子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「天空の蜂」:タブーに挑んだ活動屋精神には拍手

2015年09月27日 11時16分08秒 | 映画(新作レヴュー)
原作となった同名小説が出版されたのが,一般人によるドローン飛行も福島第一原子力発電所の水蒸気爆発も考えられなかった20年前。今から振り返ると,東野圭吾の小説家としての着想の鋭さは,やはり尋常ではない。その一方で,あれだけの事故が発生していながら,依然として原子力発電所の安全性そのものが不可侵の領域として,一般の国民から隔絶されているようにしか見えない現在,この物語をヴィジュアル化するという作業にも,勇気が必要なことは明らかだ。

そんな難行に挑むクリエイターとして,あらゆるジャンルを横断しながら着実にキャリアを積み上げてきた堤幸彦に白羽の矢を立てた選択は,鑑賞前から至極真っ当なものだという気がしていた。
そんな予感はかなりの部分で当たっていた,という手応えを,観終わった今も確実に感じている。三池崇史とならぶ本数を量産しながらも,同人と同様,どんなにたくさんの仕事をこなしていても目の前の仕事に全力投球する,という姿勢には頭が下がる思いだ。

燃料切れに伴う墜落まで8時間という限定された時間の中で,ヘリコプターの乗っ取りから取り残されてしまった子供の奪還,犯人の追跡と逮捕に,原発へのヘリの墜落阻止と,切れ目なく続くエピソードを飽きさせずに展開する堤の腕力は,まさに百戦錬磨の経験に裏打ちされたもの。原発の上空に静止しているヘリコプター,という俯瞰してしまえば「動きがない」=アクションとしてのダイナミズムに欠ける図に,地上のドラマを織り込むことによってスピード感と緊張感を与え続けた技は,高く評価されて良い。
一方的な原発断罪に陥らず,急進的,ややもすれば独善的な境地に入り込む危険性をも孕んだ反対運動が持つ絶対的な正義感への警鐘も鳴らしつつ,社会的な生き物である人間への根源的な疑問さえも含んだ人間ドラマには,反芻するに足る豊かな問いが存在している。

しかしその一方で,骨太で熱いドラマを創り上げるんだ,という意欲が溢れてしまって,肝心の人間ドラマの部分のリアリティが失われてしまっているのも事実だ。冷静にならなければ,捜査側は犯人捜し,犯行側は犯罪の遂行が,各々成就しないのでは?という危惧をよそに,こっち側も向こう側も出てくる人物は皆,例外なく叫び,怒鳴り,わめき合う。何しろ出演するドラマの殆どで,ひとり勝手に叫んでは浮いてしまうというのが持ち味の佐藤二朗が,この作品の中ではいつも通りの演技を披露しているにも拘わらず,最も冷静で全体のペースを落ち着かせているように見えるほどなのだ。
「日本のいちばん長い日」での松坂桃李と同様,熱演=早口・大声で叫ぶこと,という呪縛を解いた先にこそ,オリジナル作での世界進出の道も開けてくるように思うのだが。
★★★
(★★★★★が最高)


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