河童へプレゼントの話の続きです。
今度はキュウリの立場に立って(?)考察してみました。
キュウリの1番果は、
株が十分成長していないときにつけた実です。
端的に言うと、大人でないときに実った実です。
その為、子孫本能に力が入っていません。
1番果を仮に収穫せずに置いておくと、
1番果に栄養が流れてしまい、
株は十分成長しません。
また、1番果から
とれるタネはいいものが出来ません。
自家採種して、翌年そのタネを播いても、
まともに育ちません。
1番果ができるということは、
これからキュウリにとって長い正念場、クライマックスなわけです。
これから長い期間にわたり、雨にさらされながら、風にさらされながら、
沢山実をつけていきます。
言い換えれば、1番果ができるということは、
80%の確率でこれから実をつけてくれることのバロメーター
でもあります。
一般的に窒素が多すぎると
1番果がならず、いつまで経っても実が出来ない、
いわゆる「つるぼけ」になります。
キュウリはまだしも、スイカやメロンの場合それが顕著です。
川に流して河童にプレゼント。
自然への感謝としての河童への合図でもあるでしょう。
そして、お天道様に
「ええキュウリが獲れますように…」
「キュウリが無事に育ちますように…」という、
農家さんの切実な(?)願いでもあるのでしょう。
今度はキュウリの立場に立って(?)考察してみました。
キュウリの1番果は、
株が十分成長していないときにつけた実です。
端的に言うと、大人でないときに実った実です。
その為、子孫本能に力が入っていません。
1番果を仮に収穫せずに置いておくと、
1番果に栄養が流れてしまい、
株は十分成長しません。
また、1番果から
とれるタネはいいものが出来ません。
自家採種して、翌年そのタネを播いても、
まともに育ちません。
1番果ができるということは、
これからキュウリにとって長い正念場、クライマックスなわけです。
これから長い期間にわたり、雨にさらされながら、風にさらされながら、
沢山実をつけていきます。
言い換えれば、1番果ができるということは、
80%の確率でこれから実をつけてくれることのバロメーター
でもあります。
一般的に窒素が多すぎると
1番果がならず、いつまで経っても実が出来ない、
いわゆる「つるぼけ」になります。
キュウリはまだしも、スイカやメロンの場合それが顕著です。
川に流して河童にプレゼント。
自然への感謝としての河童への合図でもあるでしょう。
そして、お天道様に
「ええキュウリが獲れますように…」
「キュウリが無事に育ちますように…」という、
農家さんの切実な(?)願いでもあるのでしょう。
先日、ボクは夏野菜の手入れをしていたら、
隣のおばちゃんが、
「あんたとこのキュウリ出来た(実った)か?」
と、尋ねてくれました。
このおばちゃん、御歳80歳を過ぎます。
未だに現役!スクーターで街を走ってます。
快く、畑においでということで、キュウリを見せてもらいました。
ここのおばちゃんが育てているキュウリ。
4月の第2週に苗を定植したため、
既に実がついていました。
一番下の節に実がなっていて、それが
地面に横たわっていましたし、
いびつな形をしていたので、
1番果(一番最初に出来た実)だと分かりました。
1箇所に複数の雌花がついていたことと、
かなり下の節から実がなっていたので、
節なり系の品種と思います。
そのおばちゃんのキュウリ、5~6本ほどなってました。
そして収穫。
すると、そのうちの形の悪い2本を、近くを流れる川にキュウリを投げました。
そして
「これな、1番果やねん。河童さんにあげようと思うてな。
(キュウリが)『もう獲れるで~!』って(いう合図や)。」
ちょっと宗教的な話のようですいませんが、
これは、自然への感謝をあらわしていると思います。
河童は、キュウリが好物なのは皆さんもご存知ですね。
川に一番最初に出来たキュウリを流すことで、
河童に「キュウリの旬が来ましたよ~!」っていう
メッセージを流すことでもあると思います。
全く事情を知らずにキュウリを川に投げているのを見ると、
ビックリするでしょう。
参考までに、ボクの地元では例えば初収穫の野菜&果物を、
仏壇に供えるところが多いです。
偉そうなことを言ってすいませんが、
私達は一番最初に出来たものをすぐに手に入れたくなります。
その時は欲求を満たしたことになるかもしれません。
でも、長い目で見たときは、どうでしょうか?
隣のおばちゃんが、
「あんたとこのキュウリ出来た(実った)か?」
と、尋ねてくれました。
このおばちゃん、御歳80歳を過ぎます。
未だに現役!スクーターで街を走ってます。
快く、畑においでということで、キュウリを見せてもらいました。
ここのおばちゃんが育てているキュウリ。
4月の第2週に苗を定植したため、
既に実がついていました。
一番下の節に実がなっていて、それが
地面に横たわっていましたし、
いびつな形をしていたので、
1番果(一番最初に出来た実)だと分かりました。
1箇所に複数の雌花がついていたことと、
かなり下の節から実がなっていたので、
節なり系の品種と思います。
そのおばちゃんのキュウリ、5~6本ほどなってました。
そして収穫。
すると、そのうちの形の悪い2本を、近くを流れる川にキュウリを投げました。
そして
「これな、1番果やねん。河童さんにあげようと思うてな。
(キュウリが)『もう獲れるで~!』って(いう合図や)。」
ちょっと宗教的な話のようですいませんが、
これは、自然への感謝をあらわしていると思います。
河童は、キュウリが好物なのは皆さんもご存知ですね。
川に一番最初に出来たキュウリを流すことで、
河童に「キュウリの旬が来ましたよ~!」っていう
メッセージを流すことでもあると思います。
全く事情を知らずにキュウリを川に投げているのを見ると、
ビックリするでしょう。
参考までに、ボクの地元では例えば初収穫の野菜&果物を、
仏壇に供えるところが多いです。
偉そうなことを言ってすいませんが、
私達は一番最初に出来たものをすぐに手に入れたくなります。
その時は欲求を満たしたことになるかもしれません。
でも、長い目で見たときは、どうでしょうか?