子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「新しい人生のはじめかた」:「卒業」のベンジャミンの40年後

2010年04月09日 23時19分57秒 | 映画(新作レヴュー)
ダスティン・ホフマンには申し訳ないが,彼の顔を観る度に思うのは,マイク・ニコルズの「卒業」でデビューした時の役柄であるベンジャミンが,あのまま年を取っていたら今どこで何をしているのだろうか,ということだ。「クレイマー,クレイマー」を観ながら,「ミセス・ロビンソン」の夫から「プラスティック」への投資を薦められたベンジャミンが,最終的にそれを実行に移したのかどうかと考えることは,ロバート・ベントンにもホフマンにも失礼と知りつつ止められなかった経験を,今もホフマンの顔を観る度に思い出す。
だが一方で,ウェディング・ドレスを着たままのキャサリン・ロスと共にバスに乗り込み,花嫁略奪の興奮が冷めた後,途方に暮れた顔で佇んでいたベンジャミンのその後の人生に対して,ホフマンが付けた落とし前を見つけたいと願い続けてきた観客は私一人ではないような気もしている。

音楽家としては業界から見放されつつあり,離婚した妻と暮らす娘の結婚式に呼ばれたのは良いが,元妻が築いた新しい家族には溶け込めず,途方に暮れる初老の男。ジョエル・ホプキンスが監督した「新しい人生のはじめかた」におけるダスティン・ホフマンの役柄こそ,正に悩めるベンジャミンの40年後のように見える。
ベンジャミンの愚直さを引き摺りながら,様々な辛酸をなめてきた男だけがまとう渋さも身に着け,不器用かつ懸命に人生と向き合う姿は,けなげで不幸な役柄が十八番になりつつあるエマ・トンプソンならずとも気になる老年(72歳!)と言えるだろう。

エマ・トンプソンと母親の関係,更にはその母親と隣人のエピソードなどが未消化のまま放り出されているという感じはあるが,ウェルメイドではない分,予定調和の物語にはない生々しい感触が至る所から立ち上っている。
室内のシークエンスが殆どなのに,何故か主役二人が歩くロンドンの街並みが印象に残る。会話をしながら歩く二人のショットは,どことなくキャロル・リードの「フォロー・ミー」を思い出させるようなタッチもあった。あちらは二人の間に一切会話がない物語だったのだが。

エマ・トンプソンに将来のことを訊かれ,多分人生最後のチャンス(原題は「last chance harvey」)なのにも拘わらず「うまくいくかどうかは分からない」と正直に答えるダスティン・ホフマンを観て,これこそがベンジャミンの40年後だと信じる感慨は格別だった。アン・バンクロフトも天国で「坊や,やるわね」と笑っているだろう。
★★★★
(★★★★★が最高)


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