折節の移り変わるこそ

季節の移ろいの中に、感じたままを一日一日。

自然のままではありえなかった、薔薇の美しさ。

2008年06月05日 00時06分51秒 | 芒種
          □ もう二番花に移った「ハーロウ・カー」(Harow Carr/ER)

◇ 6月5日は、二十四節気の一つ「芒種」(ぼうしゅ)
  暦便覧には「芒ある穀類、稼種する時なり」とある。
  もちろん、たとえば稲の種まきは、今ではもっと早い時季。
  そろそろ梅雨入り、田植えの季節、水を張った田んぼでは蛙の大合唱♪

     
        □ 「折節」の愛読書 「折々のうた」(大岡信著)

     
  □ 「折節の移り変わり」を歌った珠玉の名句が散りばめられて…。

    
       □ 毎週の発売日が楽しみの「週刊日本の歳時記」

     
        □ 愛読書のうち、最近ハマった本。
          今は亡き米原万里さんのきっぱりとした信念を、
          巧みなユーモアで包み込んだ随想の数々は、
          正直言って、人生観、世界観をも変えてしまいそう。
          ついでに、しばし心の旅に出ようと…あまり関係ないけど。
                          (2008年6月5日夕刻追記)


◇ 五月の燦々と降り注ぐ光の中で、椎など広葉樹の葉もすっかり生え変わっていた。
  あるものは白い花を、またあるものは若葉色の花を、精一杯咲かせていた。
  それら青葉若葉が六月の五月雨(!?)に濡れる度に、一層若々しく輝いているよう。
  葉先を見ると、雨の滴まで青葉色をしているような錯覚、それは紫陽花とて同じ。

     
        □ 一つの株から様々な花の色、紫陽花ならでは。

     
            □ 「伊予てまり」と「墨田の花火」

     

     
     □ 山紫陽花「七変化」」(写真上も) 白は「富士なでしこ」

     
        □ 西洋紫陽花らしいアジサイ「ブルー・サファイア」


     
     (una poesia di oggi)

        あぢさゐのどの花となく雫かな     岩井英雅


◇ 何年も何十年も何百年も何千年も繰り返される、植物ならではの営み。
  進化や分化はあろうが、千年単位での不変性こそが、最も自然そのものの姿。
  薔薇にも原種、野生種の中には、「不変」とも呼べる種類はあるだろう。

     
             □ 薔薇と紫陽花、この季節。

     
         □ ジャック・カルティエ(Jacques Cartier/P)

     
            □ シャルロット(Charlotte/ER)


◇ 私達がその麗しさに感嘆の声を上げるのは、大抵は人間が創りあげた薔薇の花。
  自然のありのままの美しさを「芸術的」と呼ぶかは、人それぞれ意見があるだろう。
  しかし自然に対して育種(交配)等で、人工的に改良を続けた賜物の薔薇だからこそ、
  その「芸術的」な美しさに、言葉を失うくらい感動するのだと、私は思っている。

     
    □ ジュビリー・セレブレイション(Jubilee Celebration/ER)
  

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする