦国、江戸時代の歴史はおもしろいものであります。いろいろなことを地元の人からお聞きして、非常に興味を持ってしまいました。


・昨日の朝は、5時に起きて、ジャージに着替えてU市の街並みをウオーキングしました。朝の空気もおいしい。そして、愚生はマップを片手に約6キロの歴史散策を試みました。


・U市と関わりの深い初代のお殿様をまつる寺院に最初に行きました。途中、道に迷ったことに気がつきましたので、杖をついた先輩に道をお聞きしたら、耳もお丈夫ではっきりと教えてくださいました。親切なものであります。そして、ここでまたこの地区独特のやわらかい語調をお聞きして、いいものだなぁと思ったのです。


・愚生はけっして人のことをどうのこうの言えた語調を持ち合わせていません。低音で、あまり品性がよくない声であります。恥ずべきは自分自身であります。応援団で、柔道部でいわゆる気合いの入ったことばばかりを使ってきました。生涯の悔いであります。


・つまり、ことばは品性を現すということを最も言いたいのであります。反省の意味を込めて。




・「即答するバカ」という本があります。梶原しげる先生の新潮新書であります。この本は実にためになる。付箋もつけて、ぼろぼろです。なんと言っても愚生は、ハイスピードの即答するタイプでありますから。ちょっとした物言いということが大切なんであります。即答する前にちょっと考えればいいのであって、これは速射砲のように質問する方々にも当てはまります。よく考えもしないで、バリバリ・ギャンギャン質問機関銃を撃ってはいかんのです。声がでかいと、全く逆効果。いかに品性が無いかを自分で周囲に恥さらし銃弾を撃っているようなものであります。ある意味即質問する・・・・と言い換えてもよろしいんではないですかな。


・常にことばと密接にからむのが、概念規定であります。これはあなどれません。概念規定無しの発言は、その人の品性ばかりか、能力まで正直に表明いたします。


・しかも、聞き手が分析上手ですと、実に困ったことになる。愚生の経験上。


・自慢話もほどほどにしておいた方がよろしい。母校自慢ばかりしていると、それは相対比較のレベルでしかないのですから、けっして図に乗って自慢してはならんのです。県立銚子はまだまだ発展途上。自慢するのはまだまだ早い。そういう話は聞いていて、笑っている人の方が多く、たいていは嘲笑されていると思っていたほうが安全です。謙虚に生きることは、そういうプラス面もあるんです。相対比較のレベルということは、もっともっとレベルの高い人、組織、成果等々が世の中には充満しているということですから。


・最近、拙ブログのアクセスを解析していますと、どうも写真ばかり載せていたら、敬遠されてきたようであります。写真ですと、本校関係者や生徒自身しか興味が無いというご指摘もいただきました。たまには、文章ばかりの記事もあってよいのかもしれません。観念を固定することが、タブーでありますからね、愚生にとっては。


 


・また明日!


 




 






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10月7日(金)のつぶやき

2011年10月08日 01時14分43秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
22:54 from web
人間に対する信頼。これなくして、人間学を教える教育学なし。
22:55 from web
根本になにがあるのか、そういうことを問題にしたいものであります。
22:57 from web
今日はいろいろとご指導をいただき、感謝です。
22:59 from web
指導、指導されている人間関係こそ、ホンモノであります。
23:00 from web
愚生なぞ、そういうことであります。
23:01 from web
あまりご理解いただけないでしょうが・・・・・・・・・
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英語スピーチコンテスト千葉科学大学会場

2011年10月07日 20時40分40秒 | 先公ごっこ2008年から2012年













・本日千葉科学大学様から英語スピーチコンテストの時に、写真を撮影していただいておって、そのデータをいただきました。


・実施日は、10月の5日でした。写真のようなすてきな教室でありました。


・ありがとうございました。ほんとうにいろいろな面でお世話になっております。感謝させていただいております。


・この後、すぐ千葉市に出かけなくてはならず、生徒諸君のスピーチを拝聴するすべがありませんでした。残念無念でありました。










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平成23年10月7日(金)の授業

2011年10月07日 18時17分30秒 | 先公ごっこ2008年から2012年







※今日のいきもの・・・・チョウチョ?






・今日は、3年生英語の授業でありました。なかなか落ち着いたいい雰囲気でありました。こんな風に我が県立銚子では授業が展開されております。


・これもひとえに、先生方の頑張りに負うところが大きいと、最近のわたくしは感謝ばかりしております。ま、あからさまに合掌などしていると誤解されます(なんと言ってもこの頭ですから)のでやりませんが、心底はそういうことです。そういうこと。


・むろん、在校生諸君にもです。すばらしい生徒に恵まれました。こころからそう思っています。


・なんと言っても、「銚子は学問の街」でありますから。大学もある。スーパー進学校もある。ほんとうにすばらしい街であります。


・気候温暖で、過ごしやすい。食事もおいしい。人情もある。・・・・・自画自賛と言われても、本当にそう思っています。


・また来週!




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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/