□ 華やかな色のはずが、雨の中、やや悲しげな百合。

□ ニゲラがようやく咲いた。
◇ 昨日6月18日付の朝刊「天声人語」(朝日新聞)が目を引いた。
四季折々の情感あふれる「生きとし生けるものへの」慈愛に満ちたもの、
文学や芸術に関するものとなると、私は天声人語を読んでしまう。
ついでにその英語版をネットで読む・・・が、概してたいへんむずかしい(単語)。
しかし、プロのコラムニストの筆致に唸ってしまうことが多いのは事実である。
(以下一部引用)
ドクダミの花が土手を埋めていた。
その人が「深くゆるゆると流れて」と書いた水面が、
ヤツデやシュロの葉陰にのぞく。
JR三鷹駅に近づくと、
玉川上水の両岸は小ぎれいな遊歩道になり、
武蔵野の面影は薄い。
・・・
四回の自殺未遂と薬物中毒。
この「弱さ」をどう見るかで、太宰像は変わる。
三島由紀夫は「治りたがらない病人などには
本当の病人の資格がない」(『小説家の休暇』)と嫌った。
・・・
青春期の弱さを死ぬまで持続するには強さが要ると、
評論家の奥野健男は文学全集の解説で弁護した。
「感じやすく、傷つきやすい、けれど
真実を鋭く感じとれる裸の皮膚を、恥部を守り通した」と。
・・・・・・

□ このハーブの名前は忘れた…こんなんばかり。
◇ 太宰治(1909-48)の作品を、私はほとんど嫌った記憶がある。
何かの拍子に血迷って数ページ読み初めても、先が続けられない。
心が受け止められない文章は、たとえ多数の読者に膾炙しようと、嫌なんは嫌。
結局小学校の教科書「走れメロス」と、高校教科書「富嶽百景」のみ。

□ ザ・ダーク・レディ(The Dark Lady/ER 1991)
久しぶりに咲いたのに、強い雨に折れてしまってた。
◇ そう言えば「走れメロス」と「トロッコ」(芥川龍之介)は、小学生時代の愛読書。
(走れメロスの冒頭部分、軽いタッチのシェイクスピアを彷彿させる)
メロスは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
メロスには政治がわからぬ。
メロスは、村の牧人である。
笛を吹き、羊と遊んで暮して來た。
けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

□ ゼラニウムは、3月からずっと咲き続けている。
「富嶽百景」は、現代国語の教科書の引用部分がおかしくて、
短編ということもあり、たぶん読み通したはずだ(以下、抜粋)。
私が、その峠の茶屋へ来て二、三日経って、
井伏氏の仕事も一段落ついて、
或る晴れた午後、私たちは三ツ峠へのぼった。
三ツ峠、海抜千七百米。御坂峠より、少し高い。
・・・・・・
とかくして頂上についたのであるが、
急に濃い霧が吹き流れて来て、
頂上のパノラマ台という、断崖の縁に立ってみても、
いっこうに眺望がきかない。
何も見えない。
井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、
ゆっくり煙草を吸いながら、放屁なされた。
いかにも、つまらなそうであった。
・・・・・・
老婆も何かしら、
私に安心していたところがあったのだろう、
ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
そう言って、細い指でもって、
路傍の一箇所をゆびさした。
さっと、バスは過ぎてゆき、
私の目には、いま、
ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、
花弁もあざやかに消えず残った。
三七七八米の富士の山と、
立派に相対峙し、みじんもゆるがず、
なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、
けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。
富士には、月見草がよく似合う。
・・・・・・
「相すみません。シャッター切って下さいな。」
私は、へどもどした。
・・・・・・
まんなかに大きい富士、
その下に小さい、罌粟(けし)の花ふたつ。
ふたり揃いの赤い外套を着ているのである。
ふたりは、ひしと抱き合うように寄り添い、
屹っとまじめな顔になった。
私は、おかしくてならない。
カメラ持っ手がふるえて、どうにもならぬ。
笑いをこらえて、レンズをのぞけば、
罌粟の花、いよいよ澄まして、固くなっている。
どうにも狙いがつけにくく、
私は、ふたりの姿をレンズから追放して、
ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、
富士山、さようなら、お世話になりました。
パチリ。
「はい、うつりました。」
「ありがとう。」
ふたり声をそろえてお礼を言う。
うちへ帰って現像してみた時には驚くだろう。
富士山だけが大きく写っていて、
ふたりの姿はどこにも見えない。
その翌る日に、山を下りた。
まず、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、
安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、
甲府の富士は、山々のうしろから、
三分の一ほど顔を出している。
酸漿(ほおずき)に似ていた。
なんと情感こもる、ユーモアに満ち溢れた抒情詩のような短編!

□ クレマチス「マダム・バロン・ヴァイヤール」(Madame Baron Veillard)
日に日に、この雨の中を開花していく。
◇ 「桜桃忌」(おうとうき)は、太宰治の遺作(!?)「桜桃」にちなんだものらしい。
そそっかしい私は、彼がサクランボ大好き作家だったのかなあと・・・。
それじゃあ、私も「桃色吐息」色の花を添えよう。

□ スカボロフェア(Scarborough Fair/ER 2003)

□ クイーン・オブ・スウェーデン(Queen of Sweden/ER 2004)
いつもは、いずれも桃色なのに、雨続きのせいかサーモンピンク。

□ Hydrangea "Paris" ピンクが濃すぎるかも…。

□ ニゲラがようやく咲いた。
◇ 昨日6月18日付の朝刊「天声人語」(朝日新聞)が目を引いた。
四季折々の情感あふれる「生きとし生けるものへの」慈愛に満ちたもの、
文学や芸術に関するものとなると、私は天声人語を読んでしまう。
ついでにその英語版をネットで読む・・・が、概してたいへんむずかしい(単語)。
しかし、プロのコラムニストの筆致に唸ってしまうことが多いのは事実である。
(以下一部引用)
ドクダミの花が土手を埋めていた。
その人が「深くゆるゆると流れて」と書いた水面が、
ヤツデやシュロの葉陰にのぞく。
JR三鷹駅に近づくと、
玉川上水の両岸は小ぎれいな遊歩道になり、
武蔵野の面影は薄い。
・・・
四回の自殺未遂と薬物中毒。
この「弱さ」をどう見るかで、太宰像は変わる。
三島由紀夫は「治りたがらない病人などには
本当の病人の資格がない」(『小説家の休暇』)と嫌った。
・・・
青春期の弱さを死ぬまで持続するには強さが要ると、
評論家の奥野健男は文学全集の解説で弁護した。
「感じやすく、傷つきやすい、けれど
真実を鋭く感じとれる裸の皮膚を、恥部を守り通した」と。
・・・・・・

□ このハーブの名前は忘れた…こんなんばかり。
◇ 太宰治(1909-48)の作品を、私はほとんど嫌った記憶がある。
何かの拍子に血迷って数ページ読み初めても、先が続けられない。
心が受け止められない文章は、たとえ多数の読者に膾炙しようと、嫌なんは嫌。
結局小学校の教科書「走れメロス」と、高校教科書「富嶽百景」のみ。

□ ザ・ダーク・レディ(The Dark Lady/ER 1991)
久しぶりに咲いたのに、強い雨に折れてしまってた。
◇ そう言えば「走れメロス」と「トロッコ」(芥川龍之介)は、小学生時代の愛読書。
(走れメロスの冒頭部分、軽いタッチのシェイクスピアを彷彿させる)
メロスは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
メロスには政治がわからぬ。
メロスは、村の牧人である。
笛を吹き、羊と遊んで暮して來た。
けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

□ ゼラニウムは、3月からずっと咲き続けている。
「富嶽百景」は、現代国語の教科書の引用部分がおかしくて、
短編ということもあり、たぶん読み通したはずだ(以下、抜粋)。
私が、その峠の茶屋へ来て二、三日経って、
井伏氏の仕事も一段落ついて、
或る晴れた午後、私たちは三ツ峠へのぼった。
三ツ峠、海抜千七百米。御坂峠より、少し高い。
・・・・・・
とかくして頂上についたのであるが、
急に濃い霧が吹き流れて来て、
頂上のパノラマ台という、断崖の縁に立ってみても、
いっこうに眺望がきかない。
何も見えない。
井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、
ゆっくり煙草を吸いながら、放屁なされた。
いかにも、つまらなそうであった。
・・・・・・
老婆も何かしら、
私に安心していたところがあったのだろう、
ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
そう言って、細い指でもって、
路傍の一箇所をゆびさした。
さっと、バスは過ぎてゆき、
私の目には、いま、
ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、
花弁もあざやかに消えず残った。
三七七八米の富士の山と、
立派に相対峙し、みじんもゆるがず、
なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、
けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。
富士には、月見草がよく似合う。
・・・・・・
「相すみません。シャッター切って下さいな。」
私は、へどもどした。
・・・・・・
まんなかに大きい富士、
その下に小さい、罌粟(けし)の花ふたつ。
ふたり揃いの赤い外套を着ているのである。
ふたりは、ひしと抱き合うように寄り添い、
屹っとまじめな顔になった。
私は、おかしくてならない。
カメラ持っ手がふるえて、どうにもならぬ。
笑いをこらえて、レンズをのぞけば、
罌粟の花、いよいよ澄まして、固くなっている。
どうにも狙いがつけにくく、
私は、ふたりの姿をレンズから追放して、
ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、
富士山、さようなら、お世話になりました。
パチリ。
「はい、うつりました。」
「ありがとう。」
ふたり声をそろえてお礼を言う。
うちへ帰って現像してみた時には驚くだろう。
富士山だけが大きく写っていて、
ふたりの姿はどこにも見えない。
その翌る日に、山を下りた。
まず、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、
安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、
甲府の富士は、山々のうしろから、
三分の一ほど顔を出している。
酸漿(ほおずき)に似ていた。
なんと情感こもる、ユーモアに満ち溢れた抒情詩のような短編!

□ クレマチス「マダム・バロン・ヴァイヤール」(Madame Baron Veillard)
日に日に、この雨の中を開花していく。
◇ 「桜桃忌」(おうとうき)は、太宰治の遺作(!?)「桜桃」にちなんだものらしい。
そそっかしい私は、彼がサクランボ大好き作家だったのかなあと・・・。
それじゃあ、私も「桃色吐息」色の花を添えよう。

□ スカボロフェア(Scarborough Fair/ER 2003)

□ クイーン・オブ・スウェーデン(Queen of Sweden/ER 2004)
いつもは、いずれも桃色なのに、雨続きのせいかサーモンピンク。

□ Hydrangea "Paris" ピンクが濃すぎるかも…。