2月1日に「歩いて・紅茶で・新酒であったか橋本の旅」という催しがあったので、行ってきました。
八幡市商工観光課の主催で、午前10~11時の間に京阪橋本駅で受付して、約4キロと約5キロの二つのコースを自由に散策して、石清水八幡宮を目指すものです。

受付場所は京阪橋本駅と言っても、駅から少し西に行った所にある駐車場でした。駅に案内板がなかったので、わかりにくく、やっと見つけました。

駐車場と駐輪場のあるこの辺りが鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が陣屋を築いた所らしいです。
会津藩や新撰組もこの戦いで大勢亡くなったところです。
今は京阪電車が走り抜けています。

京阪橋本駅のすぐ目の前にこんな石碑がありました。
写真右面に「橋本渡舟場三丁 山崎停留所十丁 柳谷観音一里廿丁 長岡一里 粟生一里半 善峯二里」、左麺に「昭和二年十月 京都三宅安兵衛遺志建之」、写真には出ていない一面に「湯沢山茶久蓮寺(ゆたくさんちゃくれんじ)跡」、もう一面に「京大坂街道 右 八幡御幸橋八丁 左 樟葉八丁 南 志水近道廿丁」と彫られていました。
大正末から昭和初期(1921~1930年)にかけて、京都市中京区の西陣帯地卸商、三宅清治郎が父安兵衛の遺命にもとづいて京都府南部を中心にたくさんの石碑を建立したものの一つだということがわかります。
湯沢山茶久蓮寺は常徳寺という曹洞宗の寺院のことで、現在の京阪軌道上にあり、1813(文化10)年に焼失したという記録が残っています。豊臣秀吉が訪れた時に、茶道に詳しい秀吉にお茶を出してまずいと言われると困ると思い、白湯を何杯も差し上げたため、秀吉が「湯たくさん茶くれん寺」と言い、以後寺号としたという伝説が残っています。
この碑に、「山崎停車所」が書かれていることから、明治43年に京阪電車が開通した後、橋本駅利用者のために、橋本の渡船場から対岸に舟で渡り、国鉄山崎駅や柳谷観音、長岡天神、粟生光明寺、善峰寺などへ行く道しるべとしたものです。

橋本駅の北側、東西に大阪と京都を結んだ京街道があり、その両側に江戸時代の宿場町と明治になってからの遊郭の名残りを残す建物が並んでいます。

一番大阪寄りのほうにある銭湯「橋本湯」。
昭和4年創業です。





橋本検番だった大きな木造の建物もありましたが、写真を撮り忘れました。

通りに面した欄間に手の込んだ彫刻が彫られているお宅が多かったです。

ばったり床几のあるおうちも、

ステンドグラスのあるおうちもあちました。

街道の家の裏側に流れる小川に橋がかかり、木津川の堤防、山崎への渡し場に続いていました。

橋のたもとに道標があり、「柳谷わたし場」「山さき あたご わたし場」「大坂下り舟の里場 津の国そうじ寺 わたし場」と彫られています。
橋本の街は京阪電車の窓から見て前から来たいと思っていたのですが、一人で歩く機会がなくて、今回の企画を新聞で見つけてやっと訪ねることができました。
ま、私はおっさんなので行きますが(笑)
わずかでもこういう風情が残されているとうれしくなる反面、じろじろ見るのは申し訳ないとも思ったり。けど、橋本は予想以上の建物の減少が残念でした。
関西でまだ行けてないとこが一つあるんですが・・・現役だけに・・・・・
空き地になっている所もあって、これからどうなるんだろうと気がかりです。