ヨコハマトリエンナーレ2020(2020年7月17日~10月11日)を見てきました(2020年10月3日)。主な会場であった横浜美術館とプロット48に分けて紹介します。今回は横浜美術館です。
知っている、あるいはお気に入りの作家が出品しているわけでもなく、3年に一度のお祭りなので、今回はどんなかんじなのか見ておこうという気持ちで行ってきました。いちおう、NHKの日曜美術館で予習はしました。今回は、「ラクス・メディア・コレクティヴ」というインドの3人組アーティスト集団が企画した、「AFTERGLOWー光の破片をつかまえる」というタイトルの展覧会です。5つのキーワード「独学:人に教えられるのではなく、自ら学ぶこと」「発光:学んで光を外に放つこと」「友情:光の中で友情を育むこと」「ケア:互いをいつくしむこと」「毒:世界に否応なく存在する毒と共生すること」が、作品を考える種になっているということです。
前回のヨコハマトリエンナーレ2017のようすはこちら(1、2)。
気になった作品の作者とタイトルをウェブで確認して、コメントもつけてみました。見て周る最中は、ファーストインプレッションを感じて撮影するので精いっぱいで、膨大にして多様性に富んだ作品たちの作者・タイトル・解説まで見ている余裕はありませんでした。
イヴァナ・フランケ「予期せぬ共鳴」。こういう覆ってしまう系ってありますよね。
ニック・ケイヴ「回転する森」。今回もっとも規模の大きな作品、ここまでは無料で見れます。
解説によると毒があるということ。このピストルのことですね。
竹村京「修復されたT.家の電球」。遺伝子組み換えで化学発光するタンパク質を織り込んだ糸を使ったハイテクな作品。
レボハング・ハンイェ「モショロコメディ・ワ・トラ(灯台守)」。昔の家族写真を拡大プリントして立体的に作っています。懐かしさというより、戻らない過去への寂しさが増しそうです。
エリアス・シメ「綱渡り 2.2」。電子機器の基盤で作っています。
パク・チャンキョン「遅れてきた菩薩」。本トリエンナーレは映像作品が多かったです。この作品は放射能で汚染した世界を描いています。日本の原子力発電所、もんじゅは「文殊菩薩」から、ふげんは「普賢菩薩」から取っていることを知りました。人間のおごりを感じます。
タウス・マハチェヴァ「目標の定量的無限性」。不具合な体操器具が並んでいます。ちょうど、体操しているところをテレビ局のようなところが撮影していました。
エヴァ・ファブレガス「からみあい」。腸を模しているのだと思いますが、上の体操が終わって出てきたお客さんたちがみなここに腰かけて休んでいました。我々の大切な腸というより、ベンチのアフォーダンスを発していたのですね。
ツェリン・シェルパ「54の智慧と慈悲」。54分割されても密教系の神(怪物)だとわかります。もっと細かく分けたらどうだろう?
佐藤雅晴「死神先生」。ガンと闘病しながら、そのときそのときの心境を描いていると説明に書かれていました。その生き生きとした文章と絵から、今も病と闘っている人なのだと思っていましたが、帰ってから調べるとすでに亡くなられている方でした。知りさえしなければ、その人が生きているのか死んでいるのか関係ないのかもしれません。
金氏徹平「フィギュア/203」。ちょっと村上隆風のフィギュア。
モレシン・アラヤリ「マージュージュ(「未知を見る彼女:ヤージュージュ、マージュージュ」より)」。アイマスクをつけることでバーチャルな世界が見えるというやつですね。
青野文昭「イエのおもかげ・箪笥の中の住居ー東北の浜辺で収拾したドアの再生から」。壊れた箪笥を組み合わせて家にしよう、あるいはこの物が自らの意志で家になろうとしているかのようです。
裏から見ると、家族のような人の気配があります。
横浜美術館の南玄関を出て、次の会場に移動します。
いつも北玄関から出入りしているので、南側から見ることは少ないです。丹下健三の設計によるとても端正な建物です。
続く。
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