子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「チェ/28歳の革命」:アルゼンチン人だったのか

2009年01月17日 16時23分09秒 | 映画(新作レヴュー)
ここ数年精力的に活動しながら,どれもやや生彩を欠いた作品が続き,登板過多によるエネルギーの枯渇が心配されたスティーヴン・ソダバーグだが,話題となっている本作も,残念ながら全体の印象は薄味だ。「トラフィック」で見せた過激とも言える技術信仰を更に押し進めることで,映画の新たな地平を切り開く可能性を期待してきた私のような人間は,鮮やかではあるが平板な印象が拭えない歴史の絵解きを前にして,満員の観客の間で所在なく縮こまってしまうしかなかった。

ほぼ全編で戦闘が繰り広げられ,緊迫感という点ではそのどれもが水準以上の出来だ。監督が自ら手にしたという手持ちキャメラは,そうした戦闘とともに,山中のゲリラ訓練や喘息に苦しむゲバラ,更には反革命分子の粛清などの「歴史」を,綿密な取材に基づいて,克明に描き出す。登場人物がみんな濃い髭を生やしているので,数人が一度に画面に登場して喋るシーンでは,誰が喋っているのか分からなくなることが何度かあったが,無名の演技者の汗は,観客に約半世紀前の出来事が「多分こんな感じだったのだろう」という感慨を抱かせる程度にはリアルに迫ってくる。

しかし,感慨はそこで止まる。戦闘シーンとカットバックで挿入される国連演説では,ニュース映画のような体裁を取りながら,熱く激しい心情を吐露するゲバラの姿が描かれるのに,徐々に首都へと近づいていく闘いのシークエンスにおいては,ゲバラの人間性や思いが密林の間を縫って浮上する瞬間は出現しない。
サンタ・クララの勝利によって反政府軍の勢いが最高潮に達し,民衆も含めた彼らのうちに湧き上がるはずの高揚感すらも,「歴史」という文脈の上で,淡々と革命を進めていく(ように見える)ゲバラの「業務」の一つとして収斂されてしまう。
勝利に酔いつつ首都に向かう車列の中に,盗んだと思しきオープンカーを見つけたゲバラが,「車を返してこい」と兵士をたしなめるラストシーンが象徴的だ。

ベニチオ・デル・トロは,戦闘シーンの抑えた演技と国連での熱情迸る演説の対比が見事ではあったが,果たしてカンヌの主演男優賞に相応しいほどのものだったかどうかは怪しい。
「そして,一粒のひかり」に出ていたカタリーナ・サンディノ・モレノは,相変わらず実にキュートだが。

パート2(本作の原題は「CHE PART ONE」)を観ない限り,一つの作品としての評価は出来ないかもしれないが,サッカーの試合よろしく,後半勝負と考えた監督が,前半は足を溜める作戦に出た,という結末になることを望む。


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