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ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

2017年青春18春の旅 もくじ

2017-04-07 01:30:17 | 遠出(国内)
2017年4月初旬に青春18切符を使って2泊3日の旅に行ってきました。
京都から山陰線で鳥取まで行き、1泊。翌日鳥取から発ち伯耆大山から中国山地内部に入り、備中神代、備後落合経由で木次線で島根県仁多郡奥出雲町亀嵩まで行って1泊、帰りは宍道から松江まわり、また伯備線で岡山に出て山陽・東海道線で京都に帰って来ました。大きな八の字回りでした。











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2017年青春18春の旅(9)亀嵩~京都

2017-04-07 01:29:32 | 遠出(国内)
亀嵩で一晩過ごした翌朝、宿の車で駅まで送ってもらい、9:18亀嵩発宍道行きの普通列車に乗りこみました。
JR木次線を全線乗るために、昨日乗って来たのとは逆の方向に向かって、日本海側に山を下って行くことになります。


出雲八代(やしろ)駅も昔の風情が残る駅でした。
木次線の駅にはこんな感じの駅がまだたくさん残っているようです。






10:02に木次(きすき)駅に着き、ここで18分間の停車でした。







木次駅は木次線の中では大きな駅で、みどりの窓口設置駅です。



近くの斐伊川堤防に桜並木があり、お花見の名所のようです。駅の周りにも桜が咲いているのが見られました。



構内に木次鉄道部の車両基地があります。



宍道(しんじ)駅に10:55に着きました。



11:02宍道発米子行きの普通列車に乗り、11:24に松江に着きました。



12:01松江発岡山行きの特急やくも16号に乗りました。



青春18ばかりだと京都に帰るのに時間的にも体力的にも無理があったので、ここだけ別料金を払って特急列車を使うことにしたのです。



再び大山を車窓に見て、伯耆大山から備中神代までは昨日通った同じ線路をもう一度、今度は高速で通過しました。



備中神代からも伯備線で岡山に向かい、新見駅を通り過ぎる頃、



不思議な建造物が見えました。またいつか新見に来てみて、あれが何か確かめてみたいものです。



14:38に岡山駅に着き、15:11岡山発16:17相生着、16:18相生発18:14京都着の新快速で16駅目の京都に帰り着きました。


2017年青春18春の旅はこれで終りです。
青春18を使って初めての2泊3日の旅でした。
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2017年青春18春の旅(8)亀嵩村

2017-04-07 01:28:32 | 遠出(国内)
松本清張の小説「砂の器」の舞台、島根県仁多郡仁多町(現在は仁多郡奥出雲町)亀嵩は今どうなっているのでしょうか。



亀嵩駅の前は大きな自動車道になっていました。



駅の近くにお地蔵さんが集まっている場所があり、近くには「和泉式部終焉の地」もあったようです。



駅前のバス停の時刻表です。
しかし、駅から宿まで行くにはどう行ったらよいかわからず、宿の車で迎えに来てもらいました。乗ってみると、かなりの距離がありました。小説にも「亀嵩の駅から亀嵩はまだ四キロぐらいはあった」と書かれています。



途中に湯野神社があり、



その鳥居横に「小説 砂の器 舞台の地」という記念碑があったので、宿の車に一時停車してもらって、見物させてもらいました。(一人だけの送迎だったので、わがままを許してもらいました。玉峰山荘さん、ありがとうございました。)
揮毫は松本清張本人によるそうです。



鳥居の反対側に樹齢450年の大ケヤキが立っていました。
映画「砂の器」では、亀嵩派出所の巡査 三木謙一が放浪中の親子を見つけるのがこの湯野神社の寝殿の床下でした。



宿に着いてから眺めた神社の風景です。



村の遠景。
新しい建物も所々に建っていますが、昔ながらの段々畑の農村風景が残った亀嵩「村」の様子です。
亀嵩の行政名は「村」とはなっていませんが、どうしても「村」というイメージを抱いてしまいます。



亀嵩温泉玉峰山荘のお部屋は、和室の窓際にさらに掘りごたつのある小部屋がある落ち着く部屋でした。



大浴場の温泉入口。



夕食(現地レストランで注文)も、



朝食も仁多米がおいしかったです。

亀嵩近くには、雲州そろばんの産地だったり、重要文化的景観になっているたたら製鉄の操業地や棚田もあるようですが、亀嵩村には一晩泊まっただけで、しかも足(車)がなかったので、ホテルの他はどこにも出かけられず、遠くから眺めるだけに終わってしまいました。
いつまでものどかな農村風景を留めてほしい亀嵩村の姿でした。


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2017年青春18春の旅(7)亀嵩駅

2017-04-07 01:18:55 | 建物(島根県)
やって来ました、はるばると!


松本清張の小説「砂の器」の舞台、島根県JR木次線の亀嵩駅です。
殺人事件の犯人を追う刑事二人が、東北弁「カメダ」を手がかりに羽後亀田を訪ねるも空振りで、実は島根県の奥出雲地方に東北弁に似た発音の地域があり、「カメダケ」が「カメダ」と聞こえたことに気付いてこの駅を訪ね、20年も前に放浪する親子が親切な巡査に助けられたことを知る重要な場面です。
しかし、映画「砂の器」では、別の駅が使われたそうです。



駅に降りたのは私ひとりだけ、


駅にも人の姿が見当たりません。






冬になると、ストーブが焚かれる穴が天井にあります。



駅は1934(昭和9)年の開業です。
長くあこがれだった亀嵩駅にやっと来ることができて感激ひとしおでした。






昔の券売場窓口。



駅員事務室は今はおそば屋さんになっていて、乗車券の販売を委託されているそうです。



ここでおそばを食べるのを楽しみにして来たのに、なんと、残念なことに「4月中旬頃までお休み」になっていました。後で聞いたところによると、店主の方が入院されていたのだそうです。
通常は1時間以上前に予約しておけば、列車の通過時刻にあわせてホームに蕎麦を届けてもらい、車内で食べることもできるそうです。


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2017年青春18春の旅(6)鳥取~島根県亀嵩駅

2017-04-07 01:18:04 | 遠出(国内)
仁風閣と鳥取市中心部の近代建築を二つ見てから、鳥取駅に帰ってきて駅前で夕食を食べ、駅から徒歩3分のシティホテルに入りました。



夜、ホテルの部屋から鳥取駅のホームが見えました。



朝、同じ位置の眺め。
青春18の旅で列車に乗りづめするには、宿は駅の近くに取るのに限ります。



朝の鳥取駅。



駅前の広場に不思議なモニュメントが立っていました。
後で検索してみると、「夢時計21」という時計塔で、鳥取の子どもたちのブロンズ像21体が飾られ、日本時間、ロンドン時間、ニューヨーク時間を表す時計があったそうです。



朝8時4分鳥取発米子行きの電車に乗りました。






途中の駅に停まっていたコナン電車。鳥取は漫画「名探偵コナン」の作者、青山剛昌の出身地なので、あちこちにコナンがいます。



倉吉近くに来ると、2016(平成28)年10月21日に起きた鳥取県中部地震の痕跡で、まだブルーシートが掛けられた家があちらこちらに見られました。



御来屋(みくりや)駅。



御来屋駅は山陰最古の駅舎です。
1902(明治35)年の官設鉄道 境(現在の境港駅) - 米子 - 御来屋間の山陰鉄道開業時以来のものを今も使用しています。



終点米子の手前、鳥取駅から21駅目の伯耆大山(ほうきだいせん)駅に10:33に着きました。



駅のホームから大きな大山が見えます。



11:14伯耆大山発、新見(にいみ)行きに乗りました。



伯備線で中国山地に分け入り、鳥取県日野郡日野町の中心地にある根雨(ねう)駅を通りました。



特急やくもも停車していました。



12:52に伯耆大山から12駅目の備中神代(びっちゅうこうじろ)駅(岡山県新見市)に着き、ここで芸備線に乗り換えです。



駅の外に出てみました。



小さな待合室がありました。



雪かき用のラッセル車が待機していました。



備中神代駅は新見・岡山方面行きの伯備線と備後落合・三次方面行きの芸備線の分岐する駅です。


13:11備中神代発備後落合(びんごおちあい)行きの列車に乗りました。



14:25に10駅目の備後落合駅(広島県庄原市)に着きました。
芸備線は伯備線よりもさらに山の中に分けいっていく感じです。



備後落合駅は芸備線と木次線(きすきせん)の分岐する駅で、乗ってきた列車はここまで、芸備線の先に進む三次行きの列車が待っていました。



それには乗らず、駅舎に出てみました。



木次線の列車本数は一日にわずかしかありません。1両編成のディーゼルカーが1日に3往復走るのみです。駅前にはお店らしきものもありません。



14:41備後落合発、宍道行きの木次線の列車に乗りました。



さらに険しい山の中を走って行くと、線路の脇にはまだ雪がたくさん残っていました。平地では梅や桜が咲いていたのに、ここははるかに寒い高地だということがわかります。



「奥出雲おろちループ」という自動車道が大きなカーブを描いているのが車窓に見えました。二重ループ式道路の様子が、とぐろを巻くヤマタノオロチのイメージに重なっているのだそうです。






出雲坂根駅(島根県仁多郡奥出雲町)。駅舎は2010年4月に新しく建て替えられていますが、無人駅です。



駅の前後でJR西日本では唯一の三段式スイッチバックが存在しており、折り返して急な傾斜を下っていきます。



15:59に備後落合から6駅目の亀嵩(かめだけ)駅に着きました。
この日はほとんど一日中普通列車を乗り継いで幾山川を越えてきたものです。昼食は乗り換え駅で何か買って食べようかと思っていた思わくは見事に外れ、どこにも売店も駅前のお店もなく、お菓子を少々持っていたので、何とか我慢できました。


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2017年青春18春の旅(5)鳥取の近代建築(2)五臓圓ビル

2017-04-07 01:16:15 | 建物(鳥取県)
もう一つの鳥取市の近代建築も旧鳥取県立図書館のすぐ近くにありました。


五臓圓ビルです。

大正から昭和初期に最も栄えた中心商店街の智頭街道と二階町通りの交差点にある鉄筋コンクリート造3階建のビル。鳥取市内で現存最古の本格的な鉄筋コンクリート造建築です。1931(昭和6)年に建てられ、施工は旧県立図書館と同じ大阪の新〈アタラシ〉工務所ですが、設計者は不詳です。



一階は薬局の店舗、二階は住居、三階はレストランと喫茶になっていました。



昭和18年の鳥取大震災では建物に影響を受けませんでしたが、昭和27年の鳥取大火では内部を全焼しました。



江戸時代から続く薬種商森下家は藩政時代よりこの地で代々「石見屋」の屋号で生薬等の商いを営んでいた老舗です。初代の頃、僧より伝授された「三心五臓圓」という滋養強壮の家伝薬と各種生薬を代々扱い、日露戦争後は家庭用医薬を、大正には西洋医薬も卸小売する薬種商となり、現在まで営業を続けています。






建物の北角がR状にカーブしています。






建物外側の地面は小さなタイルで覆われています。



平成22年1月には国登録文化財に指定されました。






スクラッチタイルと大理石を張ったモダンで豪華な外観は、智頭街道商店街が最も繁栄した昭和10〜20年代には、街のシンボルとして輝いていたそうです。
いつまでもその姿を残してほしい鳥取の近代建築でした。



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2017年青春18春の旅(4)鳥取の近代建築(1)旧鳥取県立図書館

2017-04-07 01:14:58 | 建物(鳥取県)
鳥取駅から仁風閣に向かう途中、バスの窓からいくつか気になる建物を見つけていました。
仁風閣を見てから、帰りは建物を探しながらバスの来た道を歩いてみました。


5分程歩いた所にありました!

今は「童謡・唱歌とおもちゃのミュージアム、わらべ館」、1995(平成7)年に旧鳥取県立図書館の外観を再利用して開館しました。
所在地:鳥取市西町3丁目202。
入館料:大人500円、高校生以下は無料。
休館日:8月を除く第3水曜(祝日の場合は翌日)・年末年始。
開館時間:9時~17時(最終入館は16時30分まで)。
運営母体は、鳥取県と鳥取市が半分ずつ出捐する公益財団法人です。

旧鳥取県立図書館は1930(昭和5)年に兵庫県営繕課長・置塩章の設計で建てられ、1952年の鳥取大火でも焼け残りました。鉄筋コンクリート2階建て。






正面玄関。



塔部分の入口が開いていたので、少しだけ中を覗き見してみました。



旧鳥取県立図書館の外郭を残し、後方に現代的な新造部分をつないでおり、3階建ての館内は童謡の部屋とおもちゃの部屋からなり、遊びながら学べる体験型の展示がされています。






その前に広い空き地が広がっていて、子供たちの遊び場に、お母さん達の憩いの場所になっているようでした。



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2017年青春18春の旅(3)仁風閣内部

2017-04-07 01:13:52 | 建物(鳥取県)
鳥取市の洋風近代建築・仁風閣の内部です。


一階正面の広い部屋。随員控室でしたが、今は仁風閣を取り巻く歴史などが展示されています。






仁風閣では鳥取県下で初めて電灯が灯されました。



カーテンボックスの装飾にも和洋折衷の技術が見られます。



各部屋にマントルピースがあります。






窓の外のベランダを通して庭が見えます。



一階玄関の右手の部屋。
明治40年5月、大正天皇が皇太子だった時に宿泊した際にお風呂場として使われました。部屋の中央に檜の大きな浴槽が置かれ、屋外で沸かしたお湯を運び入れて入浴しました。



持ち運び式のトイレ。

一階には他に県官出張所、事務室、御道具置場等があります。



塔に登る螺旋階段。支柱が無く、硬いケヤキを彫った厚板(ささらげた)で支えています。大工棟梁の見事な職人技です。



二階に上がる階段。



二階ホール。
「仁風閣」という額は、皇太子に随行していた海軍大将東郷平八郎が命名し書いたものです。



二階中央の謁見所。






家具には、池田家の家紋「揚羽蝶」を星型に収めた紋が彫られています。



御座所。



御食堂。



畳敷きの御寝室にも暖炉がありました。



二階のバルコニー。

二階には、この他に陳列所、侍従武官室などがあります。

鳥取県唯一の重要文化財の近代建築、贅を凝らした邸宅を内外をゆっくり堪能することができました。


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2017年青春18春の旅(2)仁風閣

2017-04-07 01:12:39 | 建物(鳥取県)
鳥取に着いてそのままお目当ての「仁風閣(じんぷうかく)」に直行。

鳥取駅前から、赤・青・緑の3コースの「100円循環バスくる梨」が出ているので、緑コースに乗って7分、「仁風閣・県立博物館」で降りるとすぐ目の前に鳥取城の城山があります。

お城の周りをお堀が囲んでいて、城山全体に桜が三部咲き程咲いていました。



鳥取城は平地に突き出した久松山(263m)の上に戦国時代から築かれた城で、江戸時代には鳥取藩池田氏が治めましたが、明治になって城の建物は全て撤去されています。
城山の麓に、池田家の第14代当主池田仲博侯爵が、1907(明治40)年に皇太子(後の大正天皇)の山陰地方行啓の宿舎として建てた洋風建築、仁風閣があります。






設計は宮内省匠頭であった片山東熊。国指定重要文化財です。



フレンチ・ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺二階建で、バロック風の軒飾りがほどこしてあります。









屋根の上にはマントルピースの煉瓦煙突が6本立っています。
昭和18年の鳥取震災の際に煙突が折れて落下したので、スレート屋根に吹き替えられました。
正面右側に、中にらせん階段がある角尖塔があります。



建物の裏にまわって見たところです。






背面の一・二階ともベランダになっています。



建物の裏側には、鳥取藩12代藩主が若くして未亡人になった11代藩主夫人宝隆院を慰めるために造った池泉回遊式庭園(宝隆院庭園)が広がっています。入場無料。庭園の西南隅には茶座敷宝扇庵があり、貸出利用することができます。



仁風閣は、明治43年に韓国皇太子も宿泊し、大正年間に入って市の公会堂、県の迎賓館、昭和24年~47年は県立科学博物館などに使用されましたが、昭和48年に県立博物館が近くに建設されたのに伴って、県から鳥取市に譲渡され、昭和51年から一般に公開されています。

  開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
  休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始。
  観覧料:150円。小・中・高校生・70才以上・身体障碍者は無料


仁風閣の内部は、2017年青春18春の旅(3)で。
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2017年青春18春の旅(1)京都~鳥取

2017-04-07 01:11:14 | 遠出(国内)
今年の春に、鳥取市と島根県奥出雲地方に青春18切符を使って、2泊3日の旅をして来ました。

4月4日、朝8:58京都駅発園部行きの普通電車で出発しました。



9:42園部着、9:49園部発福知山行きの電車に乗り換え。

船岡駅。山と田畑の景色が続いていきます。



福知山に11:03に着き、11:12発豊岡行きに乗り換え。

福知山の川を見ると、花火大会事故を思い出して心が沈みます。



下夜久野駅。



梁瀬駅。



和田山駅には今も屋根が朽ち落ちた機関区の建物が残っています。




豊岡に12:32に着き、13:02発浜坂行きに乗り換え。
豊岡駅。






豊岡駅で買った但馬牛めし駅弁を車内で食べました。



日本海が見えて来ました。



海岸に水仙が咲いていました。



餘部鉄橋を渡り、



浜坂に14:13に着き、14:20発の鳥取行きに乗り、ついに15:05に鳥取駅に着きました。
浜坂駅。




鳥取駅。


山陰線を普通列車で鳥取まで行こうとすると、乗り換え乗り換え長時間かかるけれど、乗り換えの駅で気分も変わってさほど苦にならずに行くことができました。


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