その昔(ウィキペディアで調べたら1991年の刊行となっていた),「ウルトラマン研究序説」という本があった。ウルトラマンが怪獣との対決に際して壊した建物を,ハヤタ隊員は賠償すべき義務を負うのか否か。はたまた,ウルトラマンに倒された怪獣の死体は,一体誰が片付けるべきなのか。等々の疑問に,当時の若手の学者が学術的に取り組んだ本で,高校の同級生が著者グループの一人だったこともあって当時は興味深く読んだことを,この作品を観ながら思い出した。
ただ,その本は現在手元に見当たらず,賠償責任の結論がどうだったのかも忘れてしまったため,正義を貫く代償として器物損壊の鬼と化してしまったハンコック君を,個人的に励ましてあげることが出来ないのが残念だ。ものすごく。
ジェイミー・フォックスを主役に据え,テロとの終わりなき戦いを,独自の視点と力感溢れる映像によってシャープに切り取った「キングダム」で,ハリウッドにおけるアクション監督レースの第一線に躍り出たピーター・バーグが,今度はウィル・スミスと組んだ新しいヒーロー映画。
悪事蔓延るロスの正義の番人なのだが,常に酒瓶を持ち歩き,正義の執行に際して建物から車,列車に到るまで何でもかんでも壊しまくってしまう主人公が,町中の嫌われ者というキャラクターをどう矯正していくのか,という前半のメインプロットは,迫力ある空撮と見事なSFXの力もあって,快調に進んでいくように見える。
しかし,手持ちカメラのショットを交えたスピード感溢れる迫真の映像が積み重なれば重なるほど,その鋭角的な映像のタッチと,ハンコックの所作が内包するユーモラスなアンチ・ヒーロー像との間に,乖離が生じていく。
ウィル・スミスのまったり感を笑えると思って劇場に足を運んだ観客(私)は,映像が持つシャープでシリアスな触感に戸惑い,「あれれ?」とばかりに置いてきぼりを食わされる。
その戸惑いは,シャーリーズ・セロン扮する広告マンの妻との経緯が明らかになる後半,加速度的に拡がっていく。人々が期待するヒーロー像とハンコックとの落差を埋めるという問題は,時空を超えた壮大な因縁の前で吹き飛び,悪との対決すら,主要なテーマではなくなってしまうという展開は,ハンコックの滑空以上に方向性を失ってしまったように見えるのだ。
プロットが進行する過程で,ピーター・バーグ流の映像の触感が物語にフィットする瞬間を待ち望む観客の期待は,叶えられることなく93分間が過ぎていく。「ダークナイト」に比べて約60分短い尺に比例した一応の内容は,あの「グリーンピース」に挑むかのようなクジラの投擲シーンや,シャーリーズ・セロンの美しさによって,それなりに担保はされているが,「ダークナイト」の重さにウィル・スミスの軽さで対抗しようとした試みは,ハンコックの着地の衝撃によって路盤までほじくり返された道路のように,凸凹のまま幕を閉じてしまう。
この上は,ハンコック君が活躍の代償を市民や自治体から請求されることによって,再び自暴自棄に陥ることのないよう願うばかりだ。ご自愛を。
ただ,その本は現在手元に見当たらず,賠償責任の結論がどうだったのかも忘れてしまったため,正義を貫く代償として器物損壊の鬼と化してしまったハンコック君を,個人的に励ましてあげることが出来ないのが残念だ。ものすごく。
ジェイミー・フォックスを主役に据え,テロとの終わりなき戦いを,独自の視点と力感溢れる映像によってシャープに切り取った「キングダム」で,ハリウッドにおけるアクション監督レースの第一線に躍り出たピーター・バーグが,今度はウィル・スミスと組んだ新しいヒーロー映画。
悪事蔓延るロスの正義の番人なのだが,常に酒瓶を持ち歩き,正義の執行に際して建物から車,列車に到るまで何でもかんでも壊しまくってしまう主人公が,町中の嫌われ者というキャラクターをどう矯正していくのか,という前半のメインプロットは,迫力ある空撮と見事なSFXの力もあって,快調に進んでいくように見える。
しかし,手持ちカメラのショットを交えたスピード感溢れる迫真の映像が積み重なれば重なるほど,その鋭角的な映像のタッチと,ハンコックの所作が内包するユーモラスなアンチ・ヒーロー像との間に,乖離が生じていく。
ウィル・スミスのまったり感を笑えると思って劇場に足を運んだ観客(私)は,映像が持つシャープでシリアスな触感に戸惑い,「あれれ?」とばかりに置いてきぼりを食わされる。
その戸惑いは,シャーリーズ・セロン扮する広告マンの妻との経緯が明らかになる後半,加速度的に拡がっていく。人々が期待するヒーロー像とハンコックとの落差を埋めるという問題は,時空を超えた壮大な因縁の前で吹き飛び,悪との対決すら,主要なテーマではなくなってしまうという展開は,ハンコックの滑空以上に方向性を失ってしまったように見えるのだ。
プロットが進行する過程で,ピーター・バーグ流の映像の触感が物語にフィットする瞬間を待ち望む観客の期待は,叶えられることなく93分間が過ぎていく。「ダークナイト」に比べて約60分短い尺に比例した一応の内容は,あの「グリーンピース」に挑むかのようなクジラの投擲シーンや,シャーリーズ・セロンの美しさによって,それなりに担保はされているが,「ダークナイト」の重さにウィル・スミスの軽さで対抗しようとした試みは,ハンコックの着地の衝撃によって路盤までほじくり返された道路のように,凸凹のまま幕を閉じてしまう。
この上は,ハンコック君が活躍の代償を市民や自治体から請求されることによって,再び自暴自棄に陥ることのないよう願うばかりだ。ご自愛を。