義母の7回忌ということで娘の子供もつれて糸島の金龍寺にでかけた。孫娘は6つの時に義母の葬儀にも参列、お骨もひろいあげた。三回忌についで2回目の法要参加だが母親と並んで焼香をしていたがどんな気持ちでいるのだろうか。
人はおギャーと生まれて人生をスタートさせ、出会いを重ね、喜怒哀楽を繰り返しながら老死への道を歩む。避けることが不可避な死を認識すれば今の生き方がかわる。若く元気な時は死など考えない。だから傲慢になり謙虚になれない。癌宣告をされて初めて死を考える。若い子たちに人間は必ず死ぬのだから今を悔いなく、ひとにも優しく生きなくてはいけないよといったってわからないだろう。そんな意味では葬儀に出て、遺体をみせて、火葬場で骨になってでてくるのを見せれば多少なりとも人生観が変わるのではないだろうか
法要のあとごご住職が法話で「7回忌というのは曹洞宗では休広忌と言います。これは亡くなった人が49日をへて、修業を重ねて6年、心の安らぎ、安寧の時を迎えられた。したがって遺族の方はもう安心してわがことを考えて生きていってください」ということを言われた。
年季法要や墓参りなどは結局のところ、ご先祖を敬い、感謝するとともに己の心をきっちり立て直す機会にさせていただくということことなのであろう
都市高速をへて帰宅。娘家族と夕食ということで近所の焼肉屋へ。カルビやロースやタンやホルモン、もうもうとした煙の中で皆かぶりつく。孫たちもだんだんと自己主張し始めるようになりメニューをとりあう。生きることは食うことなり。先ほどのお寺の空気をふるわす鉦や木魚の音はどこかに飛んで行ってしまったようだ・・・・