子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「サウスバウンド」:生硬な台詞廻しが紡ぎ出す独特の間

2007年11月04日 15時25分32秒 | 映画(新作レヴュー)
森田芳光と言われて思い出すのは,初期の「家族ゲーム」,「ときめきに死す」,「それから」の3作。いずれの作品にも,妙に会話がぎこちなく,周りの人々と円滑な人間関係を結べない人物が登場した。その会話の間が,温度の低い映像と一緒に提示された時,バブル期直前の時代の空気を切り取る,若き表現者が現れたと期待した人は少なくなかった。

森田の最新作「サウスバウンド」において,特に子供同士の会話の中で,あの懐かしい,ぎこちない「間」が復活している。
原作にあった,父親の全共闘関係の登場人物とエピソードを大幅に削った替わりに,子供たちのやり取りを残した背景には,都市生活の滑らかなように見えて虚ろな空気を,両親が出航していくラストシーンの寓話性と対比させるという意図があったのかもしれないが,それはある程度成功している。

ただ父親(豊川悦司)の破天荒振りの映像化,というメインプロットを立たせるためには,原作にあった膨大なエピソードの削除に費やしたエネルギーの一部を,開発業者や国家権力への抵抗を絵で見せるアクションを接ぎ木することに注ぐ必要があったのでは,という恨みは,若干ながら感じた。バックホウの落とし穴をひとつ作っただけで,「今のお父さんを目に焼き付けるのよ!」という台詞をお母さん(天海祐希)に喋らせてしまっているが,「ナンセンス!」というお父さんの決め台詞と比べて,明らかに言葉の持つ重みと映像のバランスを欠いているように見えた。

とは言え,原作小説の映像への翻訳という長年の作業を通過して,またぎこちない「間」に行き着いた森田監督の仕事には,20年前とはまた違った意味で期待が持てる。いつの日か,かつて船に乗ってやってきた家庭教師(家族ゲーム)のように,ユートピアに向けて舟航した両親が,閉塞した日本の社会を揺さぶる存在となって帰ってくる日を,豆乳をすすりながら秘かに待ちたい。


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