映画の終盤,主人公のエリオット(ディミトリ・マーティン)が自分の目でコンサートの様子を確かめようと,佳境にさしかかった会場に足を運ぶ途中で,遠く彼方からザ・バンドが演奏する「I Shall Be Released」が微かに聞こえてくる場面がある。結局エリオットは会場でアーティストが演奏する場面を目にすることはないままコンサートは幕を閉じてしまうのだが,両親への愛情としがらみ,そしてゲイであることを彼らに告げられない彼の心に「解き放たれる日が来るさ」と歌うリチャード・マニュエルの声が沁みていくような,素晴らしいシーンだった。
都市部のミニ・シアターが次々と閉館する一方で,公開本数で見ればたった7%の作品が全ての観客動員数の70%を稼ぎ出す,言ってみれば「大ヒット作品丸かぶり」時代に突入してしまったこの日本では,アカデミー賞受賞監督の作品といえども観ることが叶わないのか。アメリカで公開されてから2年近く経ち,あのアン・リーの新作ですら「幻の新作」と成り果てるものとあきらめかけた矢先の公開に,とにかく拍手を送りたい。
原作は未読だが,ノンフィクションの映画化であるだけにこれまでのアン・リー作品のようなウェルメイドでドラマティックな展開とは異なり,マイケル・ウォドレーが監督しマーティン・スコセッシが編集に携わったドキュメンタリー「ウッドストック」のバックステージ版という風情が濃厚だ。画面を縦横に分割する「マルチ(スプリット)・スクリーン」という手法を,本家に敬意を払いつつ本作でも随所に使っているのがその証拠と言えよう。
そんなこだわりが満載の画面作りの白眉は,エリオットがヒッピー文化の毒気に当てられた警官が運転するバイクの後ろに乗ってコンサート会場に向かう姿を,ワンカットで捉えた長回しのシーンだろう。典型的な60年代フラワー・ファッションに身を包んだ,数え切れないほどのヒッピーの姿を横移動で撮していたカメラが,やがてゆっくりと前方にパンして,会場へと続く道を埋め尽くした参加者を捉える瞬間には,この場所から時代が変わるかもしれない,と本気で信じた人々の熱い思いが,一種の映像的スペクタクルとなって刻まれている。
初期のリー作品にあったそこはかとないユーモアが,しばらくぶりに復活していて嬉しい限りだが,それにはエリオットの母を演じたイメルダ・スタウントンの強烈なモンスター振りと,元海兵隊員の女装家に扮したリーヴ・シュレイバーのゆったりとした構えが果たした役割が大きい。特に「ガープの世界」におけるジョン・リスゴーを彷彿とさせるシュレイバーは,ベトナム帰りのエミール・ハーシュの役柄の膨らみが足りない点を補って余りある働きをしている。
自らがアジア人という,白人社会におけるマイノリティの立場から,ユダヤ人,黒人,そしてゲイに注ぐ視線の温かさと同時に,「アイス・ストーム」で顕著だったシニカルに時代を振り返る冷徹な視線を具備するリーの真骨頂は,ラストのゴミだらけの会場で発揮される。
おそらくは処理に数十日もかかるのではないかと思われるようなゴミの山の中で,エリオットから「これからどうする?」と訊かれたコンサート・プロデューサーのマイケル(ジョナサン・グロフ)が,希望に満ちた表情で「西海岸でローリング・ストーンズの無料コンサートをやってやる!」と答えるのだが,それが指すのは黒人青年がヘルズ・エンジェルに殺され「オルタモントの悲劇」と呼ばれることになるフリー・コンサートのことに外ならない。新しい時代の終焉を告げる足音は,実はその到来の予感と同時に聞こえていたのだ,というアイロニーが,マリファナの紫煙を貫いて突き刺さる。GOOD JOB!
★★★★☆
(★★★★★が最高)
都市部のミニ・シアターが次々と閉館する一方で,公開本数で見ればたった7%の作品が全ての観客動員数の70%を稼ぎ出す,言ってみれば「大ヒット作品丸かぶり」時代に突入してしまったこの日本では,アカデミー賞受賞監督の作品といえども観ることが叶わないのか。アメリカで公開されてから2年近く経ち,あのアン・リーの新作ですら「幻の新作」と成り果てるものとあきらめかけた矢先の公開に,とにかく拍手を送りたい。
原作は未読だが,ノンフィクションの映画化であるだけにこれまでのアン・リー作品のようなウェルメイドでドラマティックな展開とは異なり,マイケル・ウォドレーが監督しマーティン・スコセッシが編集に携わったドキュメンタリー「ウッドストック」のバックステージ版という風情が濃厚だ。画面を縦横に分割する「マルチ(スプリット)・スクリーン」という手法を,本家に敬意を払いつつ本作でも随所に使っているのがその証拠と言えよう。
そんなこだわりが満載の画面作りの白眉は,エリオットがヒッピー文化の毒気に当てられた警官が運転するバイクの後ろに乗ってコンサート会場に向かう姿を,ワンカットで捉えた長回しのシーンだろう。典型的な60年代フラワー・ファッションに身を包んだ,数え切れないほどのヒッピーの姿を横移動で撮していたカメラが,やがてゆっくりと前方にパンして,会場へと続く道を埋め尽くした参加者を捉える瞬間には,この場所から時代が変わるかもしれない,と本気で信じた人々の熱い思いが,一種の映像的スペクタクルとなって刻まれている。
初期のリー作品にあったそこはかとないユーモアが,しばらくぶりに復活していて嬉しい限りだが,それにはエリオットの母を演じたイメルダ・スタウントンの強烈なモンスター振りと,元海兵隊員の女装家に扮したリーヴ・シュレイバーのゆったりとした構えが果たした役割が大きい。特に「ガープの世界」におけるジョン・リスゴーを彷彿とさせるシュレイバーは,ベトナム帰りのエミール・ハーシュの役柄の膨らみが足りない点を補って余りある働きをしている。
自らがアジア人という,白人社会におけるマイノリティの立場から,ユダヤ人,黒人,そしてゲイに注ぐ視線の温かさと同時に,「アイス・ストーム」で顕著だったシニカルに時代を振り返る冷徹な視線を具備するリーの真骨頂は,ラストのゴミだらけの会場で発揮される。
おそらくは処理に数十日もかかるのではないかと思われるようなゴミの山の中で,エリオットから「これからどうする?」と訊かれたコンサート・プロデューサーのマイケル(ジョナサン・グロフ)が,希望に満ちた表情で「西海岸でローリング・ストーンズの無料コンサートをやってやる!」と答えるのだが,それが指すのは黒人青年がヘルズ・エンジェルに殺され「オルタモントの悲劇」と呼ばれることになるフリー・コンサートのことに外ならない。新しい時代の終焉を告げる足音は,実はその到来の予感と同時に聞こえていたのだ,というアイロニーが,マリファナの紫煙を貫いて突き刺さる。GOOD JOB!
★★★★☆
(★★★★★が最高)